ネタは沢山あるのに、超お久しぶりのこのシリーズ。なんと前回は去年の2月、1年半以上も経っていました!



今回は、パリで聴いた内田光子さんのコンサートでのアクシデント。
まだパリ生活1年目の頃、会場はパリコンセルヴァトワール横の小振りなホール、内田光子さんを生で聴くのはこの時が初めてでした。


実は私はこのパリコンセルヴァトワールがあるカルチエが大の苦手、もうハッキリ言えば吐き気がしてしまうほど大嫌いなのです。珍しいシネマの野外上映や、ラ ヴィレットの近代的なアートのカフェ等を目当てに観光に訪れる人も居るようですが、私ならばまずオススメはしません。
パリの北東の19区にあるパリコンセルヴァトワール。パリはどの方角にしても、外れに行くとどこもそれなりに治安の不安が増す傾向にありますが、この北東方向は特に殺伐とした空気を感じます。北駅・東駅~スターリングラードの辺りからイヤ~な感じがしてしまうのは私だけでしょうか?差別するつもりはありませんが、鋭い目付きの有色人種率もグンと高くなります。アフリカ人街では感じない緊張感、あれは何なのでしょう?18区のバルベス迄は全然平気なのですが。皆さんもそう言うの、ありませんか?この川を越えた途端に気分が重たくなるとか、この町に来ると何かイヤな感じがするとか。私は割りと鈍感な方で、あまりそう言うのは無いのですけどね。



パリのど真ん中(8区の楽譜屋さんや楽器屋さん街)にあった、昔のパリコンセルヴァトワールを知る人達もそれは口を揃えて言うのですが、ともかく治安が悪い、パリらしい雰囲気もゼロ。それと相俟って、冷たい近代建築の建物で心を寒々とさせられてしまうのです(パリでは、近代的な建物のある周辺は何故か治安が不安定……ラ デファンス、ポンピドゥセンターを含むレアール、オペラバスチーユ……逆に昔ながらの街並みでは比較的安全です。何か人の心に与える影響があるのですかね?)。



これも好みとか相性と言えばそれまでなのですが、決定的な事件があった事が何よりの要因です。
コンセルヴァトワールに隣接するポルト ドゥ パンタン駅に初めて降り立った時のこと、駅の出口で黒人の少年が私にぶつかるようにしてキスをしたのです!完全に口に当たったワケではないものの、ショックですし気持ち悪い!パンタン駅の出口にはいつもこうした柄の悪い黒人やマクレブがたむろしていて、取り囲んでは署名を求めて来たり(もちろんスリが目的)、何もしなくてもジッと睨んでいたりしてイイ思い出は全くありません。コンセルヴァトワールの学生は当然ながら若いですし、外国人も多く、それなりに裕福なお嬢さんが殆どですからそれを狙っているのかもしれません。




と、会場の治安についての前置きが長くなりましたが、それにも関わらず行こうと思ったのは、内田光子さんの演奏を生で聴いてみたいと言う思いと、数人の同行者が居た為です。

いつものように、タイシルクのようなドレスシャツにパンツ姿で颯爽と登場した内田光子さん、このすっきりとしたスタイル大好きです!日本のステージ衣装として定番の肌を露出したキャバクラ風ドレスはもとより、私の記憶が正しければ、ワンピースやスカートさえも穿かないですよね。トルコブルーのドレスシャツに、長身で細身のパンツ姿は本当に素敵でした。それに加えて、化粧っ気の殆ど無い知的で個性的な顔に、脂っ気の無い無造作なロングヘアも内田光子さんならでは。演奏や生活スタイル、容姿までも日本離れしています。

