冬のチャリ活

 

 

天平の丘公園に蝋梅を見に行った


さぁ、帰って餃子作るぞ〜



と帰宅しようと思ったら

 

しもつけ風土記の丘資料館に入る人を発見

 


そういえば入ったことがなかったな~と

その方につられて入館してみました



資料館は何年か前にリニューアルされたらしく

明るく見やすい展示になってました

 

しかも

無料!

 

 

*古墳時代

古墳の種類

埴輪の種類と役割

古墳時代の建築技術

 

*飛鳥時代(6世紀末〜)

 

東日本(下野近郊)をおさめる下毛野氏が大和朝廷とつながる(東北をおさえるために東日本の要所となる)

下毛野朝臣古麻呂が大宝律令(日本最古の法律)に関わる

 

 

*奈良時代

下毛野朝臣古麻呂の出現→全国に道が完備(七道/東山道)→律令制による国府郡家が設置→下野の地(今の栃木市)に国府が設置

街道の設置、東日本の要所、地形などから国分寺・国分尼寺が作られる

 

 
そもそも天平の丘公園は
国分寺跡地を整備した公園

国分寺は奈良時代地震の発生、天候不順による飢饉、伝染病などで国内情勢不安となり聖武天皇が乱れた国内を安定させるために全国に建てたお寺

ここから少し離れた場所には飛鳥時代の国庁跡があり

下野国庁とは

大宝元年に日本で初めて律令制度が制定された時に各地に置かれた地方行政庁(奈良の東大寺が総国分寺)

コロナ禍になりご近所を巡るようになり
国分寺や国庁跡(どっちも国の重要機関)などがあるのを知って
 
当時の大和政権から遠く離れた辺鄙な場所になんで国府があったり国分寺が設立したんだろう???
 
ってギモン(失礼)でしたが
その謎が解けました!
 
古墳群があるように
そもそも人が生活しやすい土地で
人が集まり集落を作り国を作っていた地域だったので
下毛野氏という有力氏族が現れその中でもさらに優秀な人材(古麻呂)が中央政権に関わったってことなのね
 
いつの時代も有力な政治家が排出される地元が着目されるんだなー
(この時代要所だったから有力視されたのかもだけど)
 
飛鳥時代から奈良時代にかけての税制度「租庸調」
「調」は布や土地の特産物を税として納めるやつですが
世界遺産に登録されている奈良にある正倉院に奉納されてある麻布に
那須地域から調として納められたと記述があるんだそう
 
 
 

他にも興味深かったのは食べ物

 

 

イラストや食品サンプルと共に展示して説明書きされてました

(ミニチュアや食品サンプル好きにはたまらん目がハート

 

左から貴族、役人、農民の食事
(展示物は撮影禁止だったのでパンフレットより)
 
内陸では貴重な海産物などは貴族しか食べることができないとか
 
古墳時代は狩猟と稲作のおかげで食べ物が豊かになり
当時の男性の平均身長が160センチほどだったけど
江戸時代には肉や魚を食べる事を(表向き)禁止していたので
タンパク質不足で歴代の最低身長(男性で155センチくらい)だったとか
 
興味深い内容が書かれていました

 

 

 

600年から1000年の間に大きな地震と噴火(富士山や浅間山の爆発、大地震)が7、8回くらいおこりその間に疫病の発生もしているのは今と変わらないじゃんガーン!!と恐怖でしたがその度に復興して都市化してきたという事実には希望が持てました泣き笑い

 

 

無料でここまで情報開示してるって

資料館侮れないわ!

 

行きに通りかかった吾妻古墳

栃木県最大の古墳なんだって!

ちなみに吾妻古墳の玄門に使われていた岩は

壬生藩のお殿様が壬生城で使うために持って行っちゃったんだって泣き笑い

 

 

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