重耳(ちょうじ)』上・中・下巻 宮城谷昌光作(講談社文庫)
舞台は古代中国。紀元前700年頃から約70年の「春秋戦国時代」とひとことでまとめられている前半分の「春秋時代」。周が天下を制覇していた時代のひとつの国「晋」の歴史の変遷を描いた物語で、表題にもなった重耳(ちょうじ)、後の文公が主人公だ。
有名な始皇帝が出る400年も前の話である。
晋の第二公子として生まれた重耳が、跡継ぎ争いの余波を受けて、故郷を離れ、各地を流浪すること約19年。恩師や配下とのやりとり、そして、行く先々であう諸侯とのやりとりの中から、人としての生き方を大いに考えさせられる史実に基づいた物語。いや、作者の宮城谷さんは、史実を丹念に調べ尽くしたので、物語というより、一生記といったほうがふさわしい。
以下の感想を抱いた。端的に書きたい。
■中国大陸は広い。
だだっ広い。だから同じ漢民族でも様々な人がいるし、異民族が辺境は走り回っている。なにをやるにも一筋縄ではいかない。まさに多様性だらけの世界だ。そんな土地だからこそ、「天」の摂理がことのほか貴ばれるのかと思ったし、それにどう向き合うかが、個人の人生を左右する。
■国を滅ぼすのは、悪女
作者は特にそういう観点では述べてないが、国の滅亡のもととなっているのが、王に溺愛される女によるものがいくつか記されていた。特に重耳の放浪の直接的なきっかけを作った驪姫(りき)の情念などは凄まじかった。王は彼女を溺愛した結果、理性が失われ、大きく間違った判断をしてしまう。ふと考えた。いわゆる中国史に残る悪女たちは、「天」の摂理にあまり重きを置いてないのではないか?「天」は公。その対義語は、これら傾国の女たちの「私欲と情念」なのか。
■重耳は平凡な人
斉の桓公、秦の穆公 など、いわゆる春秋五覇の他の4人と比較しても、特に特長を持っているとは思えず、平凡な人。しかし、凡人(?)との自覚があったかどうかもわからないが、結果的には「人の話をちゃんと聞く」ことで中華を統一したと感じた。まさに、「耳の力を重んじる」で、人の名前は、その人の性格になんらかの影響を与えるのだろうか?
■脇役が魅力的
この小説の面白さのひとつに、ふと登場した人物が、最後は重耳の重要な配下になっていたりすること。これら脇役の心情や行為を作者は丹念に描いてくれているので、重耳に勝るとも劣らぬほど人物理解ができ、感情が引き寄せられる。私は、重耳の祖父・称(後の武公)を魅力的に感じた。また、介子推が晋を去らざるをえなかった理由は切なかった。そして、閹楚(えんそ)という最凶の刺客のまったく予期しなかった意外な漢気にはジーンときた。
『モリアーティ』(アンソニー・ホロヴィッツ作 駒月雅子訳 角川文庫 H30年)を読んで
ホロヴィッツは今、私が最も新作を待ち望んでいるお気に入りの作家のひとりです。
おもしろいですよね、純粋に。
このたび書店で私は見つけたこの文庫本は、
これまで読んできた彼の作品とは違って、
いわゆる過去の作家の人気小説シリーズへのオマージュ作品。
つまりシャーロックホームズシリーズへのオマージュです。
ホームズの産みの親、コナンドイルを顕彰するコナン・ドイル財団が公式に認めている
「シャーロック・ホームズ シリーズ」となっています。
それだけホロヴィッツの、原作者ドイルへの尊敬の念が深く、小説の世界観をしっかり踏襲しているということでしょう。
物語りの概要は、ホームズが長年のライバル、ロンドンの犯罪組織のおおもとじめ、モリアーティとスイスの避暑地の滝つぼのふちで決闘し、2人とも滝壺に落ち帰らぬ人となってすぐのお話。
このモリアーティの死を確認するために、ロンドン警視庁から派遣されたジョーンズ警部と、アメリカの探偵社から派遣された主人公のチェイスがスイスの現場で出会い友情を深め、それぞれの想いで、ロンドンに帰ってきてから行動をともにし、モリアーティの残像を感じながら、アメリカからモリアーティ亡きあとのロンドンの犯罪市場の王座を狙ってやってきた残忍な犯罪集団の元締め、デヴァルーを追い詰めるという推理捜査もの。
