アメブロから1周年おめでとうメールが来ました。Yahooと違ってサイドバーに開設日が書いていないから、忘れないように自分でトップに書いておいたのですが、こんなサービスがあるとは。もし忘れていたら、かなりうれしかったことでしょう。
 アメブロ版は昨年の今日、Yahooのコメント入らない不具合と共に誕生しました。最近の軽さから考えると隔世の感です。そして、誕生したその時から、説教族と共に歩む運命でした。(歩みたくありません)
 
 これから
「自分の言うことが相手にわからないのは相手のせい、相手の言うことが自分にわからないのも相手のせい記念日」
「自分は人の助けで生きているのに他人が助けてもらうのは甘えだ記念日」
「すぐばれる自作自演を指摘されたら逆ギレ記念日」
などが待っています。恐ろしいことです。
 
 バースディなのに、というよりバースディだからこそ、なのですが、この事件は私に
「閉鎖」
という言葉を強く意識させました。このことはこの1年であまり話題にすることはなかったので、今回連作で取り上げてみようと思います。
 閉鎖というのは、私はブログ自体を削除することだと思っていましたが、他のブログや2ちゃんねるのブログスレを見ると、更新停止のことも閉鎖と呼ぶようです。
「閉鎖したものの、やめないで、楽しみにしていたのに、というコメントが入る」
という表現があるということは、その人は更新しないと宣言しただけで、コメントを受け付け、定期的にチェックもしている、つまり管理を続けているようです。
 
 ブログではない、普通のサイトで何年も更新していなくても、多くの人に現役で利用され、検索でも上位表示されるものはあります。内容が古くならない限り、そして削除されない限り、そのサイトは「生きて」います。
 更新をやめたらブログは「死ぬ」のでしょうか。そんなことはないでしょう。何年経っても色あせぬコンテンツは多くあるはずです。たとえ書いた当人にとってはただの日記でも。
 
 一方、作っただけで全く記事がなかったり、1つか2つしかないまま放置されているブログもたくさんあります。特に、アクティブユーザー率の低いアメブロは、半分以上そうなんではないかと思えます。(私が開設した時、翌日にはランキングの上位1割に入ったから)
 個人的には、記事が2つ以内で1年以上管理されていないブログは削除されるべきだと思っていますが、それでもコンテンツとしての価値がある、というケースもあるかも知れません。
 
 一応自分としては、コンテンツ削除をもって閉鎖と考えることにし、更新停止、放置、非公開は別とすることにします。(明日に続く、はず)
 
 
 7月13日の記事。最近Yahooが軽いのでアメブロ版の存在意義に疑問を感じたりもしています。バックアップ用と割り切ればいいのかも知れませんが、ここで出会った人もいるし。トラックバックはともかくコメントの承認制は盛り上がりに欠けますね。
 ノボルが身元保証人として迎えに来てくれた。連絡先を書かされ、やっと解放された。マイコが連れて来られたのは警察ではなく、研究所のような場所だった。
 ヤマザキという男に、なぜか大学時代のことと、友人のこと等を聞かれた。イズミと連絡が取れたら知らせるようにとも言われた。これではスパイだ。しかし家族ならともかく友人を隠して何かの罪に問われたら大変だ。女の友情などはかないものだ。
 
 手なづけるつもりか、限定品のキレンジャーカレー をおみやげにくれたので悪い気はしないが。
「大丈夫だった」
「大丈夫じゃないわよ。警察に取り調べ受けるなんてショック」
「ここ警察じゃないよ。公安の秘密組織だから」
「こうあんかつぶあんか知らないけど警察手帳もっていたよ」
マイコはノボルの乗ってきた車に乗りこんだ。
「なぜホストクラブにいたの」
「あ、え、イズミが1度言ってみたいからつき合ってくれって」
ここは悪者になってもらわねば。だいたいイズミが自分を置いて逃げるからこんな目に合ったのだ。
「これに懲りたら2度と行かないことだね」
「はい」
久しぶりに会ったのに、気まずい。ホストクラブの入り口が爆発するなんて誰が予想するだろうか。
 