プログラムは全ては覚えていないのですが、ショパンの24のプレリュードを中心としたものでした。
そのショパンの24のプレリュードの途中で事件は起こりました。私の座席の斜め後ろのフランス人男性が、てんかんと思われるひきつけの発作を起こしたのです。
隣に座っていた同伴の女性が、馴れた手付きで即座に口を開けさせて丸めたハンカチを入れて舌を噛まないようにしましたが、
会場は少し騒然。
倒れてしまってバタバタとしている男性を運び出すのに係員も駆け付け、演奏も一時中断。非常に緊張感のある24の連なりの途中でしたが、内田光子さんはとても穏やかに男性へと視線を注ぎ、運び出されるとフランス語で「続けていいですか?」と係員に声を掛けました。
その冷静な対処の仕方、カッコイイったら~!と惚れ惚れしました。演奏に静かなる情熱は感じますが、本当に全てがスマート、カッコイイの一言。
ただ残念なのは、音があまりよく響かず、全体に硬い印象だったことです。でもこれは、内田光子さんの音質ではなく、会場の音響や楽器によるものなのかもしれません。その後、内田光子さんのコンサートを聴く機会に恵まれていないのですが、今度は別のホールで聴いてみたいと思っています。














Bellさん から、こんなに美しい色のジャムが届きました。
左はにんじん、右はルバーブ。
にんじんのジャムは初めて食べましたが、色と言い味と言いマンゴーみたいなのです。人一倍マンゴーを食べている私やpopさんが言うのですから間違いありません。











赤いルバーブはフランスで慣れ親しんだ味。ヨーロッパでは時期になると野菜売り場にドサッと並ぶ、セロリのような茎の野菜です。酸味が強く、酸っぱい物が好きな私は、ザクザク切って甘酢和えにして食べていました。もちろんジャムもよく食べました。
冷涼な気候でないと育てづらいらしく、特にこうした鮮やかな赤いルバーブは、日本では長野や北海道などごく一部の地域でしか栽培されていないようです。

Bellさん、懐かしい味をありがとうございました☆





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前回記事にたくさんのコメントをありがとうございます。私もpopさんももう大丈夫です。ブログがノロノロなのは精神的に参っているとかではなく、単なるサボり、中だるみですのでどうぞご心配なく!
お返事、マッハで書きますので(うそ)もう少しお待ち下さい。









先日の種子島からのロケット「こうのとり5号機」打ち上げ、宮崎では南の空に確認する事が出来ました。最初はほぼ真上に向かってオレンジ色の炎が真っ直ぐに伸びました。
















この写真の方が実際の色に近いです。

暫くするとだんだん横向きになり、数分後には星と変わらぬぐらいの明かりになりましたが、切り離しも確認できました。

動画で撮れば良かったと後悔。
偶然にも、流れ星2つも見られるオマケ付きでした。まぁ、この辺りでは流れ星は毎晩のように出合えるのですが。

遥か宇宙まで飛んで行くロケットにエールを送りました。

それにしても我が町の夜景の寂しさよ!
でも、電気が少ないからこそ星空が美しく観られるのですが。こんな少ない灯りの為に川内原発が再稼働だなんて全く理解できません。この数年間で、原発が無くても十分に暮らせるのだと多くの日本国民が気付いてしまっているんですけれどね。



















庭に勝手に生えた木。まるでいちじくのような実をたくさん生らせています。結構、高い位置に生っているので、手をいっぱいに伸ばして撮りました。
このいちじく風の実、食べられませんが小振りで可愛いですよね。最終的には巨峰のように黒く色付き、鳥のデザートになり、そちこちにまた新たな命を芽吹かせるワケです。
実を潰すとミルクのような白い汁が出るので、「ミルクの木」と呼んでいますが、正式名は知りません。割りとよく見掛ける木なのですが。
















こちらは正真正銘のいちじくで作ったジャム。黒糖を効かせて琺瑯鍋でコトコト。仕上げには前回記事でも書いたグリーンレモンを搾り入れました。
唸る美味しさ!
先日のハワイのお土産のお返しに、バレエのおばちゃんに送ったら、「今まで食べたあらゆるジャムの中で一番美味しい!」と大騒ぎでした。

















