昨日から始まった、山内一豊の妻の大河ドラマ、散々迷った末に見てしまいました。私は大河ドラマでも戦国時代ものは好きでよく見るのですが、今年はあまりにも主人公が地味なので見るのはやめようかと思っておりました。
 大河ドラマは見始めたら1年ちゃんと見ないといけないという義務感に捕らわれます。去年の義経は途中でやめてしまいましたが。

 今年の大河ドラマが山内一豊の妻に決まった時、
「馬の話しかねーじゃん」
と突っこみまくったのは私だけではないでしょう。とても1年もつと思えません。ほとんど創作するのでしょうが、善語撒き散らしドラマにならないか心配です。
 織田信長が出ているうちは見ようかなと思います。織田信長は主役でも脇役でもおいしい役です。舘ひろしの演技は2ちゃんねるでは散々でしたが、今回は脇役だし、織田信長は織田信長であるだけで大物に見えます。

 その後民放の「風林火山」を見ようとしましたが、ヒロイン役の加藤あいの演技が正視に堪えなかったので途中で消してしまいました。原作の小説が好きなので、イメージを破壊されたようでがっかりです。2ちゃんねるでは、加藤あいの演技を除けば大河よりよかったと絶賛されていたので、もう少し我慢して見ればよかったかなと後悔もあります。
 ストーリーがわかっているドラマは演技、演出、場面の美しさが見所です。そう思うと、大河ドラマのキャストは豪華で、演技がすごく下手な人はいないので安心です。

 

 

 1月9日の記事。山内一豊の妻と言えば馬、というより馬しかないのですが、その馬の話すら知られていないようでした。

「織田信長が出ているうちは見る」

と断言しながら結局3回見てやめてしまいました。題材がよくないのか脚本がよくないのか、面白くなかったのです。織田信長も活躍しないし。

 加藤あいは顔はきれいなので、セリフを少なくして座っているだけの役にしてくれたらよいと思います。

 私は一応宅配で新聞を取っていますが、ゴミになるばかりで、もうやめてしまおうかとも悩んでいます。宅配の新聞代というのはうまく設定されており、新聞を取るのをやめたからといって家計が劇的に助かる訳でもありません。
 友達がいないと欠陥人間みたい、という恐怖と同様、新聞をとらないと人としての教養が失われるような気がしてだらだらと続けています。
 
 ニュースもテレビ欄もネットで見るからないとすごく困ることはないはずですが、たまに自閉症の記事が出ていたり、
「社会で最も大切な能力は技能でも技術でもなくコミュニケーション能力だ」
みたいな記事を見て悪かったわねふんとブログのネタにすることがあると、新聞はたまに役に立つような気もします。
 微妙な有名人の訃報(ニュースにならない)や求人情報の動向(転職したい訳ではありませんが、いつ失業するかわからない派遣社員の身)も新聞でないとわかりません。安売りのチラシに選挙公報、なくてものすごく困るかというとそうでもなく。
 
 やめたらそれはそれで困らない気もいたします。読みたい時だけ駅売りを買えばいいし。それで悪循環を繰り返します。要するに新聞が狭い部屋の中でやたらゴミになって困るという話です。

 

 

 1月8日の記事。なぜかコメント欄は恐怖新聞(つのだじろうの漫画)の話題になってしまいました。明日起こる恐怖な出来事が書いてあるそうですが、幸い私の家には配達されたことはありません。「ポストの中の明日」という漫画もありました。宅配新聞には神秘がつまっています。

 懐かしの「かんさつ日記」ネタ。今は更新止まっていますが(R氏以外の人には興味ないけど)いつまで経ってもネタの宝庫です。
 
 何度でも書きますが、外の世界では言語は事実を伝える目的で使用されていません。自己PR語や謙譲の美徳語が事実より優先します。それは嘘とかずるいとかそういうものではなく、言語の使用目的が違うのだと、理解してあげなければなりません。
 
 かんさつ日記の記事「R氏って 」における、私から見た偉い順は
 
1 弱きを助け、強きをくじくと普段から公言し、実際もその通りに行動する立派な人
2 強きを助け、弱気をくじくと普段から公言し、実際もその通りに行動するR氏
3 弱きを助け、強きをくじくと普段から公言し、実際その状況になったら逆の行動をする普通の人
 
なんですが、普通の見方だと2と3が逆なんでしょうか。
 
4 強きを助け、弱気をくじくと普段から公言し、実際その状況になったら逆の行動をするR氏
 
が加わったらどうでしょう。私の偉い順→1423 一般人の偉い順→1342(推測) 
 
 日頃何と言っていようと、実際その場になったら、相手の力を値踏みして自分より弱そうだったらケンカするけど強そうだったらしない、というのはものすごく当たり前のことではないでしょうか。逆は立派だけど、長生きできないと思います。
 R氏は自分が何聞かれてるかよくわかってなくて、聞かれたことに答えただけのような気がします。記事だといかにも

「R氏は平気で女子供を殴る」

みたいだけど、R氏そんなこと言っていないし。
 例えば男でプロレスラーみたいな体格の強盗だったら財布渡すけど、女のひ弱そうな強盗だったら抵抗するみたいな話かも知れません。
 
 実際にできなくてもいいから、「こうしたい」「こうありたい」姿を口にしないととんでもない人扱いされます。R氏は絶対自己PR語なんか使えないのでしょう。この文章は、私がR氏に自己投影してえこひいきした上で書いています。こんな風に、言葉が通じなくて誤解されるんだという悲しい見本に見立てているだけです。

 

 

