分類に踏み切る前に、ざんげ兼言い訳をしておきます。私は他の人と同様、小さい頃から
「自分だけが正しいと思うのは悪いことである」
「他人に逆らわないのがよいことである」
「他人は自分より優れていて正しい」
としつけられてきました。これは若干訂正もしくは補足が必要でした。
「他人の意見に従っているかのようにふるまわなければならない」
「他人に逆らっていないかのように見えるスキルを身につけなければならない」
「自分が劣っていて他人が優れていると思っているように見せなければならない」
本心から、常に自分が間違っていて他人が正しいと思いこむと、他人の指示を受けないと何もできない依存症になってしまいます。ちなみに本当にそうなってしまった人は
「依存性パーソナリティ障害」
に該当します。
 
 ブログ及び現実の世界を通してこの4年半、いろいろ研究してきて、自分と他人が対立した時自分が正しいと思うことは病理であるかのような説も見ましたが、
「自分が一番正しい」
と思うことは健康で正常な心理状態です。こう書くと
「いや他人の意見を一切受けつけないというのはよくないことだ」
と言われそうですが、他人には信用のおける他人とおけない他人がいます。他人だから信用できるとは限りません。自分自身を信用できない人間がどうやって他人を見極めるのでしょう。その選択すら信用できないことになります。
 
 自分が一番正しいという基礎(セルフエスティーム?)がしっかりないと、むしろ他人の意見を受け入れられません。
 人が他人に向かう時、世界の中心は自分自身です。自分から見た世界で対処しなければなりません。他人になることなどできないのですから。
 私から見ておかしい人であればその人はおかしい人なので、その視点から対処法を考えればいいのです。他の人から見ると違うのではないかといちいち気にしていたら混乱の元です。
 
 ただ、相手や他の人に、そう言ってはいけません。
「自分だけが正しいのではない」
「あなたこそ間違っているということに気づくべき」
とボコボコにされ、セルフエスティームも踏みつぶされます。
 対処していくうちに自分のものの見方を変えた方がよいと気づけば変えればよいのです。恥ずかしいことでも何でもありません。
 私のような人は、自分の脳内のことなのに他の人に見られているかのような気になって失敗しますが、他の人には見えないことなので問題ありません。
 
 パーソナリティ障害とカテゴライズされる人に出会った時の、基本的な注意事項をまとめます。
1 逃げられるなら逃げること
2 その人が、他の場面や他の人にとってもパーソナリティ障害であるとは考えないこと
3 自分に対してのみだとしても、自分を責めないこと
4 味方を作ること
5 逃げることもできず、不利な立場に追いこまれたら、運命として受容すること
 
 
 10月4日の記事。運命として受容できるかが最も肝心。私はまだ説教族襲撃事件を受容できていない。働いているのに、何で無職に努力が足りないと偉そうにされないといかんのだ。そんな仏のような心になれない。修行が足りない。
猫とダンボール城様 「ヒ」へのお誘い_9/30追記
 
 モランさんがついったーについて書いてくれました。今まで見たついったー論の中で一番わかりやすかったです。お陰で何がわからないかわかりました。
 
1 用語がわからない
 フォローまでは何とかわかるがタイムライン、リムーブ、ブロックになるとお手上げ。
→モランさんの解説でわかりました。
 
2 見方がわからない
 はてブされているついったーを見に行くと、エントリーが大きな文字で書かれて四角く囲まれた謎のページがある。
 その人の他のエントリーが見たいと思ってその人のページに行っても、ブログみたいにその人のエントリーが並んでいるのではなくて、違う人のIDがついたものがある。違う人のなのか、その人宛てのなのか、その人が誰かに宛てたものなのかも不明。
→これもモランさんの解説でわかりましたが、その人のタイムラインなんですね。
 
3 とにかく何かわからない
 webサイトとSNSの中間と考えた。見ることはできるがアカウントのない人には何もわからない。ブログよりも掲示板を想定した方がいいかも知れない。
 
