「マンガ」は僕のあこがれだった | フラワーエッセンスナビゲーター☆☆チョンボン

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フラワーエッセンスおとぎ話

 

 

   *文中の写真はイメージです

 

父方の祖父はユダヤ系ドイツ人。

祖父は第二次大戦中

亡命先で出会ったフランス人の女性と結婚し

終戦まもなく父が生まれた。

 

母方の祖父はアメリカ人

祖母はフランス人。

この二人もまたある意味

戦争が引き合わせた

約束の相手だったのかもしれない。

 

1960年代終わりに

両親はフランスで出会った。

結婚してアメリカに渡り

キッチンカーから商売を立ち上げ

僕が生まれた年に

町はずれにフレンチカフェを持った。

 

 

  

閉店した食堂を居ぬきで買った。

貯金と銀行の融資とで手に入る

精一杯の物件だった。

作りも設備もはなはだしく老朽化し

床が抜けたり水漏れしたり

毎日アクシデント続きだった。

 

見誤ったか

だまされたか

時期尚早だったか。

焦りと後悔で

気持ちが荒れたり落ちたり

何かにつけ暗くなりがちだった。

 

そんな大変な毎日なのに妻の口癖は

「最初はこんなものよ。」

そして1歳足らずの息子は

いつもにこにこごきげんだった。

2人のおかげで救われたし

あきらめず前向きになれた。

 

一日一日を精一杯

何とか踏ん張っているうちに

昔のままだねと

以前の食堂のお客さんたちが

懐かしんで来てくれるようになった。

「家の近所で本場仕込みの

欧州菓子が食べれるなんてありがたい。」

古き良きを懐かしんだり

置き土産のジュークボックスや

テーブルゲームを珍しがったりの

新しい常連さんもできた。

借金も順調に返せている。

 

夕食にワインを飲んでいい気分になると

父はそんな話を繰り返した。

話が始まると僕は、またか、と

ちょっとうんざりだったけど

母は何度聞いた話でもニコニコ笑って

「そうだったわね」と

嬉しそうに相槌を打っていた。

 

昔にタイムトラベルしたような

古臭いカフェは

ぼくにとってもお気に入りの場所だった。

いつもコーヒーと焼き立てのパンや

お菓子の香ばしいにおいがしていた。

母の作るタルトタタンやカヌレが

大好きだったし

父が入れるカフェクレームも

すごくおいしかった。

常連の老夫婦がタルトを食べて

母に「今日もいいできだね」と笑いかけたり

のんびり本を読んでいる

インテリさんの様子を見るのも

好きだった。

小麦粉や卵から

おいしいタルトが出来上がるのが

マジックみたいで

母が祖母から教えてもらった

秘伝のカヌレのレシピを

僕も教えてもらいたかった。

だけど父は

そんな暇があったら勉強しろと言って

僕がキッチンに入るのを許さなかった。

 

 

僕には大学を卒業して

なんでもいいから

収入の安定した職業についてほしいと言う。

そんな時の父は怖いくらい真剣だった。

 

 

 

店の常連に日本人のマエダさんがいた。

何をしている人かわからない。

日本人のイメージは真面目で働くのが好き。

でもマエダさんは日中ぶらっと来て

半日店で過ごす日もあった。

 

最初はいぶかしんでいた父も

フランス語が少し話せると知ると

何かと話しかけるようになった。

そのうちすっかり打ち解けて

両親はマエダさんが来ると

旧知の友達が来たみたいに

嬉しそうだった。

 

ある日学校帰りに店に寄ったら

マエダさんが雑誌を見ていた。

日本のマンガだと教えてくれた。

 

一目見て、目が釘付けになった。

コミックとは全然違う魅力があった。

あまりに熱心に見ているので

マエダさんは

「貸そうか」と言ってくれた。

「え、いいの?」

「船便でまとめて送られるから

最新じゃないんだけどね。

その代わり、なんでもいいから

感想を聞かせてくれないかな。」

「うん、わかった。」

それから毎月毎月マエダさんに

マンガを借りるようになった。

最初は見ているだけだったけど

お気に入りのシーンを

描きうつすようになった。

それをマエダさんに見てもらって

セリフを翻訳してもらい

自分の絵に書き加えた。

セリフがわかると面白さが倍増した。

 

