小さい頃から
「他人に意地悪をする人はいつか報いを受ける」
的呪いの予言が存在しました。私に意地悪をした人がその後報いを受けたかわかりません。意地悪をしたという認識もないかも知れません。このように、両者に認識のズレがある場合は誰が報いを与えるべきかどうか判定するのでしょう。
「地獄へ落ちる」
と似ています。私が意地悪なつもりでなくても、別な人は意地悪と受け取っているかも知れない、その人が閻魔様に言いつけたら私は報いを受けるのでしょうか。
 
 実は報いなんてない、地獄なんてない、支配者層が被支配者層を操るために作り出した幻想でしかないとしたら、それを知ったらみんな悪い人間になるのでしょうか。
「怠け者怠け者怠け者、努力しろ努力しろ努力しろ」
と合唱し続ける人も、そうしないとみんなが怠け者になって努力しなくなると心配しているのでしょう。
 本当にそうでしょうか。人間は誰でも自分のことを良い人間だと思っているそうですが、呪いの予言がなければ悪人になりたいのでしょうか。
 
 呪いの予言の原型は子供のしつけです。倫理観が内部で完成していない子供は呪いの予言で縛るしかありません。これは私も賛成です。大人に畏敬の念を全く抱かないような、しつけの悪い馬鹿餓鬼が増殖するのは真っ平です。(事情を知らない他人が叱りつけてもいいという意味ではありません)
 しかし大人になる過程のどこかで呪いの予言を解かなければなりません。普通は自然に解けるのでしょうか。子供の道徳はもういらない、これからは大人の道徳 、嘘をつくのは必要なこと、他人の言うことは必ずしも聞かなくてよい、意地悪と思われたところでバチなど当たらない、地獄なんてない、裁く神など、いない。
 
 と書くとまた説教されるんではないかという妄想にボッと火がつきます。これが神でしょうか。
「嘘をついてはいけないと思います」「人に意地悪をするのはよくないと思います」
頭の悪い神だな。こんな神に支配される私の方がアレですけど。
 
 
 7月12日の記事。選挙特番、すぐ出口調査の結果が出て大きな番狂わせもなく、全然ワクワクしないではありませんか。民主党勝ちすぎだし。丸川珠代が当選するとは思いませんでした。
 近づく参院選記念、説教するシリーズ第2弾。政界関係者の方はこのブログをご覧になっていないと思いますが、ご覧の通りネタでして、テンプレ に適当な用語を当てはめただけのものであり、何か意味がありそうに見えたとしてもそれは偶然の一致ですので怒らないで下さい。
 
 
 あなたは美しい国と言うけれど、具体的にどんな消費税を予定しているのかあまり説明していませんね。
 赤城パパママに失礼ですよ。都合のいい時だけ拉致問題はひきょうですよ。
 私の周囲の人は「自分の得になりそうなら」年金問題を追及します。
 そんな都合のいい支持率低下はありませんよ。
 景気対策はどこいったがなんだという気概が欲しいということです。
 
 
せん越ながら、ライバル民主党の小沢代表にも。
 
 
 あなたは参院選敗北なら政界引退と言うけれど、具体的に衆院での与野党逆転まで説明していませんね。
 丸川珠代に失礼ですよ。都合のいい時だけテレビCMはひきょうですよ。
 私の周囲の人は「マスコミ報道に踊らされて」今回は民主党に投票しようかしらと言っています。
 そんな都合のいい農業従事者票はありませんよ。
 反自民だけで政権奪取のインパクトがないがなんだという気概が欲しいということです。
 
 
 どこに投票しようかしら。まずは必ず投票に行こうという気概が欲しいということです。
 なお、上記テンプレはパクリです。元ネタはミラーブログのコメント欄です。しかし恐ろしさのあまり削除しました。さらに、あまりの恐ろしさにネタにしてしまいました。
 原作者本人が著作権違反であると受け取られるなら、ご本人からの申し出によってのみ記事の公開を控えます。ただし、身元のわかるブログをお示しください。本人確認のため、いくつか質問をさせていただきます。サイトがなければメールアドレスでも結構ですが、やり取りは全て公開します。
 