まあまあ吹き荒れた台風、へんこちゃんを玄関に入れて避難させようかと思いましたが、ちゃんと風雨の強さや風向きを見ながら犬小屋の中→玄関前の特設ふわふわバスタオル台→いつものお坊さん座布団と、上手に凌いでいました。写真は特設ふわふわバスタオル台にて。座布団ほどではないけれど気に入ったようで、バスタオルを揉み揉みして喜んでいました。
巨大過ぎ&分厚過ぎでしまい込んでいたバスタオル、日の目を浴びて良かったです。



















6月初旬のこと、popさんの同級生が亡くなりました。家も歩いて15分程の所にあり、popさんとは毎日のように遊んでいた幼馴染み、高校の合格発表も一緒に見に行った大親友でした。誕生日も僅か2日違いの2人。




彼はこのブログにも何度か登場していますが、フランスから宮崎に帰郷後、一番に会いに行ったのも彼でした。リーダーシップ的存在の彼は、すぐに同級生らに召集をかけ、popさんの帰郷と私の歓迎会を開いてくれました。由緒ある彼の大きな家にたくさんのお寿司やご馳走、大勢の人を集めてくれたものです。
熱い魂と共に童心も併せ持ち、クワガタ取りにもよく一緒に行ったのが懐かしいです。周りを纏めて引っ張る力を持っていて、行動力と人情味に溢れていました。小柄ながらハッキリとした顔立ちは、これぞ九州男児と言うその性格を反映しているようで、みんなから愛されました。

しかし、我が町を襲ったあの口蹄疫以降、豚舎を営んでいた彼の人生は荒廃して行きました。豚舎再建のいざこざで弟に経営権を半ば乗っ取られる形となり失職、家族は離散し、アルコールに溺れ、子供たちとも年に一度も会えるかどうかになって行きました。日雇い労働をしながら、アルコールに浸る日々。せっかく人一倍の能力と頑張りで月に4~50万も稼いでも、瞬く間にアルコールで失われました。飲んでワケがわからなくなっているのを良いことに、持っていたお金は騙し取られたり、スリ盗られたりが日常茶飯事。馬鹿が付くほど人がイイので、困っているからお金を貸してと言われるとすぐにポンと有り金すべてを渡してしまい、九分九厘は戻って来ない。
自宅には、どこまでが本当なのか確認のしようもない飲み屋やタクシーや代行の「ツケ」集金の人や手紙が続々。それでも「そんな料金、嘘でしょう」とも言えず、ご両親が頭をあちこちに下げては支払いしていました。町の人のみならず、友人たちからもアル中のクズ人間の烙印を押され、だんだんと関わりを避けるようになりました。
私たちもアルコール依存症治療の病院に何度も連れて行ったり、お金の被害を防ぐ為に出来るだけ飲み屋や町に出させないよう工夫していました。
でも、私たちも体力的・時間的に限界でした。日雇い労働の仕事は不規則なので昼夜を問わず我が家へやって来ると(常に酩酊状態にあったので、歩いて来られる距離の我が家は駆け込み寺でした)、2~3時間で済む筈は無く、半日は潰れる状態。私たちの仕事は家での仕事も多いので、たまりかねたpopさんが少し突っぱねるような厳しい言葉を伝えたところ、うちにヨロヨロと歩いてやって来る事は無くなりました。


日雇い労働の仕事も、山奥の過疎の村の道路工事で山に泊まり込みだったり、東北など県外での土木工事が多くなり、殆ど彼を見掛けなくなりました。携帯は持ってもすぐ無くすので番号が定まらず、連絡の取り様も無く、町の中心的存在だった彼の様子を知る人は居なくなりました。日雇い労働で相方をしてつるんでいた少し年下の男性が居ましたが、糖尿病で突如失明したそうで、ますます彼は一匹狼になっていたようです。
気付けば、最後に見たのがいつだったか思い出せない有り様です。