勉強道具を買うと言っては

父からもらったお小遣いで

マンガを描く道具を

ひとつずつ買い足していった。

中々うまく描けなかったけれど

描いている時はもう

楽しくってしかたなかった。

毎日夜遅くまで机に向かっていた。

 

両親には内緒だった。

両親はきっと僕がまじめに

勉強してると思ってるんだろうな、

そう思うと少し胸が痛んだ。

 

学期末が近いある日の放課後

僕の担任がカフェに来た。

後で聞いた話だけど

家庭環境や両親の様子を

確かめに来たのだ。

生徒一人一人を大事にしてくれる

熱心でいい先生だった。

両親は担任に気づくと挨拶して、

最近僕が熱心に勉強している

先生のおかげだとか言ったらしい。

それで、「原因」は

家庭や親ではないようだと判断し

先生は両親に僕の成績表を見せた。

あんなに勉強していたはずなのに

酷い成績だったから両親は驚いた。

先生が帰ると営業中にも関わらず

すぐに父は階段を駆け上り

ノックもせず僕の部屋に飛び込んできた。

僕はとっさに机の上の

描きかけのマンガを両腕で隠した。

悪いことではないと思いながらも

こそこそ隠れてやっている

という自覚はあった。

父は僕の腕の下をちらりと見ると

あきれ、それから怒り始めた。

「今先生が店に来て

何かあったんでしょうかと言われたぞ。

軒並み最下位の成績だそうだ。

いったいどういうつもりだ。

私がどんなに頑張って

お前の学資をためているのか

わかっているのか。」

それは充分わかっていた。

わかっているけれど

学校の勉強はどうしても身が入らなかった。

つまらないから

授業中じっと座っているのが

苦痛で仕方なかった。

僕が何も答えないでいると

「マエダだな、

お前にこんなものを。

あのジャップ。」

と父は吐き捨てるように言った。

 

僕は愕然として頭が真っ白になった。

まるで幼馴染のように

仲良くしていた人なのに。

マエダさんのつたないフランス語を

両親共々三人で笑って、

あんなに楽しそうだったのに。

 

なによりそんな差別用語を

父の口から聞いたのが

ものすごくショックだった。

 

僕の複雑なルーツについて、

いじったり差別する級友がいると

父は知っていたし

父だって知らない人にあからさまに

いかにもユダヤ人らしい容貌を

そしられたり

人種差別には何かにつけ

不愉快な思いをしてきたのに。

 

僕が固まって動けないでいると

父は机に手を伸ばしマンガを取り上げ

「こんなもの」と破ろうとした。

「やめて」僕は思わず父につかみかかった。

魂を込めて大切に描いた作品だった。

いくらなんでもひどすぎる。

「返して」僕は声を荒げ

マンガに手を伸ばした。

父はけれど、ただ突っ立って

驚いたように取り上げた絵を見ていた。

さっきまでの怒りの形相が

嘘のように消えていた。

「これはなんだ」と父は僕に尋ねた。

心無し声が震えていた。

「これは、日本のマンガだよ。」

父の顔が、急に悲しそうに歪んだ。

「カワサキ。」

「え?」

「これはカワサキだろ?」

それは派手にドリフトしている

バイクの絵だった。

「カワサキ」

そう言ったきり父は

口を閉ざしてしまった。

そしてしばらくして僕に絵を返すと

「どなってすまなかった。」と

肩を落とし部屋を出て行った。

開いたままのドアの向こうに

ほんの少し寂しげに

微笑んでいる母が立っていた。

 

 

 

 

 

 

 

祖父は

ドイツ国籍のユダヤ人だった。

1930年代の終わり

政情が不安になると一家は

ドイツから、つてを頼って

フランスに出国した。

パリ陥落以降

終戦までの逃亡生活は

凄惨を極めたらしい。

 

戦後は温存した資金を元手に

銀行を立ち上げた。

実情は銀行とは名ばかりの

高利貸しだったようだ。

生活は裕福だったが

迫害の過去は祖父の身に染みており

めったに笑わず

取り立ても容赦なかったと

聞いている。

 

