労働塊の誤謬 | 秋山のブログ

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こんなページを見つけた。
http://d.hatena.ne.jp/himaginary/20110212/rowe_on_productivity

そこにこんな主張がある。
『過去200年間に生産性 は(大雑把に言って)10倍に伸びた。もし労働塊の誤謬が正しければ、我々の失業率 は90%に達しているはずだ*2 。実際には、失業率 には趨勢的傾向は見られない。その代わり、GDP が10倍近くに増加し、労働時間は(自発的な形で)少し減少した。実証面から言えば、労働塊の誤謬は惨憺たる失敗に終わったのだ。上記で描いた古典派モデルは非常な成功を収めた。

上記の私のモデルは明示的な長期の古典派モデルである。金融経済 が直面し得る短期的問題は捨象されている。』


100人分の食料を10人で生産している村があって、生産性が向上して5人で済むようになった時には、不要になった5人はいつかは新しい仕事を見つけるであろう。長期的には労働隗が一定でないことは、考えてみれば当り前以外の何ものでもないであろう。


上の文章を見れば、労働の誤謬に関し、正しいのか正しくないのか議論があったようだ。わざわざ何故こんなことを議論したのか、理解にさえ苦しむところである。


労働隗の誤謬は、失業対策としてのワークシェアリングを批判するのに使われているようだが、本当にそんなことが言えるのだろうか。

労働隗が増大するためには、新しい仕事≒需要が生まれてこなければならない。長い期間があれべそのうちにでてくることは確かであろうが、どのくらいで出てくるかなど誰にも分らない。第一にすべきことは新しい需要の創出であるが、それが不可能であるならば、労働隗を一定とした政策も一時的にはありえるのではないか。

職を失って切羽詰った人間が職を見つけるのを見たからと言って、職を失っても大丈夫と言うのは明らかにおかしいだろう。労働隗の誤謬は、見つけた法則が一人歩きして暴走しているように見える。


ワークシェアリングは好ましくないと私は考える。しかしそれは、ワークシェアリングの発想が労働隗の誤謬に基くからではなくて、社会厚生の総和の上昇こそ、豊かさの増大であるからという理由であるべきだと思う。