 ヤマザキが言うには、あの事件は犯行予告があったため、まさかと思いながらも張っていたという。言われてみれば、イズミは店内でも様子がおかしかった。携帯で店内を撮影したり、ネットを見たりメールばかりしていた。
 やろうと思えば誰かに何か頼むことだってできたはずだ。時間を気にして早く店を出ようとしたことも、店内を出た途端全力疾走と言い出したことも、何もかも怪しく思えてしまう。
 マイコはイズミの携帯に電話を入れたが、留守番電話サービスにつながった。
 
 
 強引にカレーを入れただけでした。
 
 
 7月12日の記事。マイコは餌付けされるキャラに。そして、世界征服をねらう巨大な悪の組織の陰謀が、なかなか思いつかないのでした。
 前に、説教族もしくは悪徳商法の人のたたみかける論理のおかしさを説明する例として天動説を出したらすべってしまった ので、今度はもっと簡単なのでやってみます。
 説教族のSさんと妄想族のMさんの会話。
 
S 魚だって人間だ。
M 人間じゃないよ。何言ってんの。
S じゃあ人間でないと証明できる?
M 人間は哺乳類で魚は魚類でしょ。
S 魚だって哺乳類かも知れないよ。
M 魚は卵で生まれるんだよっ。
S 卵を産む哺乳類だっているよ。(ホント)
M 骨格が違うでしょ。
S ほら、さっきと言っていることが違う。哺乳類かどうかという話だったのに、都合が悪くなると話をそらして。自分でわかるでしょう。
 
 書いているだけで腹が立つな。これはもう最初に聞かれたことにまともに相手をした時点で負けですね。すぐに
「あんた頭おかしいんじゃないの」
と立ち去らなければなりません。どんなに
「頭おかしいのは自分だって、あなたは自分でわかっているからそうやって人に投影するんだよ」
と呪いの予言を投げかけられても。
 しかし何かすごい話なんではないかとまともに聞いてしまって相手のペースに巻きこまれてしまうのが発達障害者にありがちです。ケンカしないと、穏便に逃してなどもらえません。ケンカすれば最後に呪いの予言を吐き捨てられるのですが。
 
 どう考えても言っていることはおかしいのですが、組み合わせはおかしくても文法が正しい、単語は正しい、自信満々な態度で、まともに聞いているとおかしいのはこちらか、という意識すらよぎってしまいます。全てを
「定説です」
で説明していた人々がいましたが、彼らの言葉のどこがどうおかしいのか、当時しっかり説明したものは見ませんでした。説明するまでもなく、見たまんまおかしいのですが。
 前に、説教族の言葉が、ひとつひとつの単語はわかっても文章全体の意味が不明 と書きましたが、あれだけ突っこみどころ満載な日本語を操る人々なら魚が人間だと言い張ることなど造作もないでしょう。
 洗脳の第1歩はそれまでの価値観を崩壊させることです。恐ろしいことです。
 
 なお、魚と人間の話は例えなので、魚が人間でないことはこうすれば証明できますというコメントはしないで下さい。
 
 
 7月11日の記事。アメブロは過去記事見つけるのが大変です。Yahooでは英語のスパムゲストブックが迷惑ですがアメブロでは英語のトラックバックがここのところ大量につきます。承認後公開なので見た目ではわかりませんが、削除うざいです。
 リクルートはよくあれだけいろいろな分野の広告雑誌を発行し、そのほとんどを成功させていると驚きますが、海外旅行情報誌「エイビーロード」が10月号で休刊 になるそうです。それでも20年以上続いたというのは大変なことです。
 ネットの無料情報に負けたということですが、それだとリクルートが発行している雑誌の情報のほとんどはネット上にもあります。
 私などは頭が古いせいか、最後は活字媒体を信じます。ネットは調べ物をする時便利ですが、きちんと調べたい時は書籍等にあたります。
 
