海風さんははてなに、きーさんは FC2 にステージを移し、みつくるさんとわたりとりさんは更新停止宣言して、異文化交流議論終了(まだだけど)と共に身辺あわただしくなりました。
 私だけ何もしないのも何なので、 Firefox と IE7 をダウンロードしてみました。何の意味があるのかというと、 Firefox をいろいろ試行錯誤しながらカスタマイズしておりますと、新しいことに果敢に挑戦するアクティブな私の気分になるのです。この記事も、初めて Firefox から投稿してみました。違いありますか。
 
 こういう時は自分も何かしなければならないのではとやたらあせってしまいますが、これまでの人生経験パターンから察すると、そこで慌てるとろくなことにならないので、こういう時こそ腰を据え、初心に帰るのです。
 ブログ3年寿命説が言われますが、3年経つと何らかの変化を促進するものが出てくるのでしょう。自分の内側からも外側からも。書くべきことは全て書いた、ネット外の生活に変化が生じた、ネットの優先順位が落ちてきた、別なことに時間を注ぎたくなった、などなど。
 
 ブログを始めて2年半を越えましたが、同じ頃始めた方々がそれぞれ脱皮の時期をお迎えになったようです。私はかなりこそこそ脱皮して参りました。ブログタイトルを変えてみたり、ミラーブログのアメブロでの登録ジャンルを変えたり、一応自分なりに方向性は持っていました。
 
 今書いている記事も楽しんで書けておりますが、このブログの最も価値ある部分は最初の半年間にあると思っています。アメブロ版のアクセス解析を見ます と、今も2005年の過去ログは読まれ続けています。2006年よりも読まれています。もうああいう記事は書けないでしょう。説教が恐ろしいし、私自身、
「診断されたばかりで戸惑いながらも試行錯誤をしていた」
心理ではなくなって参りました。もうあの頃には戻れないしあの頃と同じ心情で書くことはできません。
 
 ブログは更新が止まれば訪問者は減り、検索順位も落ちて行き、他のブログで話題にされることもなくなります。ブログという媒体の宿命です。古いものは新 しいものに日々取って代わられるのです。更新し続けることで、ブログは現役で活動を続け、多くの人の目に留まりやすくなります。
 たとえテーマが代わっても、「あの半年間」をネットの中で生かし続けるためだけでも(もちろんそれだけではありませんが)、ここで更新する意味はあります。
 
 脱皮して羽ばたいて行く皆様へ。私はまだここにいます。ここから吸収できるものはまだまだありそうなので。そして、ひとまわり大きくなった皆様に再会できることを祈ってお待ちしております。
 
 
 9月2日の記事。早くアメーバのサーバーが安定し、RSSが正常に配信されることも祈ってお待ちしております。
 わたりとりさんの、異文化交流議論ラスト記事(でいいんですよね)、んで、なんで私はYahoo! BLOGSかという話 より。
 
みーんな忘れてるだろうけど、異文化交流議論て「Yahoo!ユーザー」うんぬん発言に私がガブったとこから始まってるのね。
 
 そうでしたね。忘れておりました。第1次ブログ文化論争 から1年経った昨年12月、鈍い私は、この噛みつき事件と、わたりとりさんがブログ文化論争フィードバックレポートをブログのトップに上げて出張に出かけられたことを全然結びつけないまま釣られてしまいました。この前後の経緯はこちら
 
 こうして、ブログ文化論争とは別な切り口で、異文化交流議論はスタートしました。Yahooブログユーザーは書きたいことを持たない、ブログの楽しみを知らない、お友達が欲しい人向き、というのは今見るとかなり偏見いっぱいに見えます。
 当時は見慣れていたのでそれほど奇異には感じませんでした。第1次ブログ文化論争の頃に比べると
「Yahooは・・・うんぬん」
系の文は見なくなりました。転載がデフォルト不可になり、コメント欄の文字数が増えたからかも知れませんし、転載議論等を通して世間の(ってどこ?)偏見が薄くなってきたからかも知れません。
 
