ソシオメトリー 【広辞苑第四版より】
 集団の中の人間関係を数量的に測定すること。アメリカの心理学者モレノ(1892-1974)が創始。→ソシオグラム     
(参考)ソシオグラム 【広辞苑第四版より】
 ソシオメトリーにより集団内の人間関係をグラフで表したもの。ある個人を集団がどのように受け入れているかを示す。
 
 
広辞苑から面白い言葉を選んで五十音順にタイトルにするシリーズ第15弾。ソシオメトリーの意味を読んで、
「おお、異文化交流議論の初期に出てきた数式やグラフを思わせるではないか」
と決定しました。決定したのはいいのですが、専門用語で難しそうです。ネットネット。
 
 小学校の先生が子供たちに、クラスで一番好きな人と嫌いな人の名前を書かせて時々問題になりますが、それがこれだそうです。そのアンケートからクラス内にあるいくつかのグループ、人間関係、力関係、キーパーソンを探り出してクラス運営に役立てるらしいのですが、小学校の先生がそんなきな臭いことやっていたとは。
 
最も基本的なページ。  http://dnpa.s3.xrea.com/psy21.htm
もうちょっとくだけたページ。  http://www2.chokai.ne.jp/~assoonas/UC331.HTML
こんなソフトがある模様。  http://www31.ocn.ne.jp/~cesdev/socio.html
はてなでこんな図見そう。  http://gc.sfc.keio.ac.jp/class/2004_14204/slides/09/27.html
何か論文。  http://homepage3.nifty.com/tanakayuji/03.html
 
 ブログの人間関係でも使えそうですね。使ったらきな臭すぎますが。私も小学校の頃、一番仲のいい友達の名前とか書かされた記憶がありますが、先生がこんな図を作って研究していたんだなと思うと、自分はきっとしっぽだったのだと妄想します。
 
 
 12月14日の記事。1度仮名で図を書いてみましたが、あまりのきな臭さに外してしまいました。今年のイブは久しぶりに平日なので、今日辺りみんなクリスマスぱーちーを楽しんでいるに違いありません。
 私がワインを買って飲む、というだけの話でも毎年書き続けると、中断させるのが惜しくて今年も書いてしまいます。12月にずれこんだのは初めてです。11月はいろいろな意味で忙しくて余裕がなく。
 ボージョレヌーボーが特定のワインの品種ではなく、ボージョレ地区の新酒という意味だと昨年知った のですが、これぞボージョレヌーボー、というものはないのでしょうか。
 
 スーパーのお酒コーナーには全部ボージョレヌーボーだよーん、みたいに書いてあるし、どれでもいいならちっちゃいのにしておこう、と今年は500円、187ml入りのにしました。安すぎるからかショッピングサイトから見つからなかったので、同じワインを飲んだ方のレビュー を紹介してお茶を、でなくワインを濁しておきます。
 
 昨年はハーフボトルにしたので段々縮んでいきます。フルボトルを1人で開けるにはさすがにきつくなってきました。何もかも忘れたいほど酔いたいという週末も少なくなりました。
 ボージョレヌーボーも4年目ですが仕事も4年目です。同じ職場にいれば、1年目より2年目、2年目より3年目、3年目より4年目と悩みは減るのです。同じ職場にしがみつく大切さを痛感します。
 
 187mlというと当然ながらグラス1杯しかありません。今までで一番クセがなく、飲みやすくておいしかったけど、あまりにもあっさり飲み終わってしまい、物足りないというか、ボージョレヌーボー飲んだぜ、という満足感がありません。
 何が足りないかというと、量もですが、毎年悪戦苦闘するコルク抜きがありませんでした。今回の187mlは回して開けるキャップでした。コルク抜きにドラマがあったのです。
 すっぽ抜けて倒れるんではないかという恐怖と戦いながら、コルクが抜けた瞬間の達成感、コルクのチリが若干浮いたワインを注ぐのは格別です。コルク臭いけど。
 
 仕方ないからもう1回買ってくることにします。こういう時はコンビニがいいのです。1~2種類しか置いていないから迷いません。と思ったら、時期が遅す ぎたのかもう売っていませんでした。スーパーにも既にボージョレヌーボーコーナーはなく、クリスマス向けなのかお手頃価格ワインコーナーができていまし た。
 そんなことで今年のボージョレヌーボーは終わりを告げたのでした。(これで終わりかい)既に購入した来年の手帳の11月1日のページに、解禁日前にショッピングサイトで狙う銘柄を絞っておくべしと記しました。
 
関連リンク :  ボージョレヌーボー    ボージョレヌーボー2    ボージョレヌーボー3
 
 
 12月12日の記事。クリスマス用のお手頃価格のスパークリングワインは用意しました。今年も1人クリスマスぱーちーなのです。
 とある場所で
「発注元、元請、下請が打ち合わせ中、元請が出した資料を見て、それ聞いていませんよ、と言って元請の顔をつぶす下請」
みたいな話を読んで、例によって
「えー、私こんなことしない」
と思いつつも、この下請の立場に自分を置き換えて一生懸命妄想すると、
「自分がこういう場面にいたら言うかも、いや、間違いなく言う」
と確信したのでした。
 
 全く同じではありませんが、似た3者関係のシチュエーションは何度か経験があります。(これ以降の説明では、上のシチュエーションに合わせて言葉を置き 換えているので、実際の状況とは異なります)こういう時、発注元という証人を得ておかないと、かなりの確率で後からナアナアにされます。
 
元「もう発注元にそう言っちゃったんだから今さら覆せないよ」
下「じゃあせめて金額を」
元「社内でもこれで通したんだからもう無理だよ。下げるならともかく上げるなんてさ」
下「これではうちが赤字です」
元「次の時は何とかするから今回はこれでカンベンしてよ」
 