 
 7月11日の記事。本日の選挙終了を待って投稿。私も今日投票に行ってきました。これから延々と選挙特番見ます。私の1票が日本の今後を決める(訳はない)と思うと楽しみです。
 メールアドレス変更の話題 がまだ続くのですが、私はPDA時代に大量のメールマガジンを購読 していました。大半は発行されなくなっていましたが、まだ続いているものもあります。
 今、旧アドレスに溜まっていた2年分のメルマガを意地になって読んでいます。なぜ2年分かというともちろんブログを始めたからです。そのうち読もうとずっと放置していました。
 
 その中で、メルマガとブログについて書いた文章がありました。メルマガをメインとする人から見たブログに対する視点はブログ上ではなかなか見かけないので印象的でした。この方の メルマガです。現在はブログもやっていらっしゃいます。
 
(閉鎖するブログを見て)親密度の距離感の違う人たちから、どやどやと土足で入られてしまい、それを拒絶すると逆恨みされるという感じ。
 
 これはまさに、と焼きつきます。異文化交流議論初期のコミュニケーション体系図 からも、他者と交流するスタイルは個々が自分のキャラクターや経験から構築した独自のスタイルを持っていることが伺えます。
 現実世界の友人とは、関係を維持しようとするのは私の方です。私が是非ずっと友人でいたいほど魅力的な人でないからでしょう。だから、私が
「この人とはつき合いたくないな」
と思えば簡単に距離を置くことができました。(コミュニティは除く)私が嫌なのになお粘着されるという経験はブログ上独自のものです。
 
 ネット以外の世界では、最初から親しげに話しかけてくる人の方が友達多くて人間関係うまくいっていそうですが、ブログだと裏目に出そうです。
 なぜなら、初めて誰かと出会う場所というのは学校なり職場なりサークル、場合によっては電車の中とかスーパーマーケットということもあるかも知れませんが、どちらにとってもパブリックな場所であるのが普通だからです。
 
 ブログがパブリックでないとは言いませんが、自分のスペースか相手のスペースかで、同じ相手でも位置関係が違ってきます。上司と部下、教師と生徒のような上下関係のある間柄でも、相手の家に行けばそれなりに相手を立てるものです。
 掲示板や第3者のブログで知り合う(私はこのパターンが多い)のでなければ、自分のスペースに相手が入ってくるか、相手のスペースに自分がお邪魔するかどちらかです。
 この意識の有無、距離の取り方に大きな差があれば最初から致命的です。相手がどっちかわからない場合は最初から親しげにするよりは距離を取りつつ慎重に近づいた方が問題が発生しません。
 
 こうして書いてみると、第3者のブログで知り合うというのは合理的です。読者→交流者ではなく交流者→読者というのはSNSへ行けな発想でありましょうか。ブログ文化論的にもコミュニティ、ネットワーク論的にも興味深いです。
 
 
 7月10日の記事。発達障害に興味があった訳でもなく関係者でもない人を何人も引っ張りこんでしまいました。その人たちのコメントが私の浅い記事に深みを与えてくれます。直接対話していなくても、他でよく見かける人だと安心感あります。
 昨日の記事「PDA落ち 」の続き。今までメールアドレス変更しなかったのは、それに伴っていろいろなものを変更したり連絡したりしなければならないのが面倒だったのと、もしかしたら何年かぶりに思い出して連絡くれる人がいるかも知れないという、ほとんどあり得ない期待からでした。
 
 PDAのアドレス帳には、私こんなに知り合いいたっけ、というくらい膨大な登録があります。どこで知り合ったかわからない人もいれば、懐かしい、今頃どうしているだろう、と思い出す人もいます。
 懐かしいと思っても、何年も音信不通だと、わざわざアドレス変更知らせるのはどうだろう、と迷い始めてドツボにはまります。向こうは私のことを忘れているかも知れないし、とっくにこのアドレスは無効になっているかも知れません。私も、誰かわからない人から引越し通知もらったことがあります。
 