同級生の連絡網で「詳しいことはわからんが、家で亡くなっていたげな」と訃報を受けた時には、あれだけアルコールを飲んでいたのだから心臓発作か何かが起きて急死したのだと思い込んでいました。検死に出されるから葬儀は遅れるらしいと聞いても、自宅で死んでいたから検死が必要なのだと信じていました。それしか考えたくなかったのかもしれません。
数日後の夜、立て札を出すこともなく、ひっそりと葬儀場の奥の方に彼の名前が書かれているのが見えました。よほど注意して見ていない限り、彼の葬儀が行われていたとは気付かないようなやり方でした。その為、僅かに親戚の方が集まっている程度でした。
白い顔をしたお母さんが出迎え、
「いつもご迷惑お掛けして……本当にpopさんにはよくして貰ったのにこんな事になってすみません」
と、奥の小部屋へと案内して下さいました。
こう言う時に死因を聞くのは心苦しくもありましたが、popさんが
「何も知らんのですけど、どこか悪かったと?」
と訊ねると
「いや~、もう自分で……」
とおっしゃいました。
私たちは激しいショックを隠しながら、
「最後だから見てやって下さい」
とお母さんに言われるまま、遺体と対面しました。自殺と聞いたせいでしょうか、あまりにも苦しそうな顔をした彼がそこにいました。こちらまで苦しくなって目を背けると、ダメ息子でも異常なほどに彼を溺愛したお父さんが座っていました。私たちに困ったように笑いながら
「ありがとうね、pop君。俺もやるだけの事は全部やったと思って悔いは無いとやけど……ワケがわからんとよ」
とおっしゃいました。
彼とは一卵性親子のような強い結び付きのあったお父さん、まさか自宅で首を括っている息子の姿を発見するとは思っていなかったでしょう。
真っ赤に目を腫らしたお父さんに、あまり根掘り葉掘りも聞けませんでしたが、直近の状況からは原因が思い当たらない、ワケがわからんと繰り返していました。そして最後にポツリと
「pop君は体を大事にしないね(=しなさいの意)、この子の分まで……」と棺を見詰めていました。
疎遠になっていた彼の家族や子供たちは来ないかと思いましたが、ただ一人、間も無く成人する息子だけは姿を見せたのが救いでした。クールに振る舞っていても、手がガタガタと震えているのを見た時は堪りませんでしたが。










popさんとは身長も風貌も雰囲気も正反対、高校卒業後からの道も仕事も真逆の世界でした。にも関わらず、お互いに誰よりも信頼し合う友でした。
フランスに渡る際は東京からわざわざ彼の家を尋ね、フランスから宮崎へ帰って来る際は真っ先に国際電話で知らせたpopさん。その悲しみ、落ち込み様は計り知れない深いものでした。このままではpopさんが死んでしまうのではないかと危惧したほどで、私も非常にショックでパニックを再発しそうな程でしたが、努めて明るく振る舞い、日常を保つ事を心掛けました。そして、積極的に彼の死について話し合い、何とかして納得できる答えを2人で探しました。
それは、彼の死は自殺ではあるけれど、実際にはきっと病死のようなものだった……つまり、彼の意思で自殺を選んだのではなく、恐らくアルコール性の鬱が進行していたせいで、病気が勝手にそうさせたから病死、もしくは事故死とも言えるのではないかと言うものでした。これは私たち自身の納得とせめてもの慰めの為でもありますが、実際のところアルコール性の鬱の気は顕著にあったので、真実に近いのではないかと思います。
何度か連れて行ったアルコール依存症治療の専門病院では「アルコール性精神障害」と言われていましたが、彼が定期的に通院して鬱の治療などしている筈も無く、結果的に自殺にまで行き着いてしまったと考えると悔しいです。
しかし、同時に怒りも覚えます。迷路に迷い込んだかのような生きづらい人生だったでしょうが、何故もっと自分の体を大事にしてくれなかったのかと。

