送別会シーズンがやって参りました。昨年末の忘年会はそれでも普段から親しくしているグループでしたが、今回は4月から他部署へ異動する人の送別会を兼ね た慰労会、上司も参加する公的な飲み会です。いやがおうでも緊張感は高まります。
 次の飲み会の心得としてミニブログにこんなことを書きました。
 
1 最初にウーロン茶を頼む
2 乾杯はビールだとすすめられても頼む
3 他の酒勝手に頼まれて目の前に並べられてもウーロン茶を飲む
4 少しくらい、が油断につながるのでウーロン茶だけ飲む
 
 これを実践したのですが、ビールを注ごうとする人が次々来てくれたのに、かたくなになりすぎたかなと反省します。中には
「私の酒が飲めないのか」
と冗談だと思うのですが高圧的な人もいて、ここで負けたらまた同じことになる、と意固地になってしまいました。多分こう書くと
「一口くらい飲むのが大人のマナー」
と言われ、体調を崩した話を書くと
「断ればいい」 
と言われるのでしょう。中庸 を取らなければなりません。
 
 いたたまれなくて時計の針が進むのをひたすら待ち続ける生き地獄。みんなこの居心地悪さに耐え兼ねて引きこもりになるのですね、わかります。
 席を動きながらビールを注いだり談笑したり、無理に加わろうとすると失敗するので1人でウーロン茶を飲みながら食べるだけです。しかし最後まで食べては いけません。どの大皿にも少しずつ残しておくのが大人のマナーです。
 
 前の職場の公的飲み会に比べると社交的な人が多くて難易度高いです。しかしこれで飲まない人という印象を植え付けたに違いありません。そうとでも解釈し ないとやっていられません。
 
今回の新しい教訓

A 最低限のビールを受け入れる
 ウーロン茶をメインとしつつビールを注ぐ人がやってくるのに備え、常に一口空けた状態でグラスはキープする。空けすぎない。
 
B 色つき眼鏡持参
 店によっては照明が私の目 に合わず、顔も上げられない。仕事中の色つき眼鏡はまずいとしても、飲み会の席なら許容範囲と考えられ る。
 
参考記事 : 会社の飲み会   会社の飲み会2   会社の飲み会3
 
 
 3月19日の記事。一口も飲まなければ角が立つ、一口飲めば流される、中庸通せば窮屈だ、とかく飲み会はやりづらい。
 アドラーシリーズ で扱った共同体感覚という日本語には、空気読み能力と協調性の意味合いが漂います。私も初めて 見た時はそんな印象を受けました。
 日本人が考えた概念ではないし、外国人は空気読まないし、多分そういうことではないんだろうけど、他の人が納得するような意味付けもできません。
 これは何かに似ています。ネットでの、アスペルガー症候群(以下AS)の説明です。
 
 ASは、ネットだと
「空気読めない」「協調性がない」「思いやりがない」
障害であると理解されています。間違いではないけれど、そういうことではないというモヤモヤがあります。共同体感覚と違って、意味づけができないというこ とではないんですが、例えば夜叫ぶ 話なんかは、非常に書きづらいです。
 
 軽く書くと誰でもそうですよになります。重く書くことにメリットがあれば書いてもいいのですが、そういうことを公開のブログに書くことにほとんどメリッ トはありません。
 
 空気が読めない、協調性がないという意味にしておけば、実社会でのメリットはそれなりにあります。
「この人はASかも知れないから対処を考えてあげよう」
「自分はASかも知れないから気をつけよう」
ということがある、かも知れません。逆に
「この人はASかも知れないから診断受けさせて自分が悪いことを自覚させよう」
「自分はASかも知れないから周りに気をつけてもらおう」 
となることがあって、それがあちこちで問題になっているのですが。
 
 この件は
「言ってくれないとわからない」
「言えば差別になる。理解の軸であって欲しいだけ」
「本当に重症な人が軽く見られてしまう」
「空気読めない定型発達者はいくらでもいる」
「甘えだ甘えだ甘えだ」
など、別途5記事くらい立てられるほど重い問題ですが、それはスルーしておいて、理解の軸となると私は信じています。
 
 しかし職場で叫んだり暴れたりしたら、どんな理由があろうと言い訳は効きません。少なくとも健常者として働くのは難しいでしょう。空気読めないのレベル ではありません。
 
 今日も、ASは空気読めなくて協調性のない障害としてネットに流布し、それを見た人は自分のことだと思うでしょう。肝心なことは隠されているのかも知れ ません。
 
 
 3月13日の記事。Yahooの記事作成画面がアメブロとそっくりになったが最初の1文字が空けられないため旧モードで作成している。アメブロのは空けられるのに。
アドラー心理学入門 」 ロバート・W. ランディン著
 
 今回のシリーズではネタ本の3分の1くらいしか扱っていないのですが、分量的にも内容的にもキリがよいので、ここで最終回とします。
 記事中では話をわかりやすくするために優越コンプレックスと劣等コンプレックスを分けて書きましたが、共同体感覚のない人は両方抱えていることが多いで す。分量の多寡を言えば誰でも少しは抱えているでしょう。
 
 優越コンプレックスと自己愛性パーソナリティ障害は似ていると書きましたが、同じものに別な視点から名づけが行われたのかも知れません。発達障害にもそ ういう部分がありますが、教育的観点からの名づけと医学的観点からの名づけは分かれるものです。
 
