新作です。短いです。最近、アメブロは更新するとすぐ2つくらいエロトラバがつきます。

 そのせいかトラバ拒否にしてしまうブログもあります。私もまあいやですが、すぐ削除すればいいし、ブログで説教されるよりずっとましです。説教ばかりは消しても心に残ってしまうのだな。

 アメブロは、いやなコメント者は拒否できるのに、いやなトラバかける人は拒否できない設定になっています。スタッフブログのコメント欄でも問題になっている模様です。

 Yahooは、コメントは受け付けるがトラックバックは受け付けないという設定にはできないので、それよりはましです。こういうのもイタチゴッコですね。この記事にもつくのでしょうか。

 最近ストレスも減り、機は熟した、ということで、ついに本日、機種変更に踏み切りました。
 向かうはドコ○ショップ。量販店の方が安いのにと誰かに言われたらどうしようという恐怖が先立ってなかなか行けませんでしたが、量販店の店員は当たり外れが多くて不安です。知識のない店員に当たると何を聞いても
「そうですね」
しか言いません。
「これ○○の機能はありますか」
「そうですね」
「○○の機能ないんですか」
「そうですね」
「どっちなんですか」
「そうですね」
などと世にも恐ろしいことになったら大変です。
 
 ドコ○ショップのおねえさんに
「量販店より高いのでしょうか」
と聞いてみました。
「新規だと量販店の方が安いと思いますが、機種変更でしたら機種によりますよ」
営業トークとはいえ、質問に対してごまかしなく返ってくるスムーズな会話にほっとします。買い物が苦手なのは、聞いたことと違う言葉が返ってくるからです。こういう販売員ばかりなら安心して買い物できるのに。
 これまでの通話料のポイントが代金に充当され、事務手数料のみで済みました。ドコ○ショップは高い、というのは偏見だったようです。とても気持ちよく買い物できました。
 
 念願のカメラつきです。これで画像アップ、といきたいところですが、これからマニュアル読みますので画像は次の機会。

 

 

 9月18日の記事。前の携帯を、20世紀から使っていることに大ショックです。初めて携帯を持った時期は周囲に比べて遅く、他の人はパソコンを持ち始めた頃でした。イメージとしてはまだぜいたく品でしたが、メアドがないといかんみたいだと察した私は10円メール(まだあるのか)を始めました。懐かしいです。

 初の野球ネタから、あちこちのブログで話題の、巨人清原選手の去就問題。
 清原は私が入団時から知っている、最初のプロ野球のスター選手です。ドラフト下位でひっそり入団し、スター選手になってから「ああ、あの時の」と思い出すのは、「入団時から知っている」に入りません。
 
 私は西武ファンでも巨人ファンでもありませんが、清原選手はスターでした。(好きな選手という意味ではありません)スターなのにテレビに映らない、これは悲哀です。パリーグの中継はほとんどなく、清原の活躍はスポーツニュースか新聞でしかわかりません。
「巨人に行きたい」
というセリフはとてもかっこ悪く聞こえます。
「阪神に行きたい」
「ヤクルトに行きたい」
「楽天に行きたい」
ならそう感じないのですが、巨人ファンの方は違うのでしょうか。
 
 入団当初は史上最年少の三冠王になるのではと期待されながら、ひとつのタイトルも取れない清原。(清原が無冠だなんて信じられますか)優等生になれない清原。かっこいいスターを演じられない清原。人格者でないスター選手なんかたくさんいるのに、特別性格が悪いように報じられる清原。「どのチームでもいい」とプライドを捨てて売り込む清原。
 
 生きていくというのはどうしようもなく恥ずかしい、みっともないことなんだと、その生き様に私は勝手に揺さぶられるのです。
「戦う君を戦わない奴らが笑う」
というCMソングがあったっけ。
 もういい、もういいから。君は私の青春を彩ったスターだった。かっこよく引退して格闘技にでも転じてくれないか。そこにいるだけで輝きを放つ人というのは滅多にいるものではありません。

  

 

 9月17日の記事。3ヵ月後の今も清原の行き先が決まっていないとは。何でオリックスが嫌なんでしょう。

 読書感想文ジェネレーターは面白かったです。読書感想文とは、自分をよい人間に見せるため、心にもない言葉を表現する訓練だということがよくわかります。もっと小さいうちに知っておきたかったです。ところで、外国にはないのでしょうか。読書感想文。
 