苦しそうな死に顔をしていた彼ですが、四十九日も済み、初盆も終え、苦しみから解き放たれている事を今はただ祈るばかりです。









本来ならば月末恒例お薦めクラシックのコーナーをお届けするのですが、今月はこうした事情から、生前に彼が愛した曲を捧げたいと思います。





◆シューマン:交響的練習曲 (P:マリア・グリンベルク)

https://www.youtube.com/watch?v=PXd68c_MNus



私が弾くピアノを何分でも何時間でも聴いていましたが、あまり軽快な楽しい曲は好みませんでした。
シューマンの交響的練習曲はとても気に入り、目を閉じて聴き入っていた姿が忘れられません。


マリア・グリンベルクの演奏、素晴らしいですね。
ユダヤ系であった為にロシアと戦争により弾圧を受け、活動を著しく制限されたので、あまり広く知られていない名ピアニストです。










◆ラフマニノフ:コレルリの主題による変奏曲 (P:ラサール・ベルマン)


パートⅠ
https://www.youtube.com/watch?v=AibT46te5-s



パートⅡ

https://www.youtube.com/watch?v=kQ5bdrEDgzE




ラフマニノフのコレルリの主題による変奏曲は私の大好きな曲なのですが、この曲は彼にとっては告解と懺悔の曲でした。
座禅をし、途中からは涙を流しながら
「ごめんなさい、ごめんなさい」
と呟いていました。彼を追い詰めてツラい
気持ちにしているのだろうかと思い、明るい曲を弾くと、あまり耳を傾けていませんでした。


彼のアルコール依存症治療を機に、そうした患者さんの為にボランティアで何度か演奏しましたが、これはどの人にも当てはまる傾向だと感じました。音楽療法を正式に勉強した事はありませんが、闇を抱えている人にとっては、明るい世界は眩しく苦しいものなのかもしれません。
暗闇に寄り添い、懺悔する場を求めているのでしょう。それはアルコールを断とうと苦しんでいる彼らにとって、精神的アルコールとなり得るのかもしれません。















みんなが眉をひそめようと、彼は私たちの永遠の友です。


重たい長文にお付き合い頂きありがとうございました。


























暑すぎるせいか、パソコンとスマホが触れないほどアツアツになります。それさえ無ければブログ活動もバリバリ出来るのですが(うそ)。
毎晩、ベッドサイドでスマホ充電をしていますが「気がついたら火のついたベッドに寝ていた」になるんじゃないかと、火災の危険を心配をするほど。布にくるんだ保冷剤で冷やしていますが、気温の高さも手伝って瞬く間に溶けます。
夏はみんなこう言うものなのかなぁ?
それと、パソコンをスリープにしているのに、暫くすると勝手に電源が点くようになりました。なんか「グォ~ン」っと言う、凄く機械が働いてますって感じの音もよくするようになったし、おかしいのでしょうか?2009年秋冬モデルのWindows7、まだ寿命には早いと思うのですが。





コレ、最近お気に入りのお菓子。
金沢の茶菓工房たろうの「もりの音」(リンクしてます)。
1cm角ほどのサイコロ型の可愛らしい和菓子で、良質な寒天をカリカリッとしたごく薄い飴で被っています。寒天ゼリーの程よい柔らかさと言い、外側の飴のカリッと具合と言い、実に絶妙!
正直、こう言うお菓子って見た目だけでしょう~と、ちょっと馬鹿にしていたのですが、飴のサクサクシャリシャリの中でほどける寒天がクセになります。馬鹿にしていたのに、リピ買いして虜になっちゃっています。
たろうは、老舗が立ち並ぶ和菓子の街の新進気鋭のお店。金沢の古き良き伝統を受け継ぎつつも、スタイリッシュで斬新な発想やデザインが魅力。「たろうのようかん」で有名になったので、羊羮が看板商品らしいですが、私はこのもりの音の方が独自性があってイイと思います。羊羮だけは、保守的なようですが、とらやの「おもかげ」が断トツの頂点に居る私なので。


