すべからく 【広辞苑第四版より】
 【須く】《副》(為すベカリのク語法。多くの場合、下の「べし」と呼応する)なすべきこととして。当然。
 
 広辞苑から面白い言葉を選んで五十音順にタイトルにするシリーズ第13弾。これだけだとじぇんじぇんわからないので例文を引きます。(広辞苑から)
 
三宝絵詞「すべからくあながちおぼつかなさをあきらめむ」
 ???
 
徒然草「すべからくまづ其の心づかひを修行すべし」
 平安時代の三宝絵詞に比べると江戸時代の徒然草はまだ意味がつかみやすいですね。
 
出典なし「学生はすべからく勉強すべきだ」
 古文だけだと私のような教養のない者がわかりにくいと思ったのか、現代語登場です。
「学生がなすべきことは勉強すべきだ」
は変だし、
「学生は当然勉強すべきだ」
も頭の固い大人みたいで感じ悪いです。
「学生は全て勉強すべきだ」
はむしろしっくり来るし、元のニュアンスを崩してもいないのですが、この使い方は間違いなのです。
 
 「すべからく」でググると、「すべて」の意味で使うのは誤用かどうか、慣習として定着したのかしないのかとか、そういう話ばっかりです。定着派もいますが少数です。何で定着しないかというと、
「その使い方は間違いですよ」
と人に指摘したい(あるいは心の中で笑ってやりたい)という一部のいぢわるい人の願望のためではないかと、いぢわるい私は妄想します。こういう人たちは、目を皿のようにして人の間違いを探して、見つけると嬉々として飛んできそうです。
 
 この辺の事情を含めると、広辞苑よりもはてなキーワード が詳しいです。学生の勉強の例文はどっちとも取れるし、発信者受信者それぞれのすべからく観が違っていても、意思疎通における齟齬はなさそうです。現代日本語としては、本来の使い方をすると不自然な感じがします。
「すべきことは~すべきだ」
的なところが。
 そういえば、ちょっと似ている「すべらか 」も、間違いではないんだけど使うと間違いですよと指摘されそうな言葉で、怖くて使えません。
 誤字だと指摘されるのが怖いなら、すべからくすべからくを使用しないようにするべきです。
 
 
 9月22日の記事。「あたし彼女」や「リアル鬼ごっこ」が文学として認められそうである以上、個人ブログに国語の教科書並の正しい表現を求めることはないでしょう。古文で書かないといかんくなります。
 トルネードブルー、イエロー、ブラックの3人はエメラルドシティーを後にし、地図に示された場所に向かった。坂道をさらに上ったところにある、2階建ての古いビルだった。本当に、こんなところにホストコンピュータがあるのだろうか。階段で2階に上ると、1つだけドアがあり、鍵がかかっていた。
黒「壊して中に入ろう」
青「器物破損と住居侵入で捕まらないの」
黄「正義の味方だから大丈夫だろう」
うーむ、正義の味方の名の下にこのような横暴が許されるのだろうか。最近の仮面ライダーは、その辺りの横暴を合法化するために警察と組んでいると聞いたことがある。見てないけど。
 
 ブラックがドアノブの横をげんこつで殴ると、バキッと音がして穴が空いた。そこから手を入れ、中からロックを開けた。だだっ広い部屋の真ん中に、ポツンと人が座っていた。
青「誰かいる」
黄「いや、あれはロボットだ」
行儀よく椅子に座った形のロボットからは、たくさんのケーブルが床に伸びていた。その姿は、ハヤミにそっくりだった。
青「ハヤミさん」
黒「これが噂のホストコンピュータか」
青「は、ホストコンピュータってそういう意味だったの」
確かにハヤミはホスト だったが、あまりのくだらなさに倒れそうになった。
黄「早速文字通りの意味で破壊するか」
青「ちょっと待ってちょっと待ってちょっと待って」
ハヤミの姿があまりにも精巧なので、壊すにはためらうものがある。
青「ソフトだけ壊せばAYAKAは動かなくなるんじゃないの」
黒「面倒くさいよ」
黄「その間に誰か来るかも知れないし」
青「でもハヤミさんを壊すなんて」
黒「これは人間じゃないって」
ブルーはハヤミの、ではなくハヤミそっくりのホストコンピュータの前に座り、膝の上に置かれているキーボードを操作した。お腹の部分が開いてモニタになった。次に、Yahoo村から借りた端末をつなぎ、侵入を試みた。
 
