みんな楽しそうに話している。私も楽しく聞いている。
「ごめん、今の、意味わからなかった。どういう意味?」
一瞬止まる。
「やだ、○○ったら」
私の発言などなかったかのように、会話は進む。
「どうして教えてくれないの、教えてよ」
「空気読めよ」
1人が立ち上がって出て行く。みんなバラバラと解散していく。私がいけなかったの。意味なんか聞いたから。クウキヨメナカッタンダ。
 
 この部屋なら大丈夫だ。みんな私がASだって知っているから、聞いても怒らないだろう。
 
 みんな楽しそうに話している。私も楽しく聞いている。
「ごめん、今の、意味わからなかった。どういう意味?」
一瞬止まる。
「やだ、○○ったら」
私の発言などなかったかのように、会話は進む。
「どうして教えてくれないの、教えてよ」
「ごめん、私が意味のわからないこと言ったから」
謝って欲しいんじゃない、教えて欲しいだけ。
「ごめんね」
違う違う違う。私が立ち上がって出て行く。みんなバラバラと解散していく。
「具体的に言わないとわからないんだからさ、話題に気をつけろよ」
「ごめん、つい」
私がいけなかったの。意味なんか聞いたから。クウキヨメナカッタンダ。
 
 妄想です。多分そんなことはない、のです。しかし、言葉にできないことも、してはいけないことも、きっとあります。
 
 
 12月3日の記事。この記事をきっかけに、Yahooでもコメント欄を閉じるようになりました。一時的な対策のつもりなんですが。悪夢でした。
 牛乳と小麦粉をなるべく食べない食を実践 し始めて1ヶ月半、食生活は一変しました。牛乳を飲まなくなったことで洋風の食事を好まなくなり、パンやヨーグルト、プリンを食べたいと思わなくなりました。(書くと食べたくなるな)
 
朝:ふりかけご飯、豆乳
昼:自分で詰めたお弁当
夕:ご飯、煮物、ビール
 
な感じです。おお、いつでも出家できそうです。
 お弁当を詰めるようになった自分にも驚愕です。「作った」ではなく「詰めた」が微妙ですが、そんなことはこれまでの人生で1度もなかったし、夕食くらいは自炊するようになったとしてもお弁当はあり得ないと、1ヵ月半前まで思っていました。
 なぜお弁当にするようになったかというと、鍋で炊いたご飯 がおいしくて、コンビニ弁当のご飯では満足できなくなったからです。
 
 ご飯は、発芽玄米を週2回まとめて鍋で炊き、すぐ食べない分は冷凍しています。自炊の最大の難点は、本に書いてある通りにしか作れないため食材が効率的に回らず、かえってお金がかかる点でしたが、これも冷凍という手段で解決しました。
 たいていの食材は冷凍が可能です。冷凍の仕方は食材によって異なりますが、ググればわかります。賢くなったような錯覚が生じます。
 
 肝心の、発達障害に対する効果ですが、同居の家族も毎日会う同僚もいないので、他人から見て変わったか不明です。相変わらず小問題はありますが、誰にでも小問題はあるとも言えます。この前遊びに来た弟に
「私の性格がよくなった気はしないか」
と聞いたら
「しない」
と言われてしまいました。
 自分では穏やかになったんではないかという気もしますが、自己暗示の可能性が高いです。多分あまり変わっていないのでしょう。料理をするようになったことが劇的に変わったと言えば変わったのですが。(言うほどしていない)
 
 特に小麦粉は、完全に抜けた訳ではないので、もう少し気をつけてみます。パンやパスタはもう食べませんが、出来合いの総菜類に含まれているからです。完全手作りにするにはまだまだです。おそばは、そば粉100%の十割そばなら食べられるそうなので、今度探してみます。
 健康と家計によさそうなので、とりあえず続けます。
 
 
 12月2日の記事。今の職場で今の仕事を続けている限りは、大きな問題なく生きていけるのだろうと思います。食事療法の真価が発揮されるのは職場が替わった時です。発揮されないかも知れませんが。
 過去記事「障害を盾に取るとは 」に
「障害を盾に取るとは、不必要な援助を要求することですナンタラカンタラ」
なコメントが入って即行削除しましたが、いろんなことが浮かんできてあまりにも頭に来たので、そのいろんなことを書いてみます。
 
「その援助が必要かどうかは、受ける側でなく与える側が決める」
「受ける側にとって不必要でも迷惑でも、感謝して受け取らなければならない」
「受ける側にとって必要でも、与える側が気に入らなければ、努力が足りない、怠け者、甘えていると責めることが許され、厳しいことが本当の優しさという世にも醜悪な言葉で正当化される」
 
 コメントした人は的確なつもりなんでしょうけれど
「必要な援助か不必要な援助かは誰が決めるのか」
は、2005年7月に起こった説教族襲撃事件直後から、形を変えながら出て来るテーマです。
 
☆空飛ぶ もとちくれった☆様 「納得出来る思いやりの定義を考える
 
 不必要な援助といっても、トラックで生ゴミどんどん運び込んでうちをゴミ屋敷にして欲しいという意味ではなく、
「努力すればできるのに怠けたいから他人にやってもらおうとしている」
という例の疑惑のことでしょう。信じられないことに、専門家でも本人でもないど素人の他人が、努力してできるかできないかのラインを決めるのです。
「どうして欲しいか言ってみなさい」
という言葉は、どうして欲しいか聞くためのものではなく、自分がしたいことを読み取ってもらい、それをして欲しいこととして言ってもらうためのものです。 言えば努力が足りない、言わなければ言ってくれないとわからないとキレられるのは、私がそれを受信できなかったからでした。
 