 日本の国民性は共同体感覚から遠いとも書きましたが、日本では別な概念で協調性や他者への思いやりを育てていて、それはそれでよいのです。ただ、漠然と したものに名前を与えることで状況が整理され、そこから概念が広がって行くのは有用なことです。
 共同体感覚は、私の解釈では非常にすっきりしたので、まずは身の回りから役立てていきたいです。それは、私が立派な人間だからではなく、その方が生きや すいであろうからです。
 
アドラーを読む1 アドラー心理学入門
アドラーを読む2 眼科医
アドラーを読む3 劣等感
アドラーを読む4 補償の形成
アドラーを読む5 共同体感覚
アドラーを読む6 異文化
アドラーを読む7 優越コンプレックス
アドラーを読む8 劣等コンプレックス
アドラーを読む9 心理療法
 赤い携帯電話の電源をONにすると、たちまちメールが受信されてきた。受信が終わるのを待って、担当編集者に電話をかけた。
「今送りました」
(直しをお願いするかも知れないからしばらくは待機していて下さい)
編集者はさっさと電話を切った。幼い頃思い描いていた編集者に原稿を渡すシーンは、こんなではなかったはずだが、時代の違いか。
 
 三日三晩パソコンに向かいっぱなしのせいか、頭が痛い。パソコンの電源を切り、頭痛薬を飲んだ。最近の頭痛薬は効き目が早い。便利だが、何か悪いもので も入っているのではないかと気になってしまう。
 
 さっき受信したメールに目を通した。blackで始まるアドレスから届いたそのメールを開いた。
 
”レッドへ。飛行機爆破予告の件ですが、予告時刻を前に該当機が消息をたちました。乗客名簿によるとブルーが乗り合わせていたようです。”
 
 メールの相手に、携帯から電話をかけた。
「もしもし」
(どこ行っていたの。携帯も通じないし)
「ごめん、ホテルで缶詰。それよりブルーは」
(まだわからない。こうなったらカメイを締め上げるしかないよ)
「証拠がないだろう」
(随分冷静なのね。いいわよ、これからホワイトと2人でカメイを締めに行くから)
「イエローは」
(顔が割れているから駄目なの)
電話が切れた。イエローかブルーがついていればまだしも、あの2人だけではいろいろな意味で心配過ぎる。
 
 着替えてホテルを後にした。番組の撮影はとうに終わったのに、あいつらはまだレッドと役名で呼ぶ。足を洗ったはずなのに、何度でも呼び戻されてしまう。 優柔不断な自分が悪いのだが。
 まだ早朝といっていい時間帯、3日ぶりの朝日が眩しかった。
 
参考リンク:
空飛ぶもとちくれった様「妄想戦隊スペーストルネードが行く 」  当ブログテーマ「妄想」
 
 
 3月7日の記事。やや内輪受け。ホワイトは私です。
アドラー 心理学入門 」 ロバート・W. ランディン著
 
 この書籍には心理療法についての章がありますが、その方法や手順はアドラーが考えたのではなく、その後継者にあたる研究者たちが確立させていったようで す。入門書なのであまり詳しくはありませんが、心理療法の目的と題した部分を少し引用します。
 
1 共同体感覚の育成。
2 落胆の克服による劣等感の減少。
3 ライフスタイルの変化。それには、目標の見方の変化と大きな間違いを小さな間違いに転換することが含まれるでしょう。車を例にすれば、エンジンの チェーンアップか完全なオーバーホールということです。
4 誤った動機と誤った価値を変えること。
5 同じ共同体にいる他の人達の中で自分が対等であることを分かるように患者を勇気づけること。
6 さらに、集団あるいは社会に貢献する成員になるように援助すること。
 
 表現は異なっていますが、全て共同体感覚育成のことです。
「人生に問題を抱えている人は共同体感覚が欠けており、それを育成することで問題解決を図ることができる」
という単純な図式はわかりやすいです。
 
 補償を得るまでの手順は「アドラーを読む4 」で紹介しました。
 
優越への努力 → 失敗 → 劣等感 → 別な分野での優越への努力 → 成功 → 補償
 
 共同体感覚は適切な補償を得ることで身につくのですが、これまでの人生で散々優越への希求を打ち砕かれ、失敗に対する恐怖心を抱き続けていると、最初の 優越への努力に持って行くのも大変です。
 
 セラピストがどんなに励まし力づけても、現実の場になると勇気を打ち砕く人々や事物がたくさんあります。
「自分には得意なことなどない」
と劣等感に凝り固まっている患者には手順を逆にして、成功体験を積ませて自信を取り戻させる方法が取られてもよいでしょう。誰にも負けないことはなくて も、誰かの役に立つことはできます。寝たきりの人でも、介護者に勇気を与えることができます。
 
 これも私の解釈によるものなので、共同体感覚を空気読み能力と協調性だと解釈する人にとっては、共同体感覚はとても身につきそうにないものです。私もそ れだったらどこから手をつけていいかわかりません。
 この心理療法のページにも、空気読み能力や協調性を身につける方法については書いていないので、やはり共同体感覚とはそういうものではないと考えます。
 
 
 2月28日の記事。共同体感覚は訳がよくない。