一日一筆〜よりよく生きるウェルビーイングのための備忘録〜 -20ページ目

一日一筆〜よりよく生きるウェルビーイングのための備忘録〜

働きながら大学院で看護学を学びました。健康教育に関心があります。特に興味があるのは、ウェルビーイング、発酵食、呼吸です。日々のことを書とともにしたためています。最近約10年ぶりに日本習字で学び始めました。課題提出までの道のりを綴ったりもしています。


人生には、自分ではどうにもコントロールできないことが沢山あります。

けれど、自分で物理的に変えられることもあります。

体のために自分自身が意識して変えることのできるもののうち、特に気をつけているのが咀嚼と呼吸です。


臓器の動きは自分じゃコントロールできないけれど、自分の体に食事を摂りこむ際の咀嚼や肺を膨らませたり縮ませたりする呼吸活動は自分の意識でかえることができると聞いてから、なるほど!その通りだと思って気をつけるようになりました。


よく噛めば唾液が分泌されて消化吸収されやすくなり、消化機能の手助けにつながり自分の体の負担軽減になります。


呼吸を整えていくことは、自律神経のバランスを調整し、精神を落ち着かせることにつながります。

呼気によって自律神経のうち副交感神経が優位に働き、吸気によって交感神経が優位に働くそうです。

だから、吐く息を意識的にゆっくりすれば副交感神経が優位になってリラックスすることにつながるということなのですね。


自分の体の機能のうち、毎日の生活で自分が意識して変化させることは数少ない、だからこそ出来ることを積み重ねることが、体の機能を間接的に支えていく結果につながるのだと感じます。


自分の体と同様に自分の置かれている環境も、自分でコントロールできることには限りがあります。

だからこそ、自分でコントロールすることができることをよりよく変化させ、よりよく生きることを目指すことが大切だなと思うのです。


むかしむかし、演じるということに魅せられて演劇や映画のワークショップやらアクターズスクールに参加していたことがありました。

そこでは台本のある芝居の稽古をするだけじゃなくて、身体訓練や発声、ゲームなどもしました。
その時に経験したゲームのひとつに、ステータスゲームというものがありました。
ゲームの内容は、集まったメンバーの数、6人だったら、1〜6の番号があって、1人につき1つの番号が与えられます。
くじで引いた番号が、その6人の組織の中での自分のステータス、つまり立場です。
周りが何番かは知らされずに、相手の出方をみながら自分よりステータスが上の人間を演じているかを見極めて即興でその場を作っていきます。

例えば、社長のような振る舞いをし始めた人がいたら、それを受けて部下を演じたりするというイメージでしょうか。
人間が多くなれば多くなるほど、複雑で難しかったです。(2人バージョンでも私は苦手ですが…。)

ただ、このステータスというゲーム。
例えば、社長とか上司という社会の組織の様子を演じようとすると、どうしてもステレオタイプの表現になってしまうのかなとおもったり。
ゲームだから、その権力だったり威厳だったりを周囲に知らせなきゃいけないので、多少誇大して表現するところがあるのでこのゲームはこれでいいのかなと思うのですが、これを現実の社会に当てはめて考えると、このステレオタイプの上位ステータスの表現が当てはまらないこともあるなと思うのです。

リーダーシップを取るべき立場の人というのはその振る舞いがフォロワーシップを左右するものでもある思うのです。
だからこのステータスのゲームのように(本当はこのゲームはもっと奥深いものなのかもしれないけれど、少なくとも私が経験したステータスゲームでは上位ステータスを演じる時には胸を張って声を張って命令してたような印象。笑)、上位ステータスの人は、完璧、孤高の人、気を遣われる、萎縮される、ミスしない、人に厳しいという単語が似合う人より、ちょっと抜けてる、みんなに助けられて今日があります(と本人が認識している)、気を遣わせない、時々言動に突っ込まれる、たまにミスもする、人に温かいという単語が似合う人の方が、フォロワーシップを高めると個人的には思っています。