 古い記事に飛びこみの人が注意書きも読まずにコメントするというのは滅多にありませんが、何事にもタイミングが合う(悪い意味)ということはあるのでしょう。飛んで火に入る夏の虫です。もう冬だけど。
 数日前にも、トンコさんの記事を見てそういうことを考えていたところでした。
 
「言語能力と発言の権利」の問題ではない
二つの世界~ちゃあじ子さんと阿檀さんへの返信に代えて
 
 一部箇所で私が暴れていますが、個人に対することではありません。多くの限りなく心優しい人たちの中にも当然のこととして存在しているからです。
 
 
 11月28日の記事。はっ、とうとうYahooの最新記事に追いついてしまいました。このところ、他のブログ2箇所で1対1の対話を進めているのと、上のリンク先がらみでいろいろ追いかけることもあって、更新が少なめ、ではなくインプットに重点を置いています。
 食うべき詩様 「みんなちがって、みんないい」の続き  につけた自分のコメントより。
 
上のバルタントモゾウさんのコメントを見て、
1 個の本質はみんな違っているからこそみんないい
2 個の考え方は違って当たり前
3 集の中においての個の行動は、制限されることがある
と、ただ言い換えただけですが、整理できました。
 
 差別はなるべくなくすべき、でもそのために自分が負荷を負うのは嫌だ、というのが一般的な考えだと思います。しかしネット上のこの種の議論を追っていると、それは大変甘々な考えであるとわかります。
「集においての個の行動は、制限されることがある」
は、マイノリティだけでなくマジョリティにも課されます。
 
 図書館ホームレス問題 の時、
「自分の管理スペースを除き、相手を追い出すのは差別だけど、自分が出て行くのは差別ではない」
と、自分なりに結論づけました。どうしても耐えられなければ、相手を追い出すのでなく自分が図書館の利用をやめるのです。それは負荷ですが、マジョリティが追うべき負荷です。
 
 この話題が流行していたのと同じ頃、ここまでは盛り上がらなかったのですが、
知的障害者が飛行機の座席で暴れ、乗務員の判断で降ろされた
問題もありました。飛行機の場合、安全性が損なわれると命の危険があるので、その管理責任上
「集においての個の行動は、制限されることがある」
になるでしょう。
 
 ただ、差別しない、というのは、究極的には相手のために命を差し出すことなんでは、と思いました。もちろんそんなことをする必要はないし、私にもできません。
 私も他の多くの人と同様、ある集においてはマジョリティであり、別な集においてはマイノリティであります。そのことは覚えておかないといけません。
 
 
 11月24日の記事。派遣会社の営業は月に1度訪ねてこなければならないことになっているらしいが、話すことがない。
 「中庸の主張 」でも書きましたが、それまでやり取りしたことがなくブログもプロフィールも不明な人に、反対意見を書かれるとレスに困ります。
 今のところは削除していますが、縁あってご訪問いただき、コメントいただいたのに、対処としてはほめられたものではありません。背景不明な反論にスマートに対処してこそブロガーとして成長 したというものです。
 そこで、例によって使えるものかどうかわかりませんが、反対意見にレス用テンプレの開発に取り組んでみたいという所存です。
 
わからない時は聞くのだ
 ○○様初めまして。コメントありがとうございます。ご意見もっともかと存じますが、○○様はご意見を基に私が記事を修正することを望んでいらっしゃるのでしょうか。それでしたらご期待には添えられない旨申し添えておきます。
 
 これは怒られるでしょうか。現実でもネットでも、わからなかったら聞けばいいと簡単そうに言われますが、聞くと怒られたり謝罪されたり茶化されたり逃げられたりして、まともに答えてもらえないことが多いです。
 お前の質問がケンカ腰なんだよと言われそうですが、こうしてテンプレを作っていると、私の場合優しそうに丁寧に書こうとするほど文章がふざけているように見えて、それはそれで怒られたり謝罪されたり茶化されたり逃げられたりしそうです。
 
一般的に
 ○○様初めまして。コメントありがとうございます。自分の考えをネット上にアップして他の人にご覧いただける ようになったことは、この時代に生まれた喜びであります。世の中には様々な個性があり、それを他所で拝見させていただくこともまたうれしいものです。今後 ともご活躍をお祈り申し上げます。
 
 何にでも使えて便利、でもないですか。やっぱり怒られるかしら。
 
心情に配慮しつつ
 ○○様初めまして。コメントありがとうございます。○○様がそのようなご感想を抱かれたということ は、私の記事が○○様のお心を傷つけたのではないかと推察いたしました。そうであれば申し訳なく思います。しかし何分にも既に公開した記事であり、当方と しても引っこみがつかないという事情もございます。寛大な思し召しを頂戴できますよう伏してお願い申し上げます。
 
 こうしてテンプレ風に書いているとおかしいかも知れませんが、単独で見るとそれなりに使えそうではありませんか。このまま使うかは別として、知らない人の反論に対しては
 
1 わからないことを聞く   2 一般論でごまかす   3 心情に配慮する
 
のどれかの方向性が考えられます。1は、上にも書いた通り危険なので、2か3が良さそうです。
 
 
 11月22日の記事。過去コメントまで隠れてしまっているので、「コメント受けつけない設定」を解除しましたが、コメント欄は手動で塞ぎます。