 1月6日の記事。こう書くとそうだなと思ってくれる人多いと思いますが、「いざという時」というのは実際には95%来ないんだから、自己PR語で流しておけばいいのにそれができないR氏。

 かんさつ日記様、最近更新再開された模様です。ネタは他の人です。R氏以外はただの性格の悪い男です。R氏が性格いいとは思いませんが。R氏の後日談期待します。

 年も明けたということで、コンビニで年賀状と一緒に買った

「1日10分の反復でIQアップ!!活脳読み書きドリル」(日之出出版)

というのを昨日から始めました。本当にIQアップするのでしょうか。三日坊主にならないように続けなくては。

 表紙は西川史子です。この人タレントにしては華がないと思ったのですが、医者だと思えば派手系です。女医さんは結構美人が多いです。

 

 1日目、小学生レベルで楽勝と思ったら簡単な漢字を忘れていて大変です。2日目、読みの問題で「滑らか」がありました。「なめらか」と読むのに何の迷いもありません。もちろん正解です。 しかし複数のサイトで「すべらか」(平仮名)という表現を見ました。ひとつだけなら「読み方違うんではないか」と思うのですが、複数あるとなるとそういう読み方がある、もしくは一定の範囲内で使われている(2ちゃんねるで既出をガイシュツと読むように)という疑問が生じます。

 2ちゃんねるで「それはキシュツと読むんですよ」と偉そうに指摘してボロボロに叩かれる例は後を絶ちません。老舗をロウホと読むと昔は笑われたものですが、

「辞書にも載っており、間違った読み方ではない」

と国語の先生が言っておりました。

 

 ここは辞書の王様、「広辞苑」に登場していただきましょう。「広辞苑」には面白い言葉がたくさん載っています。ブログのネタがなくなったら、「広辞苑」から拾った面白言葉の紹介で1万記事くらいはもつのではないかと妄想するほどです。

 手元の第4版を調べますと、何と「すべらか」載っていました。説明文に「なめらか」も添えられていました。「なめらか」の方には「すべらか」は紹介されていませんでした。ちなみに「しにせ」と「ろうほ」も同じ扱いで、「しにせ」には「ろうほ」の読み方は紹介されていませんが、「ろうほ」には「しにせ」と添えられていました。

 

 間違いではなく元々ある読み方なのか、それともそう読む人が多いから別な読み方として認められるようになったのでしょうか。いくら辞書に載っているからと言って「すべらか」を使って「こいつ間違ってやんの、プッ」とか思われたら恥ずかしくて外を歩けません。「活脳読み書きドリル」には「なめらか」しか正解として出ていませんでした。「すべらか」が少数派だと思うとつい感情移入して見捨てられないものがあります。

 

 

 1月5日の記事。まだ続いています、このドリル。3ヶ月完成目標のようですが、もう少しかかりそうです。後日、このドリルの作者からコメントをいただきました。お恥ずかしいです。作者様のブログ にトラックバックいたしました。

 AS当事者のブログで、他と交流を持たずひっそりやっていらっしゃる方の中には私以上に悪語を使用される方もいます。
「あんな説教受けるんじゃないか、こんな説教が入るのではないか」
と私の方がびびったりします。共感できなくても、その悪語には惹かれます。
 
 説教族を刺激しそうな言葉に
「私は世界一不幸だ」
という類のものがあります。これはほぼ反射的に
「世の中にはもっと不幸な人がたくさんいるんだ、甘ったれるな」
という幻聴様をお呼び出しいたします。しかし
「自分より不幸な人間を探し出してその人よりはましだと安心する行為」
には別ないやらしさがあります。そういう書き方をしたら今度は
「思いやりがない」
と説教されそうです。
 
 この相反する二つの感情は、多かれ少なかれ誰の中にもありそうです。誰であっても
「自分は運が悪い」「不幸だ」「世界でとは言わないが、目につく人間の中では一番不幸だ」
→「いや、もっと不幸な人間は他にもいる。くじけず頑張ろう」
のような心の行く立てを1度くらいは経験していそうです。
 私が他人の心を読んでもかなり外れ臭いのですが、一説には当たりすぎていて怒らせてしまうともいいます。
「私は世界一不幸だ」も
「もっと不幸な人はいる、その人よりまし」も
説教されそうな言葉ですが、どちらかというと後者の方がいやらしい度が高い気がします。これはとっても感覚的なので、他の人は違うかも知れません。
 そして、後者の方が書き方によっては前向きな感じというか善語っぽくなります。その善語っぽさに、嘘臭さを感じてこそばゆくなります。
 悪語と呼ばれる(造語なので、そう呼んでいるのは私だけなんですが)言葉を目にする度、
「これは説教される」→「なぜ説教されるのか」→「どんな受け取り方をされるのだろう」
と妄想し、自分の言語感覚との違いを考えます。

 

 

 1月4日の記事。自分で言うのも何ですが、正月ボケがやっと抜けてさえています。多くの説教族は、話の内容ではなく悪語に反応しているということを、忘れてはいけません。これに気づかないと、現実でしかられた時、次回その反対をやったらやっぱりしかられて訳わからなくなったりするのです。

 素敵なコメントたくさんいただきましたが、代表して海風さんのを写します。

「他にも不幸な人はいる。」という説教は、言葉の裏に、「だからてめぇも頑張りやがれ。一人だけ逃げんじゃねぇ。」という意志が隠れております。その上、“全ての人間の肉体と精神は、工業製品並に同じ性能を持っている”という大前提があります。この時点で、相手の性格や人格を否定(無視)してしまっているので、むかつくのかもしれません。