頭の良さや段取り力も確かに多少は必要だけれど、それよりも
なんか支えたいなあと思わせるひと
なんかかわいいひと
気兼ねなく言動に突っ込めるひと
が上司にいると、私は全力で自分の持っている能力を使おうと思えます。

その場の雰囲気を感じ取り、即座によい空気に持っていけるリーダーは素敵です。
そのためには自分の"ステータス"を低めることをも厭わない、むしろ積極的に低めまくる、そんな人がフォロワーの心を掴むのだろうと思っています。


身体に気をつけて。

無理をしないで。

これって相手を思いやって発する言葉だと思います。私もよく発していると思います。


けれど、例えば仕事や介護や子育てにくじけそうになりながら、毎日なんとか過ごしている時に言われると、どうしたら身体を大切にできるのか?どうしたら無理をせずに過ごしていけるのかということを考える余裕がない時もあって、そう言われてもどうしたら…とおもってしまうことが正直あります。

今の状況を打開する方法や今よりも無理しないでできる術を考えることさえできない。

そんなことを感じているのに、自分もその言葉を誰かに発してしまったりして、いったいどんな言葉をかけたらいいのかなと悩んだりしていました。


ある時、介護と仕事でくたくたになっていた私に、以前一緒に働いていた同僚がこんなことを言ってくれました。


家事はどんどん手抜きするのよ。

食器洗浄機とかある?

もってなかったら買うといいよ。

一気に洗えるところが最高。

家電がやってくれることはやってもらったらいいのよ。


たしかに食器洗いに時間を取られて本当にあっという間に時間が過ぎてしまっています。

そうか!食洗機に洗って貰えば少しその時間が楽になる!目からうろこでした。

食洗機に食器を洗ってもらうなんてことが全く私の頭にはなかったのです。


とても具体的なアドバイスで、たしかにこれで少し楽になりそうと心も楽になりました。

よく考えればつまりは無理をしないで!というメッセージなんですが、すーっと入ってきたんです。


そこで、人に想いを伝えるということについて、ちょっと考えてみました。

自分の思いやアドバイスを人に伝える時、相手のコンディションによって伝え方を変えられるといいなと感じています。

相手がやる気に溢れているときは、その人自身で考える余地をできるだけ残して抽象度の高いことを伝え、相手が挫けそうだったり困っていたりと気力も低下気味の時は、できるだけその人が考える余地を少なくして、とりあえずすぐ実践できるレベルの具体的なことを伝えられるといいなあと私は個人的におもっています。


今日のメインテーマは挫けそうな時に受ける言葉についてですが、いつもいつも具体的がいいわけではなくて、気力がみなぎっているときは、心も頭も冴えていることが多く、アイデアや考えが浮かんだりまとまったりするので、抽象度がある程度高いものの方がいい気がするのです。

そういう経験を通じて自分が考え抜けたという事実が自信を強化してくれると私はおもいます。


けれど、気力が低下気味の時は、考えるということができないことが多くて、抽象度が高いとどうしていいか分からなくなって混乱したり、自己嫌悪に陥ったりしがちです。

だから、できるだけ考えなくても実践できるレベルにして伝えられると食洗機エピソードのようにそれならできそうとやる気になって、少し現状より楽になることができる可能性も高まるのではと感じています。


困難なことに直面している人に寄り添うってどういうことだろう?とここのところよく考えます。


食洗機買った方がいいよって言ってくれた方は、近かったら夕飯でも持っていけるのに、とも言ってくれました。

それは紛れもなく、その人の気持ちから発せられた言葉で、その気持ちが本当に心から嬉しく癒しになったのです。

言葉を相手に発するだけでは寄り添ったとは言い切れない。

月並みですが、その人の本当の心みたいなものが言葉という表現を通じて、確実に相手に伝わる。

本当に嬉しかったのです。


現状に挫けそうになっている時って、なぜかその心みたいなものの真意を見抜く力が高まるものだなとおもっています。


元同僚の言葉と心遣いを直接受けて、困難なことに直面している人には、自分ができることは何かを具体的にイメージしながら寄り添い、言葉を発する人になりたいと思いました。

精進します。