多くの事件が立て続けに続き、すべてがデヴァルーの仕業を思って核心に迫るジョーンズとチェイスなのですが、犯罪が重なるにつれ、どうも、つじつまがあわず、いったい新犯人は誰かがわからなくなってきてしまいます。
そして、最終章。
そうだったのか、という、まことに「してやられた」感を、デヴァルーではなく、作者のホロヴィッツに感じざるを得ません。
シャーロックホームズシリーズが好きな方が大喜びしそうなシーンがあります。
それは、最初の事件の後に、ロンドン警視庁の警部たち十数人が集められ、捜査会議をするシーンです。
そこでの多彩な警部たちが、いずれも、ホームズの過去の作品で重要な脇役になった男たちばかり。
彼ら一人ひとりの人物描写、その会議での発言やふるまい、様子などは、マニア垂涎のひとときだと思いますので、
ぜひ楽しんでほしいと思います。
『野生の棕櫚』(フォークナー作 加島祥造訳)中央公庫2023.11.25発行
先日、見た映画「パーフェクトデイズ」で
役所広司が演じる孤独な主人公が、寝る前に読んでいたのがこの作品。
私は、映画を観た時に、ちょうどこの作品を
「寝る前」に読んでいたので、あまりの偶然に本当に驚きました。
それから約半年たって、他のいくつもの本に浮気をしていましたが、
やっと戻ってきて、再び読んだところの次から読み始め
本日、ようやく読了とあいなりました☆彡
完全に独立した2つの物語が
並列で展開されていてひとつの作品となっている
という極めて斬新な物語です。
どちらの物語も時代は同じで1920年代末で、
舞台はアメリカ深南部のミシシッピー州とその界隈(ルイジアナ州など)。
この小説については、ただでさえ難解な著者フォークナーの
最も難解な作品と言われていましたが、
私は鈍感なのか、「難解さ」は感じませんでした。
それは、長々とした描写、登場人物の心の内側の描写は、
「ふーん」と読み飛ばしていけたからだと思います。
そう、フォークナーは、その記述スタイルが「意識の流れ」であるという定評になっていますが、
私的には、彼に影響を受けたであろう中上健次の小説を読みなれているので、あまり難解さも感じず
むしろ心地よく感じられました。
1の物語「野生の棕櫚」と2の物語「オールド・マン」が一章ごとにかわるがわる登場するという
ユニークな物語ですが、個人的には2の「オールド・マン」のほうが良かった!
ほんと、この名前もない背の高い黒人の囚人が、ミシシッピー川の大洪水の犠牲者救済の任務を受けて、
塀の外に出て任務に忠実にあたったものの、途中で自らも洪水に巻き込まれ、苦難を乗り越えて、やっと
刑務所に戻って来るという物語なのですが、そこに、人間的な勇気、素朴な他人への親切心、そして、運命を享受する諦念、奢らず、欲に走らず、忍耐強く耐え凌ぐという、あきらかに人間のもつ「善なる魂」を感じることができとてもよかったです。
フォークナーは、どうやら物語1のための対比として2を書いたらしく、2にそれほど重要な意味合いはもたせなかったようにインタビューで答えているのですが、読んだ印象は正反対。1はなんか、醜悪なイメージで、2は崇高でした。
そして、ふと気づいたのが、この2作に共通していることが、主人公のパートナーの女性が妊娠していること。
一人は産褥で死を迎え、一人は、出産していずこかに去っていくというその違いはあるものの、
フォークナーは、『八月の光』でも妊婦が重要な語り部となっています。
この「妊婦」「妊娠」をとりまく世界というものになにかしらこだわりがあったんだろうな、と感じました。
ここのところ意識してアメリカ南部の小説ばかり読んでいます。
だんだん各州の土壌・風土の違いがわかってきてうれしいです!