真面目で努力家の父は

祖父のお気に入りだった。

長子ではなかったけれど

祖父の事業は父が継いだ。

父の兄弟たちは祖父とそりがあわず

それぞれ就職や結婚で家を離れると

その後めったに帰ってこなかった。

 

父は口数の少ない人で

親子の会話はあまりなかった。

他の家の父親のように

子供と一緒に遊ぶでもなく

そもそも

嬉しいも悲しいも感情を

あまり表に出さない人だった。

 

 

勉強や成績に関して

とやかく言われた覚えはない。

妹は父親似で頭の回転が速く

成績もダントツだった。

父の後を継ぐのは妹だろうと

誰しもが思っていて

親の束縛が無いのをいいことに

僕はお気楽に自由に過ごしていた。

 

当時一番仲の良かった友達は

明るく活発、よく笑うイザーク。

お父さんは都会で仕事をしていて

末っ子のイザークは母親と二人

この町に住んでいる。

イザークは喘息持ちで

都会には住めないと言っていた。

 

僕たちは始終一緒に過ごした。

ボードゲームをしたり

公園でただころげまわったり

川に飛び込んだり

何をしても

イザークと一緒だと楽しかった。

一番仲がいい、と言うよりも

唯一の、

と言った方が正しいかもしれない。

強欲なユダヤの金貸し

そんな父の陰口は

子供の自分にも聞こえていた。

 

 

ある日いつものように

イザークの家で遊んでいると

重いエンジン音と共に

一台のバイクが庭に現れた。

「兄さん」イザークが声を張り上げ

バイクに走り寄った。

イザークの一番上の兄ルイだった。

バイクで一人

世界中を旅してまわっている

イザークの自慢の兄だった。

ふいに戻りふいに居なくなる

気の向くままの自由人だった。

「よう、イザーク。元気そうだな。」

ルイのバイクは

ピカピカに磨き上げられていた。

僕は一目でそのすばらしさ美しさに

目が釘付けになった。

「すごい」

思わず言葉が口を突いて出た。

「このマシンのすごさがわかるんだね。」

ルイは日焼けした顔をほころばせて

「カワサキだぜ。」と言った。

イザークと同じ

とてもきれいなとび色の目をしている。

「日本のメーカーだ。

乗ればこの凄さがもっとわかる。

乗ってみるか?」

イザークがなんでだよと不平の声をあげた。

「僕だって一回も

乗せてもらったことないのに」

「お前はこのマシンの凄さが

全然わかってないだろ。」

ルイはヘルメットを僕にかぶせると

バイクにまたがり

「さあ、行こうぜ」と僕をさそった。

 

夢のような時間だった。

見慣れた町の風景が全く違う世界に見えた。

まるで冒険に出た勇者になったみたい。

革ジャンを通してルイの体温を感じる。

ルイの首元から、

汗と花の香りが入り混じったような

いいにおいがする。

全てが初めての感覚だった。

 

 

風をきって世界中、このバイクを飛ばすのは

本当に最高の旅だろうなと胸がときめいた。

 

街を一回りして戻ると

イザークのお母さんが

たくさんの料理を用意して待っていた。

「ルイ、私のかわいいルイ。」

イザークのお母さんは目を潤ませながら

まるで恋人を迎えるみたいに

ルイに抱きつき

嵐のようにキスをあびせかけた。

イザークと僕はそんな様子を見て

顔を見合わせ笑った。

イザークはとても幸せそうだった。

 

そしてその日は

忘れられない日になった。

違う意味でも。

 

その夜、父の部屋に呼ばれた。

めったに部屋には呼ばれない。

そこは正直

あまり好きな場所ではなかった。

書斎机に座った父の後ろの棚には

たくさんの分厚い帳簿が

きれいに並んでいる。

それら一つ一つが

誰かの人生に関わっていた。

 

「今日は何をしていた。」

唐突に父が尋ねた。

「イザークの家に行ってたよ。」

それで?という父の表情に

胸騒ぎがした。

見たことのない冷たい目だった。

「今日お前を見たという人がいた。

あれとバイクに乗っていたと。」

 