 リクルートの目玉は就職情報誌で、転職の度にお世話になります。ネットの求人サイトもいくつか見たし、応募もしましたが、面接には呼ばれませんでした。新聞や雑誌の求人だと、不採用にしてもすぐ連絡が来ましたが、ネット応募だと3ヶ月も経ってこちらが忘れた頃に不採用通知が来たり
「現在は求人しておりません」
だったりします。だったら外して欲しいものです。
 
 求人サイトも無料ではないのかも知れませんが、古い情報がいつまでも放置してある、積極的ではないがいい人がくれば、くらいで載せている、という気がしました。
 個人情報取られるばかりで迷惑です。新聞や雑誌に載せているということは積極的に求人している可能性が高いから、求人誌がなくなってネット応募だけになったら無駄弾が増えそうです。
 
 ただ、ネットで応募して転職したという人は少なからずいるので、私がたまたま当たらなかっただけかも知れません。時代の流れから行くと、ネットに傾いていきそうではあります。
 とかく大変な会社らしいですが、今後も活字媒体の分野で、情報産業の担い手としてがんばって欲しいものです。
 
 
 7月10日の記事。Yahooよりも新聞社のサイトのニュース記事の方が、時間が経っても残っていてよいです。
 「うどん屋の経済学」 (Yahoo版) に
「指摘しようとして、最後の文章で手が止まりました」
というコメントが入り、とてもうれしかったのです。注意書きもしておくものです。
 
 あまり私との対話に慣れていない人に指摘されると混乱するのは、完成した作品を一撃のうちに叩き壊されるからです。
 上記のコメントだと、何か穴があるのだなと私自身がわかります。そうすると、私は作品に未完成な部分を設けることができます。その準備ができた上で調べるなり、
「どこが足りないのか」
と質問することができます。
 
 仕事の関係で、昨日の記事のような計算をすることになったとしたら、何を判断材料として入れるかをあらかじめ教えず
「まず自分で考えてやってみて」
という上司がいます。そうしてやらせておいて、出来上がった結果をけなすのです。それがよい指導だと思っているみたいです。自分がいかに優秀かを自慢し、私の馬鹿さ加減をさらしものにしたいだけのようです。私はけなされたことで頭がいっぱいです。
(これは口頭で言われた場合のことで、書いたものに赤入れされる分には私は全く抵抗はありません)
 
 最初から全部やり方を教えて、わからないところは質問させる、でもそれほど時間は変わらないと思うし、最初から完成形に近いものができるので、達成感もあってうれしいです。
 けなされると一気にしぼむし、今やっていることは後で叩き潰されるためにやっているんだと思うと意欲も沈みます。
 自分で考えることで力がつく、とどうしてもしたいなら、1回自分でさせた上でそれを見ずに正解を示す、つまり自己採点でよいはずです。その方が自分で主体的に考えられるし、質問もしやすいです。
 要するに部下をけなして自分の優位性を示したいだけにしか思えんのですが、これは間違いなく私のひがみであって普通ではないでしょう。
 
 仕事の教え方問題では昨年ひどい目に合いました。身近なだけに、自分の経験を教えてあげたくなるんでしょう。説教族襲撃事件が起こったのは去年の今月です。1周年も近いです。何か記念企画でも考えた方がよいでしょうか。(やな企画)
 
 
 7月9日の記事。7月は説教族襲撃事件を思いつつ、「閉鎖考」シリーズ、「なぜ批判は必要か」シリーズなどを書きましたが、説教族の使う(笑)、♪の恐ろしさに勝るものはありません。
「私のいうことを聞かないと駄目な人間になります(笑)」
「そんな都合のいい世界はありませんよ♪」
怖いでそ。