 Yahooブログに初心者が多いのは本当でしょう。私同様、Yahooをトップページに設定していたから、他のサービスと比較検討することなくYahooでブログを始めた人は多いと思われます。
 私はブログというものを知ったばかりで、ろくに他の人のブログを読まないまま書き手になりました。それがよかったのか悪かったのかは検証不能ですが、あえて「もしも」を考えると。
 
 他のブログのコメント欄が荒れているのを見て、ビビって自分では開設しなかったかも知れません。Yahooブログよりもきれいで軽いサービスを選んだかも知れません。
 そうしたらどうなっていたでしょう。同化圧力に速攻つぶされたでしょうか。誰も来なくてすぐ止めてしまっていたでしょうか。やはり似たような人たちに出会い、似たような経緯をたどって現在に至っていた可能性もあります。そうしたら
「Yahooってば重いし見づらいしコメント入れづらいし」
と言う側だったかも知れません。
 
 あの時余分な知識がなくて本当によかったです。他のブログサービスの方が、機能が充実していてきれいで軽くて利用者のレベルが高いなんて知らなくてよかったです。私はとりあえず自分の思考をまとめたかっただけなので
「Yahooブログは書きたいことがなくてお友達が欲しいだけの人向けのサービスですよ」
と教えられていたらパスしたでしょう。そんなこと教える人がいなくてよかったです。神の贈り物 です。
 
 
 8月30日の記事。異文化交流議論とはてなVSYahooネタは切っても切れませんが、一部の人以外には内輪ネタっぽく見えることでしょう。
 アメーバRSS に30件しか登録できないことを初めて知りました。31件目を登録しようとして弾かれたからです。アメブロはいくらでも登録できます(制限があるのかわかりませんが、700くらい登録している人を見たことがあります)のに、他社ブログに冷たいのはどこも一緒です。
 
 MyYahooは反応が遅いので別なRSSを始めたいのですが、そのためにはまたどこかのwebサービスに登録してIDとパスワードを取らないといけないのかと思うと躊躇します。
 Yahooにアメーバ、mixi、携帯やクレジットカードのマイページなど、いったいいくつのIDとパスワードを持っているでしょう。恐ろしくて数えられませんが、10は軽く越えています。パソコンを所有する現代人はみんなそんなでしょう。
 
 匿名論争の中で、webサービスの垣根を越えて共有IDにすることで匿名の攻撃を防ごうという案がありました。その方が面倒くさくなく、気兼ねなく好きなサービスを利用でき、そういうものだと思えば楽かも知れませんが、携帯やクレジットカードの会社が
「このブログを書いているのはどこに住む何の誰々だ」
とわかってしまうということですね。わざわざ調べることはないだろうとはいえ、いや、もしかすると既にわかるようになっているのかも知れません。調べようと思えば。
 
 ネット上に住所や本名を書く時は今も恐怖を感じます。しかしその感覚をマヒさせなければならない時代にもなってきました。不安に負けて身元を偽ると犯罪者扱い されます。
 転職活動の舞台が求人誌からwebに移行した ということは、自分の経歴をweb上にいくつも登録しなければなりませんが、それがもれたという事件もあったようです。
 
 グーグルのアカウントを取った時、自分の検索履歴が記録されることにビビリましたが、じき慣れました。初めてネットに接続した時、検索だけできれば十分だったはずなのに、個人情報と引き換えにネットの便利さを享受し始め、後戻りが効かなくなっていきます。
 
 
 8月28日の記事。結局GeoogleReaderを使っています。まだアメーバと併用ですが。今ブラウザをFireFoxにしていますが、GeoogleReaderには一発登録できて便利です。今夜もこのブログのRSSは飛ばないのでしょう。
 私はネットで知り合った人とオフで会ったことは1度もないのですが、牛男さんが一時帰国中にブログ仲間とお会いになったというお話 を読みますと、そういうのもなかなか楽しそうに見えます。
 私のリア友にも、オフ会に積極的に参加する人がいます。ネットで知り合うというのが特別なものでなく、出会いのきっかけの1つという捉え方になっていくのかも知れません。
 