 
 当方、コンピュータのハッキング等に全く詳しくないため、描写がおかしいかも知れませんが、妄想につき、指摘しないで下さい。
 今日はもうあれですね、台風が直撃して東京ドームの試合が中止にならないかしらという勢いですね。でも中止を決めるのは主催者サイドだから、巨人主催で選手ももう来ているのに(選手が来れないという理由で中止になったことはある)、観戦に来るファンの安全や帰宅の交通手段を配慮して中止、ということはないでしょうね。
 前回までのお話はテーマ「妄想」 からどうぞ。
 
 
 9月21日の記事。今日の巨人の試合は終わって、勝っていて、阪神はまだ試合中で、勝っています。これで負けたら巨人の単独首位となってしまいます。毎日スレスレなのに、単独首位にさせたことはありません。だから今日も大丈夫でしょう。ここにその日の試合のことを書く時はたいがい試合中で、結果が全然違うことがしばしばあります。
 おれはおまえのパパじゃない様 ネットの人と会うことについて
 
 この記事を、はてなブックマークの「注目のエントリー」で見つけて私がYahoo!ブクマ した時、ついていたはてブは5うぜーずだったのですが、絶対ホッテントリ(hot entry)入りすると予感しました。賛成反対含め、多くの人の心の琴線に触れるであろう内容だからです。
 
 予想通り、たくさんのブクマがつきました。本文もさることながら、はてブコメント や言及記事にも、私のデリケートな神経はズキズキです。
「この人と定期的に会う関係になりたい、みたいなのはあまりないけど、一回見てみたいという人はいっぱいいる」
「出会って別れてのローテーションを早めるか、1人1人との関係を長くとるか、の違い」
「ネットの関係は会えば終わる」
「会ってみると友達になる(継続的に交流が続く)は別」
え、そういうものなんですか。会ったらさらに仲良くなるのではなく。ネットで知り合った人と会うなんて考えられなかった頃もありましたが、人のオフレポ見ると楽しそうで、私もいつか、と妄想しておりました。
 
 ブロガーやサイト主に会いたがる人というのは、ネット上の関係を超えて親密度の距離感を縮めたい というのではなくて、珍獣見てみたいな感覚の人が多いのですか。会うと気が済んでしまうのか、はあ、自分にそういう感覚がなくて気づきませんでした。
 
 会ったら関係が途切れるというのはあり得ると思っていたけれど、会ったら嫌いになったとかでなく、最初から珍獣意識かいな。いや、本当に会ったら嫌いになるということはあるでしょうけど。
 私もネットで誰かと知り合って新しい友達を作りたかった のです。会う前から
「今後友達づきあいしてくれるつもりなんですか、それとも珍獣見たいんですか」
と確認取るのは明らかにケンカふっかけているし、文脈把握力 がなっていません。
 
 リアルの私は友達としては魅力に欠ける人なのですが、書いているブログが好きだという人なら
(ブログ+リアル)÷2
で合格点にしてもらえないだろうかという期待がありました。しかしリンク先の記事を見ると、ブログはブログでリアルはリアルみたいです。リアル単独で魅力がないとお友達になってもらえないのですね。がく。
 
 
 9月15日の記事。清原の特番見ていましたが、あの年齢でヒゲが白すぎです。阪神×ヤクルト、途中まで5対0で勝っていて今日は勝つだろうと思っていたら、逆転されていました。試合のない巨人と差をつけるチャンスだったのに、またゲーム差なし。
 socioarc様「空気読み力」の構成要素 によると、空気読み力にもいろいろあるようです。このように細分化してもらうと空気の正体がよく見え、対策が立てやすくなります。その細分化した能力は、下記のようになります。
 
1 文脈把握力(本文中では理解力、後で出て来るチェックテストでは把握力)
 社会、集団、会話などの場で形成されているコンテクスト(文脈)を理解する力
 
2 人間洞察力
 他人の言外のメッセージや真の意図を、細かい言葉の機微や抑揚、表情、態度などから読み取るスキル
 
3 会話柔軟力
 本心と異なっていても相手に合わせたり、その場での役割を演出する力
 
4 TPO力
 TPOをわきまえた言動をする力
 
5 空気支配力
 自ら空気を作り、運用する力
 
 リンク先のチェックテスト によると私は「2 人間洞察力」が0点で、一番高い(当社比)のは「4 TPO力」でした。なるほど、私が人間洞察力を身につけるのは困難でしょう。と書くと説教されそうなので、他の分野を先に延ばすことを考えた方がよさそう、としておきます。
 それとも、得意分野を延ばすほど苦手分野とのギャップが大きくなって余計悪意があるように見えるという、発達障害者にありがちなことがここでも起こるのでしょうか。
 