乗せてくれたのはイザークのお兄さんで

と言いかけた時、父が

「お前は知らなかったのだな。」

とかぶせるように言った。

「あれは○○だと。」

頭が真っ白になった。

ルイがそういう人であったという衝撃よりも

歪んだ父の顔が醜悪で

まるで別人のように見え

総毛だつほど恐ろしかった。

 

 

父の口からそんな言葉を聞くとは

思ってもいなかった。

父が吐き捨てるように言った

その酷い差別用語は

その後ずっと忘れようとしても

決して忘れられなかった。

今でこそ同性愛者は

社会に認められつつある。

けれど当時はまだ偏見が根強く、

世間のバッシングは激しかった。

 

もし、偏見がないかと問われたら、

全くないと言い切る自信はない。

自分とは異質と思っていたし

少なくともそういう人たちを

公に擁護する勇気はなかった。

世間の目が怖かった。

そしてなにより

父の目が空恐ろしかった。

 

その夜父はそれ以上追求はしなかった。

蒼白になった僕の様子を見て

何も知らなかったらしい、

息子は「正常」と判断したのだろう。

 

イザークとはもう遊ぶな、

とまでは言われなかった。

 

イザークと離れたのは

自分の意志だ。

 

何も言わなくても

イザークは察したのだろう。

あの日を境に急によそよそしくなった僕に

あえて理由を問いただすことはなかった。

 

偶然にでも出会ったら

気まずいと思っていたけど

その後は学校でも公園でも

イザークを見かけなかった。

 

喘息が悪化して家で静養しているらしいと

母から聞いた。

 

その時初めて

イザークにとっても

僕が唯一の友達だったのだと

気が付いた。

 

疎遠のまま時が過ぎて

イザークは

遠くの街の寄宿学校に進学し

僕は地元の公立に進学し

2人の関係はそれきりになった。

 

僕は

あの夢のようだった午後のひと時を

胸の奥底に封印した。

その思い出は

父のあの言葉あの顔と結びついていた。

親密ではなかったけれど

人として尊敬していた父の

偏見、日和見、差別主義を

見せつけられた夜だった。

 

それからは何事もなく

ただ時間だけが

無駄に過ぎ去っていった。

 

 

 

地元の大学に籍だけ置いて

バイト三昧だった頃

バイト先で出会った三才年上の

アメリカ人の留学生と仲良くなった。

彼女の母親はフランス移民で

母親が良く作ってくれた

フランスの伝統菓子に

幼い頃から興味を持っていた。

きちんと習いたくて

本場の製菓学校に入学し、

学費のためにカフェで働いていた。

 

the kitchn

 

彼女の前向きさと底抜けの明るさに

ここ数年もやもやしていた僕は

心底救われた気がした。

プロポーズも

何事にも積極的な彼女からだった。

彼女には大きな夢があって

アメリカでその夢を

あなたと一緒に叶えたい

と言われた。

 

父に反対されるかと思ったけれど

そうか、と言われたきりだった。

放蕩息子のだらけた毎日を見るのもうんざり

「女性を選んだ」だけで

良しとしたのかもしれない。

できの良い跡取り娘もいたから

息子に未練はなかったのだと思う。

 

見送りの時、母と妹は泣いたが

父はいつもながらの感情のない顔のまま

結局何も言わなかった。

僕も何も言わなかった。

 

渡米してすぐ貯金を出し合って

キッチンカーを買い街角で商売を始めた。

まじめに英語を勉強しておけば良かった、

と後悔したが

逆に僕のフランスなまりの英語が

いかにも「本場フランスから」らしく

受けは良かった。

 

 

 

1年後息子が生まれた。

嬉しくて目を潤ませながら

「この子には自分の思うとおりに

自由に生きて欲しい。

僕は何の偏見も持たず、

この子の意志を尊重する。」

私は妻と我が子にそう誓った。

「あらあら、重大決心ね」

妻は笑ったが

おおげさではない、

私にはとても大切なんだと伝えたくて

初めて妻にあの夜の話をした。

話せたことが嬉しかった。

 

妻が子供の世話で家にいて

一人で商売するようになると

真っ当な店が持ちたくなった。

そもそも

店を構えるのが妻の夢だった。

二階を居住区にすれば

妻子のそばにいられる。

 

