新作です。今日帰宅したら、アメブロにアクセス解析が導入されていてぶっ飛びました。今までは「訪問者数」だけが翌日表示される仕組みだったのですが、それがなくなって、ユニークアクセス(以下UU)とページビュー(以下PV)に分かれての表示になっていました。

 そのUUが、1日200とか300(PCのみ)でびっくりです。今までの「訪問者数」だと、1日100人行くかどうかでした。訪問者とUUは同じではなかったのですか。違うの。300人も見ていると思うとめちゃ恥ずかしいんですが。

 

 と思ったら、スタッフブログにトラバされていた方の記事 によると、RSSが勝手に読みに来る数も入っているということでした。(この方の説です)がーん、訪問者数はつまり、純粋に手動で見て下さった方の数ということですか。(ちぇ)

 それにしても、モバイルのPVが多い(日によって違いますが、100~400くらい)です。今まではモバイル分は訪問者数にカウントされていなかったのでしょうか。モバイルのPVはあるけどUUはありません。モバイルはIP共有していてカウントできないのですね。携帯で見てくれている人の数を知るためにはよかったです。(携帯の方見て下さっていますか~)

 訪問者とUUが違うなんて全然知りませんでした。

 

 リンク元URLなんかもありますが、大部分が「お気に入り、またはブックマークなど(しか書かれていない)」で、後はこのブログURLしか表示されていない(読みながら移動しているせいか)ので、こっそり読みに来ている方がどこから来ているのか、全然わかりません。ご安心下さい。

 マイコの会社は、プライベートでもブログを書き、何気なく会社名を出すことを奨励していた。マイコもプライベートなブログを持っていたが、学生時代に書いていたもので、ずっと放置していた。
 木曜日、家に帰ってから、それを久しぶりに更新した。
「先週の金曜日ホストクラブでボヤがあった時間、近くを通りました。人が集まっていてよく見えなかったけど、後で火事だったとニュースで知ってびっくりです」
という記事を書いた。
 
 それからブログ検索で、同じ事件を扱ったブログを探した。
「そのホストクラブ、火事の後休業していたけど、閉店が決まったそうでショックです」
と書かれた記事を見つけた。
 閉店、知らなかった。常連の人もいたみたいだし、どうするのだろう。
「知りませんでした。ホストクラブは儲かりそうだし、かえって宣伝になりそうなのに」
とコメントした。
「今は自由になる大金を持っている女性が少ないし、安い執事カフェもあるから営業は大変みたいです。火災保険金も出るだろうし、閉店の機会をねらっていたのかも知れません」
と返信があった。
 保険金+事件といえば保険金殺人だが、まさか、死者も出ていないし、と思いながら妄想から逃れられない。最初から保険金目当てだった? そうだとしたら内部犯行ということになる。
 
 ハヤミもキョウジも失業したのか。ハヤミは今もマイコと同じ会社で働いているから失業とは言えないが、キョウジはどうしているだろう。マイコはもらった名刺を見ながらキョウジの携帯に電話した。
「そうなんだよ。お陰で失業でさ。新しい店決まったら連絡するからまた来てよ」
「系列のお店はないの」
「ピンサロならあるけど、男は間に合っているだろうし、そういうお店も取り締まりが厳しくて今後は大変みたいだね」
「そのピンサロって」
マイコはハヤミのゴミ箱で見たチラシの店名を言った。キョウジはそこではない、と答えた。
 
 
 タイトルに入っているってのにホストクラブ閉店させてどうするつもりでしょう。それよりも、ピンサロって普通どんな名前だ。
 
 
 8月18日の記事。ここで書くのも何ですが、中日ドラゴンズ優勝おめでとうございます。今年は楽しませていただきました。悔いはありません。日本シリーズがんばって下さい。しかし日本シリーズではパリーグを応援しそうです。
一妻多夫
 一人の婦人が同時に複数の夫をもつ婚姻形態。夫たちが兄弟であることも多いが、そうでない例もある。(広辞苑第四版より)
 
 広辞苑から面白い言葉を拾って五十音順にタイトルにするシリーズ第2弾。がこれかい。
 思わずひかれてしまいました。うらやまし、じゃない、興味深いです。1人とすら結婚できない私には遠い世界です。
 どうしても、叶姉妹のような人が大勢の男を足元にひれ伏させる図を想像しますが、異なる社会における婚姻形態のひとつのあり方です。
 
 上記には「兄弟でない例もある」とありますが、ネットで見る限り基本は兄弟です。
「ひとつの家で1人の妻を迎える」
つまり兄弟が共通の夫となって、妻子を養うことになります。
 貧しくて、複数の男の子供がいても農地を分割できず、他で働くこともできない、子供がたくさん生まれすぎても食べられなくて困る、1人の男性の収入では妻子を養うことができない、という事情です。
 
 なるほど、確かに年収250万の夫でも4人いれば1000万だし、家事の手間が4倍かかるということもない、嫁同士のあつれきもなく、1人の女性が産む子供の数は限られるから食い扶持が増えすぎるということもない、子供は
「その家の子」
としてみんなに育てられるのです。1人くらい単身赴任や出稼ぎに行っても、他の夫が家を守ってくれます。
 
 貧しい社会ならそういう選択も有りでしょう。(有りか?)日本だって現在、経済的事情で子供が持てないという人がたくさんいるのですから・・・いやいや失礼、個人主義の社会でそんな非人道的なことはいけません。
 そうなると女の子が余らないかと心配な訳ですが、そこはよくしたもので(いいのか?)こういう社会は様々な婚姻形態が許容されているため、経済力のある男性なら一夫多妻をやっていらっしゃるし、もちろん一夫一妻の夫婦もいるそうです。
 