 面白い面白いという人がこれだけいるということは、やってみたら面白いのかも知れませんが、そんな他人任せな選択でよいのかというつまらない意地が私をためらわせます。
 
 面白そうなのもあるんですけどね。これとか。
 
さまざまなめりっと様 「妻は俺の嫁
 
 しかしその部分だけ人為的に編集したから面白いのであって、普段のカキコミは普通でした。失礼な。
 
 
 10月2日の記事。せっかくお勧めしてもらったのに、この翌日、はてなハイク を始めてしまうのでした。はてな楽しいよはてな。アメーバでも「アメーバなう」というミニブログを開始するという噂もありますが、どうなるのでしょう。
 コメント欄閉じた記念に、早めに、計画していた新シリーズを開始します。以前から、読んだ本について記事にしていきたいと考えていました。その一環です。
 
人格障害かもしれない 」磯部潮/著(光文社)
 
 この、パーソナリティ障害の入門書の内容を私が消化しつつ、思うところを書いていきます。詳しい方からすると突っこみたくて仕方ない内容になると思いますが、それは私のサイトの外(ブクマや言及)でお願いします。
 
 人格障害という言葉の響きがおどろおどろしすぎるせいか、最近はパーソナリティ障害という表現が使われます。英語にしただけでも雰囲気が変わります。私も必要がない限りはこちらの表現を用います。ネタ本が人格障害なのでわかりにくいかも知れませんが。
 
 パーソナリティ障害は、不可解と言えば不可解な「分類」です。結局のところ
「性格が悪い」
ということです。性格的欠点が全くない人はいないはずです。町で見かけた変な人も、職場や家庭では人格者かも知れません。
 ここからという明確な線はなく、本人及び周囲が理解し、精神と行動をコントロールし、必要なら医学的治療を行うための分類のようです。
 
 パーソナリティ障害を元にした
平気でうそをつく人たち 」M・スコット・ペック/著 森英明/訳(草思社)
という本(私は未読)が大ヒットしましたが、世の中には自分の理解できる範囲の外側にいる人がたくさんいます。普通と思われる人たちの中にもその芽は潜んでいます。
 自分と異なる他人を理解し上手に対処する方法が欲しい、しかし、分類という方法は非常に嫌われる手法です。
 
 発達障害界にも似た話があって、
「同僚にこんな人がいるんだけど発達障害ではないか」
という話題で度々掲示板が荒れます。
 そう思うことで許せたり対処可能になったりするんならいいんじゃないかという気はしますが、多くの場で分類は、理解のためでなく攻撃のために使われるようです。そのために、分類が即攻撃的になってしまいます。
 
 変な人に毎日対処しなければならない身にとって、レッテルを貼るためでなく、自分の精神を破壊しないために、分類は必要です。人は分類をしない訳ではなく、無意識でやっています。私は無意識でできないので自分の意思でやってみます。
 人によって対処を変える、と言えばそれほど不可解ではないでしょう。次回はこの分類という心理について、もう少し考えたいと思います。
 
 
 9月26日の記事。このところ「介護 志望動機」で来る方が増えて、あまり役立ってなくて申し訳ないです。さっきもニュースでやっていたけど、採用側は「質の低下」を心配しているので、いい加減な気持ちでこの仕事を選んだのではないという情熱を示すことが必要なのでしょう。それができれば苦労しないということなのですが。
NIKKEI NET 「ウィルコム、返済延長要請へ 債務1000億円、金融機関に
 