借金をして郊外に店を構えた。

時期尚早と覚悟はしていたが

経営は予想していた以上に

厳しかった。

 

けれどどんな時にも妻は

「最初はこんなものよ。」

と笑っていた。

その笑顔と息子の愛らしさに

疲れも苦労もふきとんで

希望とやる気を取り戻せた。

 

 

父の様態が悪いと連絡をもらった時は

自転車操業を重ねていた時期で

数日でも店を休むわけにはいかず

帰国できないと知らせた。

妹から費用は出す

孫の顔を見せてやってほしいと言われたが

どういう形であれ

実家からの援助は絶対に受けたくなかった。

頑ななプライドもあったが

それは単なる言い訳で

あの家に戻るのを

父に面と向かうのを

避けたかったのかもしれない。

 

あの日のことを

記憶の奥底に閉じ込めたつもりが

何かのきっかけで

まるで昨日のことのように思い出される。

妄想の中で父は、

逃げれば逃げるほど

大きくなって追いかけてくる

醜悪なモンスターになっていた。

 

けれど

一番自分を苦しめるのは

あの夜の自分が

どれほど情けない人間だったか

という罪悪感だとも薄々は気づいていた。

父に対して

一言もルイを弁護できなかった。

何が一番辛いのか、

自分の気持ちを言えなかった。

父の思いを裏切る勇気がなく

ルイはもちろん

あんなに親密だった

イザークまで遠ざけた自分を

誰より一番許せないでいた。

 

あの時から何十年もたち

もううぶな子供でもなく

ここ十年は毎日の仕事に追われ

さすがにもう思い出すことも

なくなっていたというのに

唐突にカワサキが目の前に現れた。

 

「あのジャップ」

自分が言っておきながら自分の耳を疑った。

日々のストレスで

自分が思っていた以上に気持ちが

追い込まれていたのかもしれない。

息子の人生がダメになるかもしれない恐れで

我を忘れてとんでもないことを

口走ってしまった。

 

いや、そうじゃない。

息子の人生じゃない。

自分の望みが叶わなくなるのが

嫌だったのだ。

 

その時ようやく

父の気持ちを理解した。

ルイの件があるまでは

父はイザークと仲良くするのを

いさめたりしなかった。

人から噂は聞いてはいたと思う。

でも私を自由にさせてくれたし、

悪意に満ちた話を

わざわざ聞かせもしなかった。

おそらく世間一般ほど

酷い偏見は持ってなかったのだ。

 

私は父に、

世間の目を気にする差別主義を見た。

でもひどい言葉で

私を傷つけようとしたのではない。

父はただ私を守りたかった。

差別され続けたからこそ

命さえ奪われかねないそのし烈さを

身をもって知っていたから。

 

今の私のように

息子を自分の望み通りにしようなど

さらさら思ってもいなかった。

 

父の兄弟たちは皆

祖父を嫌って去って行ったけれど

父だけは残った。

戦争に最愛の妻を奪われ

傷つき頑なに心を閉ざしてしまった

祖父を一人ぼっちに

できなかったのかもしれない。

たとえ自分の夢をあきらめてでも。

 

自分はどうだ。

天使のような息子の顔を始めてみた時

絶対にこの子を傷つけたりしない、

父のようにはなるまいと固く決意した。

それなのに

子供の意志を尊重する、

元気で育ってくれればそれでいいと

誓った自分はいったいどこに

消えてしまったのか。

 

色々な思いが一時にあふれだした。

 

楽しかったイザークとの時間

イザークの屈託のない笑顔。

あんなにすばらしい時間までも

今の今まで自分自身が否定し

忘れ去りたいと望んでいた。

 

 

そして改めて

もう一つの真実に気が付いた。

 

父の言葉にあれほどまでに

衝撃を受けたもう一つの理由。

自分を偽り今の今まで

見ないようにしていた真実。

 

始めてルイに会ったあの日

「すごい」と胸が高まった

刹那の自分の気持ち。

 

美しいとときめいたのは

バイクだけではなかった。

 

今なら素直に認められる。

 

男も女もない

きっとあれが

私の初恋だったのだ。

 

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