 1の文脈把握力は2番目に低かったのですが、これも難題です。
「そこはね、わかるだろ」「はっきりさせておくことはあなたにとっても損だよ」
とか何とか言って、それが問題になると必殺掌返しで非難し始める、ということを何度も経験してきたからです。
「そんなこと言っていない」
ええ、言っていないでしょうとも。わかるだろ、で済ませているのですから。
 
 この手のことが、悪意の責任逃れなのか私の読み違いなのか不明です。本当に読み違えたこともあったと思います。読み違いがないように言葉で確認すると怒り出される こともあります。
 私が書くだけだと信頼性が薄いので、次のブログ記事の、校門圧死事件(チャイムと同時に閉められた校門の鉄扉に挟まれ高校生が亡くなった事件)の教諭について書いた部分の一文を引用します。
 
元)登校拒否系様
「永遠の嘘をついてくれ」――「美しい国」と「無法者」の華麗なデュエット 前編 より

彼は「決められたこと」の忠実なる僕(しもべ)であった。しかし「決められたこと」は誰がいつ決めたのかも、本当に存在するのかもわからない蜃気楼のようなものだった。
 
 変な責任を押しつけられそうな時は、空気読めないふりをすることも空気読み力です。文脈把握力とはそういうことなんでしょう。
 
 
 9月14日の記事。私も空気読めないふりをしているふりをしています。10月に入ったので(関係ない)コメントを受けつけない設定にしてみました。管理の負担を軽くするためです。予告なく戻すかも知れません。
 ネット上でASはこんなにひどいことをするみたいな話を読みますと
「えー、私こんなことしなーい」
と思うことも多いですが、身内の証言等を考慮しますと、もしかするとしているかも知れません。
 
 材料その1。先日の記事「人のせいにしてはいけない 」で、「人のせいにすること」と「対策を考えないこと」は一般的にセットで捉えられていることがわかりました。AをしたらすなわちBしたことになるという、私の知らない組み合わせが他にもありそうです。自分ではAしかしていないつもりで
「Bした、ひどい」
という文を読み、自分はこんなことしていないと思うのかも知れません。
 
 材料その2。上と密接な関わりがあると思われる「行動と心情 」。行動表現が心情的に解釈されたりあるいはその逆があったりすると、自分ではAしかしていないつもりで
「Bした、ひどい」
という文を読み、自分はこんなことしていないと思うのかも知れません。
 
 材料その3。私に似て人の気持ちを読む能力に欠ける伯母が、息子の嫁に慕われていると思いこんでよく遊びに行って、親戚から嫁かわいそうと言われています。私も嫁がかわいそうだと思います。しかし自分を伯母の立場に置いて一生懸命想像すると、目の前にいるかわいい嫁が
「お姑さん楽しい人ですねー」
とニコニコしたら信じてしまいそうです。一般的に、嫁は姑が嫌いなのだという知識があってもです。
 同じ場を共有していても、姑は「嫁とうまくいっている」、嫁は「姑がうるさくて精神的に参っている」となっていることは普通にありがちです。姑は
「こんなひどい姑がいる」
という文を読み、自分はこんなことしていないと思うのかも知れません。
 
 本当は、1つの場面に複数の周辺事情を統合して判断する能力が低いために空気読めない言動をしているものの、
「こういう場面でこうした」
と説明されると周辺事情が見えるから
「自分はそんな場面でこんなことしない」(そんな場面だと思っていないからこんなことをする)
と思いこんでいるのがほとんどだと思いますが。
 
 
 9月11日の記事。ワインのテイスティングを誰かがやっているのを見て、かっこいい、自分もやってみようと、友達の前でやってみたらすごい笑われて、他の人の前で物真似された。同じことやっても自分だけ馬鹿にされるのはよくあることだが、家族に見せたら
「お前グラスでなく顔を回しているぞ」
と言われた。(テイスティングでは香りを確認するためにグラスを回す)記事の話がこういうことだという意味ではないけど、思い出した。