 上のニュースを見て、携帯を買い替えることにしました。これだと唐突過ぎるのですが、話は昨年のゴールデンウイークにさかのぼります。
 
過去記事 「PDA捜索
 
 当時で7年使用したPDAが痛んできたので買い替えを検討したものの、結局その時には決心がつきませんでした。選択肢は4つ。
 
1 W-ZERO3(ウィルコム)
2 ザウルス
3 キーボード付き携帯
4 携帯の文字変換に慣れる
 
 1、2は費用、3はドコモにまだ該当機種がなく携帯会社を変えるのに抵抗があったため、4を選んだのですが、携帯メールを頻繁に交換する相手もいない私は文字変換にいまだに慣れません。
 ザウルスはもう新機種出さないというし、携帯の他にもう1つ端末を持ち歩くのも何だし、そんな中で上のニュースに接し、現状で新規契約することはなかろうと、選択肢は3に絞られたのです。
 
 昨年ドコモショップで聞いた時はキーボード付き機種はまだ発売されてなく、予定はされているが、料金システムは違うものになり、メールアドレスもパソコンのものになるという話(スマートフォンのことか)でした。
 この連休中に見に行ったところ、携帯と同じ料金システム、メールアドレスを継続できるキーボード付きの機種が1種類だけあるということで、飛びつきました。
 
ケータイWatch 「3.5型液晶でフルタッチ操作、フルキーボード搭載『SH-04A』
 
 不器用な私はタッチパネルになかなか慣れませんが、キーボードで文章を打てるのは、それを補って余りあるほどありがたいです。念願のワンセグもついています。ネット上の評判も、
キーボード◎ タッチパネル△
のようです。これから進化していくことでしょう。こうして4年ぶり2回目の機種変更を果たしたのでした。
 
 
 9月23日の記事。1か月使っていますが、友達がいないので、着信履歴は自分の家電から試しにかけたものだけ、他人から来たメールは1通だけ、それも出したものに対して返事が来ただけです。携帯というより電子メモ帳として使っています。
井出草平の研究ノート様
アスペルガー症候群の予後は明るいと考えていたアスペルガー
 
 上のタイトルの最後の「アスペルガー」は、AS者のことではなく発見者の名です。予後は明るいと、私も思っていたですよ。このブログを始めた当初は
「こういう障害があると知らないからびっくりして怒りだすので知っていればノー問題」
とお気楽に考えていたものです。
 
 しかし努力努力教の威力は、想像をはるかに超えたものでした。
「ちょっとやってみてできないからできない、と決めつけてはかえって可能性の芽を摘むことになる」
「自分が努力するのが先」
はいはい正論。ここを突破するには、会う人会う人ごとに、死に物狂いで努力している姿を見てもらわないといけません。仮に見せることができたとしても、時間がかかるし、素人の主観による評価だし、努力しているように見えないのも障害の1つです。
 
 努力は日常生活のあらゆる点に及ぶのに、時間配分など考慮に入れず、1つの事象だけを捉えて
「努力していない」
と断罪されます。私は1日中リコーダーの練習 をする毎日をずっと送る訳にはいかないのです。
 同じ努力をするなら好きなことをした方ががんばれるし将来の職業につながりやすい、と発言しようものなら甘えだ甘えだ攻撃、引きこもりになって嫌いなリコーダーの練習を続けるしかありません。
 
 それが4年前の状況だったのですが、その後の研究 により、少なくともネット上で人様に努力を強要する人は、自分が無職やニートで、努力なんかしたことのない人だと判明しました。リコーダーくらいは吹けたかも知れませんが。
 
 社会にも変な人はいますが、そう多くありません。1人会うと全人類がそうだみたいに大げさに考えてお先真っ暗になりますが、そんなことはありません。ただ、日本は新卒社会なので、変な人に会う度に転職していたらいつか破綻します。
 上司が変な人だと出世昇給が閉ざされてお先真っ暗になりますが、どうせ自分なんか出世できないからいいや、と割り切れれば何でもありません。こう書くと
「どうせ自分なんか」
の部分にだけ反応されて違う話になってしまうのですが。
 
 そう考えると未来は明るいと、私も思います。
 
 
 9月22日の記事。「あわせて読みたい」に音が出るようになってうざい。