 しかし自分が、となると、怖くて踏み出せそうにありません。オフ会の後まもなく更新が止まったり閉鎖してしまったブログもありました。仲良くなりすぎて、集団でmixiに行ってしまったのでしょうか。
 私の性格の悪さがわかってしまったらどうしよう、逆に
「全然変じゃない、普通だ」
(翻訳→あなたは嘘つきだ、あるいは変という言葉を間違って使っている馬鹿ですね)
と言われたらどうしよう、会う以前にはもう戻れなくなるのだ、と思うと恐ろしいのです。せっかくよい関係が構築できているのにわざわざ壊すことはありません。
 
 オフ会に出て行くとしたら、ブログの更新を止める覚悟ができた時でしょう。もう2度と戻れないかも知れない、しかし逆にもっと親しくなれるかも知れません。その賭けに挑むことができる日が来るでしょうか。
 それでも、それだけの危険と恐怖を乗り越えても、距離を縮めてみたいという願望はあります。現状維持はあり得ません。いずれ何らかの形で、変化はありま す。自分ではずっと現状維持して行きたいと思っても、現実の世界もネット事情もめまぐるしく変わります。私にとっても、他の人にとっても。
 コミュニティがいつかは解散していくように、気がついたら道が分かれてしまっていた、ということは起こり得ることです。
 
 ブログには情報発信とコミュニケーションの2つの柱があるので、何らかの形で情報発信ができなくなる、あるいは発信の内容や形態が変わることで、コミュニケーションの方も変わっていかざるを得ないでしょう。変化を恐れてはいけないのです。
 
 
 8月26日の記事。昨日午後7時~翌午前1時までアメブロがRSS配信を停止していたことを、私ははてなブックマークで知りました。今夜も停止中。
 アメブロ版 の添え文で
説教するニート>>>越えられない壁>>>労働者
シリーズを書いていますが、新しい視点が得られてなかなか面白いです。
 ニートニートと一口に言いますが、ニートとはどういう人たちなのでしょう。ウィキペディって みました。(以下、引用は全てここから)
 
イギリスの定義(語源)
「16~18歳の教育機関に所属せず、雇用されておらず、職業訓練に参加していない者」
「Not in Education, Employment or Training」の略語
 
日本の定義(厚生労働省)
「労働者・失業者・主婦・学生」のいずれにも該当しない「その他」の人口から、「15~34歳」までの若年者のみを抽出した人口(若年無業者)
 
日本の定義(内閣府)
高校や大学などの学校及び予備校・専修学校などに通学しておらず、配偶者のいない独身者であり、ふだん収入を伴う仕事をしていない15歳以上 34歳以下の個人
 
 ニートの人数は各種調査が紹介されていますが、家事手伝いを除き、学籍はあるが通学していない学生を除き、家事をしていない既婚者を除くと50万人くらいです。
 病気療養中、自宅浪人中、留学や起業準備中の人も含まれるとなると、一般的なイメージのニートは半分以下とか3分の1以下かも知れません。思ったほど多くない、という印象です。
 
 もっと驚いたのは、ニート本人の年収があることです。1円も稼いでいないからニートなんではないですか。年収300万以上のニートが約2.5%もいると は、それなら私もなりたいです。年収も100万以上あるなら、フリーターもしくは自営業ではないでしょうか。例えば6月まで労働者でその後たまたまニート と定義される状態にあった、ということなら、やはり一般的なイメージのニートとは異なります。
 
 一般的にイメージするいわゆるニート(健康で労働意欲がなくて親に養われている成人)は本当にいるのでしょうか。全くいないとは申しませんが、実在はするのでしょうが、登校拒否や引きこもりの一因ではないかと言われた慢性疲労症候群 だけでも国内で20万人くらいいるそうです。他に、未診断の発達障害者や精神疾患の人もいるでしょう。
 ニートの疾患説は非常に抵抗をもって受け取られます。適切な治療を施せば治癒する可能性もあるのに、怠け病、言い訳、と揶揄されます。
 だから説教してもいいとは絶対に申しませんが。統計上のある分類をニートと名づけたことで「いわゆるニート」が誕生したのかも知れません。
 
 
 8月25日の記事。ウィキペディアだけ信じてはいけませんが、人口統計の数字が都合よく利用されている感はあります。不労所得のみの人は、私の中では非ニートです。実態はどうあれ、社会的な肩書き、位置を持っている人も非ニート。人によって異なると思いますが。