 読書感想文は宿題になることが多く、通常制限時間がないのでまだよかったのですが、私は制限時間ありの論述テストではとんでもないことを書くことがありました。
「個性的でいいんじゃない」
では済まされません。私の考えなしの言葉は人を傷つけることが多々あります。
 間違うにも常識の範囲内で間違わなければなりません。みんなよくそんなことを知っているものです。テスト中は正解を考えるのに必死で
「常識の範囲内で間違わなければ」
ということにまで頭がまわりません。
 
 私は中学、高校、大学で各1回ずつ、自分の書いたテストの答案を教室内で先生に読み上げられ
「この人は馬鹿です」
と言われたことがあります。さすがに名前は出されませんでしたが、休み時間に話題になった時に
「あれ私」
と友達に告白しました。
「何でそんなこと書くのよ」
「わからなかったからない知恵絞って」
「白紙の方がよかったんじゃないの」
でも白紙で怒られたこともありました。

 何を書いたかは恥ずかしくて申し上げられませんが、例えて言うなら
「ノーマライゼーションについて論ぜよ」
という問題でオナラについて論じた、ような感じでしょうか。わかりにくいですね。
 その時は

「何か書かないと」

と必死で、この内容を見た先生がどう思うかに心を配る余裕がありませんでした。テスト中に採点する先生の心まで思いやるなんてすごいことです。
「空白よりは書いて間違う方がまし、何でもいいから書け」
と指導する親御さんや先生は、無意識のうちに常識の範囲内で間違う能力が十分にあるのでしょう。

 今は幸いなことに、制限時間内で論述しなければならないようなテストを受ける機会がありませんが、口頭でのやり取りではヒヤリとすることもあります。瞬時にその場に関わるいくつもの情報を総合し、その場で口にすべき言葉、すべきでない言葉を判断し、こう言ったら相手はこう思うだろうという予測をたてるのは、とっても高度なテクニックです。

 

 

 9月5日の記事。一時は5ヶ月前の記事を追って写していたのに、一気に3ヶ月前になりました。3ヶ月前は結構最近です。ついこの前書いたばかりなのにという感じ。

 それと、今までで一番、月あたりの記事数が少ないのは9月です。ヘロヘロだった7月も8月ももっと更新しています。なぜ9月が一番少ないかというと、Yahooが異常に重かったからです。1週間くらいは、夜8時~11時に全然アクセスできない状態が続きました。

 最近はYahooがんばっております。このままずっとサクサクして欲しいものです。

 小学生の頃はやたら読書感想文を書かされますが、作り話のことなのに、いかにも本当のことっぽく書くのが嘘くさくていやでした。自分で作品を選べるならノンフィクションを選べばよいのですが、読書感想文のための本はだいたい指定されていました。
 今思うと、「人の立場に立てない」自分の特徴がすごく影響していた気がします。作品の登場人物の立場に立ったことを書かないといけないのです。

 ただ読書感想文には書き方があるんですよね。学校の先生が好みそうな文章パターン。パターンを覚えて応用するのは得意でした。
 そういう訳で、トラックバック先「リアルな僕の日記帳 2学期 」で紹介されていた「読書感想文ジェネレーター 」に挑戦。なかなかよいものができました。


課題作品:走れメロス

 この本はわかいうちに絶対に読んでおいたほうがいい、人生の教訓を含んでいると先輩に言われてこの本を手に取りました。
 あっという間に読み終えてしまい、感動して言葉がありませんでした。途中、なんども涙をぬぐいました。
 特に、物語前半で主人公が言うセリフが胸に刺さりました。なにげないなかにも優しさと勇気、そしてせつなさと。
 この物語が書かれた時代背景や作者のことを知りたくなりました。調べると、最初読んでわからなかったこともわかってきました。
 しかし、それはわたしがアイスを食べながら読んでいたからそう思っただからかもしれない。アイスが本にこぼれてべたべたになってしまった。
 この本を読む前とあとではわたしのものの見方が変わりました。主人公のように生きてゆきたい。だから、2学期はがんばりたいと思います。(おわり)
 
 
 何で私があいすまんじゅう食べていることがわかったのだろう。こぼしても大丈夫なようにちゃんと皿を置いて食べているぞ。
 これ使えそうな気がしませんか。読書感想文なんてだいたいこんなものでしょう。まだお子様が夏休みの宿題の読書感想文を残しているご家庭がございましたらぜひご利用下さい。
 

 

 9月4日の記事。この頃ブログ内があいすまんじゅうブームで、毎日いただいておりました。すぐ崩れてしまうので、食べる時は皿を置かないといけません。

 学校の先生は原稿用紙の使い方などは教えてくれましたが、感想文をこうやって書くというのはあまり教えてくれなかったような気がします。思ったことを素直に書きましょう、などと、そんなことしたら大変なことになります。