「うどん屋の経済学」 (Yahoo版) に
「指摘しようとして、最後の文章で手が止まりました」
というコメントが入り、とてもうれしかったのです。注意書きもしておくものです。
 
 あまり私との対話に慣れていない人に指摘されると混乱するのは、完成した作品を一撃のうちに叩き壊されるからです。
 上記のコメントだと、何か穴があるのだなと私自身がわかります。そうすると、私は作品に未完成な部分を設けることができます。その準備ができた上で調べるなり、
「どこが足りないのか」
と質問することができます。
 
 仕事の関係で、昨日の記事のような計算をすることになったとしたら、何を判断材料として入れるかをあらかじめ教えず
「まず自分で考えてやってみて」
という上司がいます。そうしてやらせておいて、出来上がった結果をけなすのです。それがよい指導だと思っているみたいです。自分がいかに優秀かを自慢し、私の馬鹿さ加減をさらしものにしたいだけのようです。私はけなされたことで頭がいっぱいです。
(これは口頭で言われた場合のことで、書いたものに赤入れされる分には私は全く抵抗はありません)
 
 最初から全部やり方を教えて、わからないところは質問させる、でもそれほど時間は変わらないと思うし、最初から完成形に近いものができるので、達成感もあってうれしいです。
 けなされると一気にしぼむし、今やっていることは後で叩き潰されるためにやっているんだと思うと意欲も沈みます。
 自分で考えることで力がつく、とどうしてもしたいなら、1回自分でさせた上でそれを見ずに正解を示す、つまり自己採点でよいはずです。その方が自分で主体的に考えられるし、質問もしやすいです。
 要するに部下をけなして自分の優位性を示したいだけにしか思えんのですが、これは間違いなく私のひがみであって普通ではないでしょう。
 
 仕事の教え方問題では昨年ひどい目に合いました。身近なだけに、自分の経験を教えてあげたくなるんでしょう。説教族襲撃事件が起こったのは去年の今月です。1周年も近いです。何か記念企画でも考えた方がよいでしょうか。(やな企画)
 
 
 7月9日の記事。7月は説教族襲撃事件を思いつつ、「閉鎖考」シリーズ、「なぜ批判は必要か」シリーズなどを書きましたが、説教族の使う(笑)、♪の恐ろしさに勝るものはありません。
「私のいうことを聞かないと駄目な人間になります(笑)」
「そんな都合のいい世界はありませんよ♪」
怖いでそ。