この季節、冷蔵庫で冷やしておくと中身の寒天が更に美味しく、お茶うけにも最高です。擦りガラスのような見た目も涼しげ。着色料不使用で、白は砂糖、グリーンは抹茶、紫はブルーベリー、焦げ茶色は黒糖、ちゃんと味と食感が違います。
奥ゆかしい金沢らしさもあり、軽くて嵩張らないですし、お値段も可愛いので、お土産やちょっとしたプレゼントにピッタリです。














いらっしゃいませ。

写真撮影に乗り遅れた店員さん。
寒がり屋なので、暑さはへっちゃら!元気に遊び暮らしています。















元気女子と言えば、popさんのバレエのおばちゃん、またまたハワイに行って来ました。お土産はコーヒーとマカダミアナッツ。
お馴染みライオンコーヒー、このライオンが彫られた金のクリップが可愛いですよね。コーヒー自体の味と言うよりも、甘いバニラと香ばしいマカダミアナッツのフレーバーを楽しむコーヒーですね。香りが飛びやすいのでどんどん飲まなきゃ。
ミルクや砂糖をたっぷり入れるとスタバ風(とか言いつつ、浮き世離れした私は未だにスタバに入った事が無いのでイメージで!)。

真ん中のコナコーヒーは挽いていないコーヒー豆。我が家は断然お茶派ですが、粗めに挽いて味わってみようと思います。

マカダミアナッツは、どこだかの島の農園まで船で行って買ったそう。粒がシッカリしていて丸のまま、大きいのでリッチなナッツ感です。塩無しの状態で食べてみたいところです。

次は秋にスペイン紀行だそうな!
















「たかがパンツ、されどパンツって諺だっけ、それとも格言だっけ?」
ノアゴン、暑さで頭が少しやられている模様(笑)

この方は私と同じで暑いの苦手。
お互い、バテてはいないものの、暑さにうんざり気味。早く夏が終わって爽やかな秋よ来いと念じているノアゴンと私です。



~~前々回記事に頂いたコメントのお返事、今更ながらですが書きましたのでご覧になって下さい~~












ひょうたんの形をした青レモン。袋に3つ入っていましたが、全部ひょうたん型でした。これは蜜蜂が、レモンとひょうたんの花を交配させたからだそうです(うそ)。
多分、これは摘果レモンで、もう少し先になると、丸々とした青レモンがお目見えすると思います。

柑橘王国の宮崎では、この季節、様々な青い柑橘が出回ります。かぼすやすだち、平兵衛酢やライムと言った青くてなんぼの柑橘類は別として、柚子やレモン、みかんと言った、本来は黄色やオレンジに色付いてから食べる柑橘類の青い未熟果を味わうって、ちょっとだけ贅沢をしている気分になります。
青レモンはフランスではシトロンヴェールと言って、料理やドリンクによく使われます。マリネの漬け込み、皮も刻んでクスクスサラダに、炭酸水で割ったりと大活躍でした。
青レモンは出回る数も少なく期間も短いですが、爽やかな酸味と香り、ほんのり苦味もある皮もろとも味わい尽くせるのが魅力。日本で大量に出回る外国製の黄色いレモンの大半が、防カビ剤(発ガン性など体に強烈な毒のオンパレードとか……皮を食べられないのは当然ですが、実にまで染み込むと聞いて以来、一切買わなくなりました)を塗られているのに対し、青レモンはまず国産しか無いのも安心ですよね。











我が家の庭の橙も青いうちに1つだけ収穫。
かなり酸味が強いです。レモンよりも酸っぱいかも。
習慣で食べているもずく酢の酢替わりに使いました。













愛知から届いた温室みかん。冷蔵庫で冷やして食べる、夏のみかんもなかなかオツです。
若く青い柑橘もイイけれど、熟して色付いたみかんはやっぱり甘くて美味しいものです。















いかにも夏!と言う日差しと空の下、勢いよく葉を繁らせるマルベリーの木。
例の、実だけが熟さなくなる「キツネノヤリタケ」に侵されているとは思えないですよね!