 もちろん何とかなんてなる訳なく、ますます足元を見られるだけです。そのうち社長にばれて、
「何だこのX社のA案件は、完全に赤字じゃないか、断れ」
となったりします。社長がそう言うくらいだから私の判断の方が正しかったのだと増長して、似た場面で似たようなことをしてまたトラブル起こします。
 
 この話を人にすると、
「それはあなたが正しいよ」
と言われますが、それは上の文が私から見た一方的な世界だからで、私の目に映っていない複雑な世界があるのでしょう。
 社長が結果的に赤字だから断れ、と言ったからといって、担当者が取引先にそれを言うとその担当者は社長に怒られるのです。この辺は私もまだ消化できていなくて、うまくやれる自信はありません。
 
 なお、繰り返しますが、最初の状況に自分の経験した状況を無理にあてはめているので、実際にこういう状況があったということではありません。業界が違えば慣習も違いますし、私の目に映っている世界は他の人とはかなり違っているので、客観的事実とは限りません。このブログでは、私の目に映った世界を描いて います。
 
 
 12月9日の記事。建築業界の人って建築業界の中の常識でしか話を判断できないのね。(一般論ではない)下請、元請という言葉自体が建築業界用語なのか、Yahooでこの記事を投稿したらお勧め記事が建築業界ばかりでした。
 昨日は土曜なのでどよーん 、今日は日曜なのでびよーん、て、くだらねぇ。そんなことが書けてしまうのはコメント欄閉じているからです。一時的なものになるか永続的になるかわかりませんが、説教襲撃の時もコメント欄閉じなかったのにレスレスには屈してしまったかと感慨深いです。
 何でこんなに疲労するのか、自分が悪いのですが、早く悪循環を止めて、コメント欄も以前のように賑やかにやりたいです。ゲストブックは開けていますが、今の流れだとゲスブもいずれ閉じるのではなかろうかという気がします。
 
 今年中(今月中)に書きたい話題を羅列。
 
1 ボージョレヌーボー4
 毎年書いているから。てか飲まないと。
 
2 年賀状とクリスマス
 毎年書いているから。年賀状が無事書き上げられるかという問題と、牛乳小麦粉断ちの身でクリスマスケーキをどうするかという悩みは、解決するでしょうか。
 
3 セルフセレクション2008
 去年書いたけど 、今年も年末近くなったら、1年の集大成として、今年のベスト3を選びたいものです。
 
4 カラマーゾフの兄弟4
 読み終わってはいるのです。書いていないだけで。1を書いたのが去年の12月29日なので、今年のその日までには。
 
5 広辞苑シリーズ
 次は「そ」
 
6 雇用対策のこと
 ニュースは見ているんですけど。政策に期待。
 
 ほとんどシリーズ物ですが、時期を逸すると書けなくなる題材はなるべく書いてしまいたいです。トンコさんの記事に触発された障害関連のこと もありますが、後回しになりそうです。予定は未定です。
 
 
 12月7日の記事。月曜になったのでげつよーん、て、もういいって。師走は忙しいですが、ブログでもシリーズものをこなすだけで精一杯の勢いです。
 レスレス事件以来、コメントのやり取りの失敗が続き、わたりとりさんちでリハビリ中 です。更新も減っているので、取り急ぎの対策として、「初めての方へ」書庫の説明文とゲストブックのブログ紹介文を修正してみました。
 失敗がある度に今度はああしよう、こうしようと試行錯誤しますが、人はみんな違うのです。また違う人と出会い、違う失敗をするでしょう。
 
 前の記事「悪夢 」は、最初「KY」というタイトルにしていました。そのため記事の中身でなくKYという言葉に反応されてしまいました。KYという言葉が誕生してから、空気が読めないということがすごく軽く扱われています。KYなんて大したことないよーん、て。
 問題になるほど空気が読めないというと、せめてこのレベル 。モデルはもちろん、わが永遠のアイドルR氏です。R氏は失礼です。ひどいです。リンク先本文にある通り、殴られてもおかしくないくらいで、同情の余地はありません。
 
 が、何かマイナスの事象を抱えている、もしくはそう口にした相手にそれを否定してプラスに転じさせるようなことを言う、というのはソーシャルスキルとして普通に存在します。
「太っちゃてさ」「うそー、全然太ってないよ」
というあれです。
「空気読めない」「今みんなそうなんじゃないの、全然平気だよ」
「仕事覚えられない」「30過ぎたらそうなるよね。私だってもう頭に入らなくて」
私はこれをひどい、失礼、と受け取るのですが、現実でもブログのコメント欄でも数限りなく言われるということは、一般的にはひどくも失礼でもないのでしょう。
 
 だからといって私が言うと、R氏のようにひどくて失礼になるのです。
「他の人は言ってもいいけど私は言ってはいけない」
ルールを適用するしかありません。言わなければいいというものでもなくて
「太っちゃって」
と言われたら積極的に否定しないと失礼になるところがますます難しいのですが。
 
 このスキルがひどくて失礼である場面とそうでない場面があって、それぞれの場面を言葉で定義づけることはできないと考えられます。定義づけできない場面を読み取るのが空気読むということです。
 KYという名づけがその困難を「能天気 」並にカジュアルなものにしてしまったことが、気分をどよーんとさせる土曜日の夜です。
 
 
 12月6日の記事。しまった、日が変わって日曜になっていた。「空気読めないなんて全然ヘーキ」みたいなことを無責任に言う人のお陰で同じ間違いを繰り返すので、人の反省心を否定しないで黙っていて欲しいのですが、これが定型発達者的には「否定ではない」そうなので驚愕です。