織田信長公の御朱印状   
天正2年(1574年)
多治見市教育委員会蔵

岐阜と命名した織田信長から
豊臣秀吉の時代へと変遷する戦国の世に
侘び茶を確立した、千利休~古田織部の時代


美濃焼は/黄瀬戸、瀬戸黒、志野、織部として
茶入、茶碗、向付、花入など、
茶の湯を代表する
桃山の名陶を生みだしました。



国宝「卯花垣」  三井記念美術館蔵


美濃焼は、私の住んでる
岐阜県多治見市や土岐市、可児市、瑞浪市など
岐阜県東濃地方の焼物の総称です。

茶道をしている方はすでに
ご存知の方も多いと思いますが、
実際に美濃に訪れたという方には
あまりお目にかかりません。

・利休居士所持の品

利休所持  黄瀬戸茶碗「朝比奈」



利休所持 黄瀬戸立鼓花入「旅枕」



利休所持 黄瀬戸建水 銘 大脇指


そして
日本陶芸史、そして美濃焼の歴史に
燦然と輝く場所。

それがこの「元屋敷窯跡」です。


この近くには世界一の陶磁学者であり
陶芸家であった小山富士夫先生が晩年、
花の木窯を築いた場所や、
かつて白州正子さんが
荒川豊蔵先生の下へ通った道があります

※「美は匠にあり」白州正子著 /平凡社

小山富士夫著  徳利と酒盃・漁陶紀行
    /講談社文芸文庫



その五斗蒔街道のほとりに
織田信長公から御朱印状を賜った

美濃焼の十四代陶祖である
加藤康景先生の窯はあります。



左から十四代美濃焼陶祖・加藤康景先生、
暮らしの手帖 元編集長 八巻元子さん、
陶芸家 加藤三英先生




静かに土岐の街をながめ、
棚田から吹き上がる風が心地良い場所です。






先生自らたてて頂いた、抹茶を頂きながら、
安土桃山のほんのわずかな時代に
康景先生の先祖を中心とした
陶工たちが、日本のやきものの
歴史が大きく変えた
茶陶の聖地に話しが弾みました。




先生から自分に厳しく、
そして作品に厳しくなるべき。
傲慢になり胡坐をかいてはいけない。
真摯に作品づくりに向かい、
人が休んでいる時に少しでも多く
作品づくりに取り組むこと。

誰にでも目の前にチャンスは流れている、
しかし捕まえられるかどうかは
その人間の運や魅力にかかっている。


また作品が良いのはもちろんだが、
気に入って買ってくれる
お客様は、その作家の人間性を
判断しているので、人間としての魅力を
高める努力を制作とともにしなければ
長い付き合いのできる真のファンには
なってはくれない。

そのためには、陶芸はもちろん、
書画などあらゆる
分野の一流のものを見ること。



そしてライバルを早く作ること。
切磋琢磨することで
人は成長できるものである。

世の作家がなかなか個展ができないという
景気のなか、今年も8回という驚異的な個展を全国で開催される。

静かに、そして気高く抹茶茶碗を
制作されている加藤康景先生の姿は
利他の心にあふれていました。

※加藤康景先生は2012年8月13日
  不慮の事故により急逝されました。
  48歳の若さでした。
  心からご冥福をお祈りいたします。

※茶道の本場 京都でも 本物の
  美濃焼きには、出会えませんでした。
  茶道をしている方には、ぜひ一度
  桃山陶の生まれた場所、茶陶の聖地