日本の夏は楽しい夏休みと共に、広島と長崎の原爆の日、そして終戦の日と、戦争を思い返す時でもあります。失われた多くの命を悼み、戦争を悔い、永遠の平和を誓うお盆。

私の亡き祖父は大戦当時まだ10代の少年、特攻隊員でした。
物覚えが良く長身だったことから、手旗信号係をさせられたそうです。その手旗信号をしている間に、次々と同世代の仲間たちは空へと散ったのです。
戦況が日増しに悪化する中、祖父は急性盲腸炎になり、ロクに麻酔も無いまま軍医に手術をして貰い、七転八倒しているうちに終戦を迎えました。

手旗信号係に抜擢されたことと、ひどい盲腸になったこと、この2つが無ければ私もこの世に生まれ得ませんでした。
特攻隊ですから、隊の仲間は殆どが出撃し、生き残ったのは僅か数名でしたが、亡くなるまで毎年毎年、必ず全員で集まり、仲間に祈りを捧げに行っていました。



ここ宮崎の沿岸部も、B29の爆撃にたびたび襲われたそうです。あまり知られていませんが、九州を徹底的に潰し、宮崎の一ツ葉海岸から上陸して一気に北上すると言う作戦があったのだそうです。こんなにのどかな田舎なのに執拗に空襲を受けたのはその為だとか。
まだ幼かったpopさんのバレエのおばちゃんも、兄弟と共に防空壕に隠れながら、家路を逃げまどったと言います。


うちの近所のいちご農家のおばちゃんチヅちゃんは、popさんのバレエのおばちゃんと同級生で親戚。毎年、お盆にうちへ遊びに来ると戦争の話を聞かせてくれます。
チヅちゃんは、重要伝統的建造物群保存地区に国から指定されている美々津の育ちです。歴史的な町並みの美しい美々津のことは、私のブログでも何度かご紹介していますね。
チヅちゃんのお父さんは病弱だった為に兵役を逃れ、地域の世話役をしていたそうです。ある日のこと、熱を出した幼いチヅちゃんは、お父さんに連れられて美々津病院に向かっていました。病院に行くには川を小舟で渡らねばなりません。美々津を流れるエメラルドグリーンの美しい川、耳川です。
耳川を渡りきろうかと言う時、B29の群れがやって来ました。どうにか岸に辿り着いた途端、爆撃が始まりました。石だらけの河川敷を必死に走り、お父さんが「チヅ子、伏せ、伏せーーー!」と叫びました。次の瞬間、さっきまで乗っていた小舟は粉々になっていました。そして、その直後、美々津大橋がドーンと崩れ落ちるのが見えました。橋を通っていた車が落っこちて行きました。


チヅちゃんは、政治的な活動は全くしていないお喋り好きな農家のおばちゃんですが、この季節になると憲法第9条が書かれたTシャツを着ています。


ツイッターで「ゆとり教育で育った今の若者が戦争に行きたくないのは、利己的個人主義だ」と発言した議員が居るそうですが、自己チューだろうと何主義だろうと、戦争を放棄する人間であることは何より尊い!
どんな大義名分があろうと、国の為に武器を担いで人を殺しに行くなんて、美しくも無ければ誇りでもありません。
自由も無く、情報も教育も悪かった昔と違って、戦争に行きたくないと言える日本、素晴らしいことだと思います。
















武器よさらば!
シュワッチ!