 わざわざお知らせするのは数人で、あとはリセットです。何年かに1回、こういう連絡先整理があってもいいかも知れません。どの時点で友達でなくなるのかあいまいだったのですが、コミュニティ解散後つき合いがなければもう友達ではない のです。ついノスタルジーに浸ってしまいますが、リセットする勇気も必要です。アドレス帳を見るまで思い出しもしなかったのですから。
 
 今後連絡を取りたくなる人がいるかもとつい惜しくなってしまいますが、向こうも普段つき合いがないのに都合のいい時だけ利用されるのは迷惑でしょう。と書いているうちに気づきました。
 悲しいことに、突然10何年ぶりかに連絡してくる元同級生というのはたいてい何かの営業なのです。人脈を維持したいなら、年1回の年賀状だけでもいいから完全に切れないようにしておくべきです。
 
 
 7月8日の記事。昨日のこの場所で、
「コメントやトラックバックもトップページからわかるようにして欲しい」
と書いたら今日コメントリンクができていました。間違い1周年メールの時も書いたらすぐ気づいてくれた(違うだろ)し、アメーバ様の対処の早さは素晴らしいです。
 トラックバックは、デフォルト不可なくらいだから仕方ありません。サイドバーに出なくなってから、古い記事についても私以外気づきません。しかもスパムだけ。
 今日は2007年7月7日でスリーセブンとそこかしこで話題になっておりますが、平成も12年までは毎年そんなこと言っていたなと若かりし日を思い出します。
 
 その平成12年以前からメインで使っていたメールアドレスを変更することにしました。私は当時PCを所有してなく、PDA(ウィキペディアによる解説 )を使っていました。
 自宅にPCがあるという人もいましたが、1人暮らしの貧乏OLには価格的にも技術的にも敷居の高いものでした。会社でPCは使っていましたが、まだネットにつながっていませんでした。知り合いからは、購入したもののつなぐことすらできずに放置してあるという恐ろしい話も聞きました。
 
 PDAは、キーボードがついていて、携帯とつないでメールの送受信ができ、少しならインターネットをのぞくこともでき(課金と電池消費が恐ろしくて長時間はつなげない)、メモ帳にもスケジュール帳にもなるので大変便利でした。雑誌には
「PCに近い機能で持ち歩き便利なPDA型の端末が今後の主流となる」
みたいな予測も載っていました。
 
 しかし、iモードの大ヒット、携帯電話の驚異的な技術革新により、PDAはあっと言う間に忘れ去られてしまいました。人前で使うと
「何それ」「電子手帳?」
と聞かれるのが苦痛でした。面倒なので電子手帳だと答えてしまいますが、PDAは電子手帳ではないのだ、と数少ないPDAファンにはこだわりがあります。
 その後、PCを所有するようになっても、メールは、PCからPDA用メールの保管ページ(適切な用語が浮かばない)にアクセスしてWebメールのように使っていました。ところがようやく、そのアドレスの維持に月500円かかっていることに気づきました。(やっとか)
 
 解約の前に、Web上に保存してあるメールの整理をしました。このアドレスには、携帯電話の料金が毎月メールで来ていましたが、PDA時代の携帯電話代は6~7000円、今は2000円台です。PC所有に伴い発生したプロバイダー料金を足してもまだ今の方が安いです。
 競争激化による値下げもありましたし、PC本体買うよりはお得だったにせよ、メールを受信するためには携帯電話につないで保管場所(適切な用語が浮かばない)からダウンロードしなければならず、その度にガンガン課金されていたあの時代を、若干の震えを伴い思い出したのでした。
 
 
 7月7日の記事。今日(7月26日)から、ペタ(足跡機能)がついたらマイページのトップに出るようになったのですが、それよりもコメントやトラックバックがトップから一目でわかりたいです。アメブロ的にはコメント、トラバよりもペタ、メッセージなのでした。