 婚姻は文化人類学の大きなテーマです。こんなで本当にうまくやれるのか心配ですが、大家族であればあつれきがないなんてあり得ないので、いろいろありながらも何とかやっているのでしょう。
 社会のあり方もいろいろ、これもテラ・インコグニタ(未知の大地)です。
 
 
 8月17日の記事。このシリーズ「お」まで書いていて、候補の言葉はもう少し先までできていますが、この「一妻多夫」を越える言葉はまだありません。
 Yahoo様がメルマガの発行サービス を始めた模様です。それもβ版とは書いてありません。1年半経ってもβ版なブログ部門はどうなっているのでしょう。
 メルマガ、今さらな感じもしますが、ポータルサイトとして、ネットサービスはもれなく取り揃えますということなのでしょう。
 早くも多くのメルマガが登録されています。見たところあまり購読者数は多くありませんが、元々まぐまぐなどの大手メルマガスタンドから発行されていたものが、Yahooにも登録しましたというパターンが主のようです。
 
 私は数年前、とても出張の多い仕事をしていました。その頃は自宅にパソコンがなく、PDAが友でした。ネットにつなぐこともできましたが、速度が遅い、電話代がとってもかかる、すぐ電池切れするという欠点がありました。そこでメルマガをたくさん購読し、旅先での移動時間や待ち時間を楽しませていただきました。
 今もこの仕事であれば、メルマガを購読し続けていたと思います。今の、ブログを読む感覚でした。
 
 発行者は通常無料で発行し、読者も通常無料で読んでいる割には、発行者への要求水準は高かったです。個人がブログ感覚でメルマガを始めても長続きしないようでした。何年も続くメルマガは、個人事業主の宣伝などそれなりの目的がありました。
 面白そうだと思って購読しても、ずーっと前振りばかりで本題に入らないまま終わってしまった(というか発行されなくなった)メルマガは多くありました。
「CMの後、いよいよ謎が明らかに」
を1時間くらい続けて何も明らかにならないテレビ番組のようでした。
 そういうメルマガは、読者から発行者へのクレームメールが多く届いていたようで、その回答をメルマガ上ですることによって回数を稼ぐ、ではなく誠意を示す方もいらっしゃいました。
 
 主婦のネットショップ開業奮戦記みたいなのを登録したら、延々と介護の話で、全然ネットショップの話になりませんでした。ブログならこういうのでもいいのですが、メルマガとしては不満でした。
 商売に結びつけたいならブログよりメルマガの方がよさそうです。ブログで集客し、メルマガを読んでもらう戦略の人もいました。
 そういえば、昔読んでいたメルマガでまだ続いていて私が購読を解除していないものがメールボックスに山とたまっています。意地でも読まなければなりません。(いつか)
 
 
 8月16日の記事。メルマガの代理登録というのがあって、「許可を得て」発信者が登録するのですが、この前勝手に登録されました。登録確認メールに
「覚えがない場合は下記をクリックして下さい」
とありましたが、新手のワンクリック詐欺じゃないだろーな、とびびりました。クリックしましたが。
 以前、
「広辞苑の面白言葉を紹介するだけで1万記事はいける」
と豪語したことがありましたが、そのようなことをしてみようと思います。
 私が広辞苑を眺めて面白いと思った言葉を五十音順にピックアップしてそれをタイトルにして記事を書きます。不定期企画。第1回は「あ」より。
 
合縁奇縁(あいえんきえん)
 人の交わりには自ずから気心の合う合わないがあるが、それも皆不思議な縁によるものである、という意。(広辞苑第四版より)
 
 この世で起こることは全て前世からの因縁である、みたいな話がありますが、そういうのは嫌いではありません。諦観 、という感じで。説教族には怒られそうですが。
 気心の合わない人との出会いも不思議な縁によるものなら、説教族襲撃事件も不思議なご縁でした。彼らは今何を思うのか、きれいさっぱり忘れていたとしても、私が忘れない限りご縁は続くのです。ふっふっふ。
 
 先日、タニさん
「共通認識こそが絶対だという考えが世の中を支配している中、R氏のような存在はひとつの問題提起をしていると思いました」
というコメントを受けて、かんさつ日記 を読み返しました。
 R氏の言葉の中に、過去の自分の言葉を見つける時、ああ私は人を傷つけていたんだな、こう思われていたんだな、迷惑だったんだな、と思い出します。にこにこしていたあの笑顔は、苦々しい笑顔だったのかも知れません。
 人はどこまで異質のものを受け入れられるのか、受け入れられないとどうなるのか、ずっとずっと考えて、答の出ないテーマです。
 
 私自身が許容範囲狭いです。説教族とは共存できない、と彼らを否定し、近寄らないことにしています。自分を攻撃する人々を肯定することはできません。
 きっと今後も、どこかしらに矛盾を抱えつつも、突きつめて考えるとすべってしまいながらも、
「多くのマイノリティの存在を知る」
「受け入れがたいなら近寄らない」
で推移していくでしょう。知っただけでも理解は始まります。「近寄らない」はひとつの選択の結果です。
 R氏と出会った人々は、何かを見出したのでしょうか。私と出会った人たちも。
 
 
 8月15日の記事。記事中に登場するタニさんの最新のお言葉。
「やっぱり全ての(といっていい)人間の共通の望みは、多くの人と分かり合えることなんだなと思います。コミュニケーションをとることの難しさに苦しい思いをすることはたくさんあるけど、色んな人と分かり合いたい。そんな気持ちが伝わるようです」
私の繰り返すコメント削除→ウダウダ振りを見てなお、そのように考えていただけるのはとてもありがたいことです。分かり合える人は少なくても、分かり合える人とめぐり会いたいという気持ちは私にも(少しは)あります。