文鮮明教祖の堕落性を脱ぐ方法(賭博・銃) | ちゃぬの裏韓国日記

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(統一教会=世界平和統一家庭連合)

■堕落性を脱ぐためには「愛せない者を愛する(怨讐を愛する)」ことや「為に生きる」「自己犠牲・自己否定」のことだと思っていましたが「趣味に没頭すること、自分の好きなことをやること」をすればいいようです。文教祖は「ハンティングは、自分の堕落性がいっぺんに取れてしまいます。無邪気になって、本来の自分に返るからです。」とハンティングを奨励しています。統一信者の皆さんは堕落性が脱ぎたければ、「献金」するより好きな「趣味」に没頭されるのがよろしいのではないでしょうか。

しかし、パチンコは日本人には「ギャンブル(賭博)」という認識ですが、文教祖の目には「日本の趣味産業はパチンコです。男も女も子供も、みなパチンコ玉のかごを抱えてやっています。」と映るようです。
子供が賭博したら駄目でしょう。

そういえば文教祖は博打デビューは8才でしたね。
文教祖の感覚では、子供は博打をするもののようです。

先生は八歳から賭博王でした。賭博場の王(博打王)でした。(賭博に関して)知らないことはありません。』
(「文鮮明先生み言葉選集」308巻より)

『パチンコを一回やってみた、フロリダのホテルで。一つパチンコをやってみた。しかし先生は、十二、三才まではバクチの選手だった。よくやった、これは男の気質に合う。全ての一晩もうけた金でもいっぺんになくなってしまったあとの気持ち、ムッスリした姿、男として体験すべきだよ。
(神様と我々(絶頂を越えよ!) 1972年5月6日 東京・狭山湖)

『そのような(賭博の)素質があるので、私は12歳の時、賭博場に通いながらチッコテン(花札ゲームの一種)はすべて勝ちました。
((「選集204巻」より 為に生きる人生を通して氏族メシアの使命完遂 1990年7月11日 韓国国際研修院))
http://ameblo.jp/chanu1/entry-12044526562.html

文教祖は「自分は心と体が一体化している」という根拠は、自分の良心の呵責を感じず欲望のままに行動できるからでしょう。
良心的な一般人のように、そこに心と体の葛藤がないのですから。
文教祖のいわく「完成人間は心と体が闘わない」のですから。

















統一教会製造の空気銃(鋭和3B)













統一教会のいう平和とは・・・





以下み言葉です。

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『それで、六三年度から狩りに高い山に行って、鹿一組を捕らえて、刃物で心臓を裂きました。なぜこのようなことをしなければなりませんか? 復帰です。それで、狩りが必要なのです。』
(第三十九回「真の父母の日」敬礼式後のみ言葉 1998年3月28日 漢南国際研修院)

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<これからの趣味産業>

 日本から釣りに行く場合、韓国の済州島が一番近いのです。たくさんの種類の魚がいます。火山脈があるので、プランクトンが豊富で、たくさんの小魚が集まるのです。そこへ小魚をえさとする大きな魚がやってきます。えさが多いので、一年中たくさんの種類の魚がいるのです。

 それで、このような二週間の修練生のために、今二〇〇隻の船を造らせています。皆さんがその船に乗りたいならば、運転を習わなければなりません。白い手袋をはめて、さっそうと運転するのです。日本でも知られている地帰島は有名な所で、先生は二〇数年も前に買っておきました。地帰島、地球に帰っていくという象徴的な名前の島です。

 この島を買う時は、韓国のお金で何百万ウォンだったのですが、今では何億ウォン出しても買えない所です。船に乗って釣りをしてみると、みな、またそこへ戻っていきたくなります。「年に一回は来なければならない」、そういう思いになるのです。

 この中で、アラスカのコディアックに行った者、手を挙げてみてください。また行きたい者、手を挙げてください。(行った者全員手を挙げる)今から、先生によって趣味産業が始まります。日本の趣味産業はパチンコです。男も女も子供も、みなパチンコ玉のかごを抱えてやっています。文化的生活だけでは息が詰まってしまうので、人間には趣味が必要なのです。

 西洋にはカジノがあります。日本ではパチンコ。誰もが入れるようにして、組織的、団体的にやれば賭博にはなりません。どこどこの団体は何月何日に行く、というようにして、回数を年に三回ぐらいに決めればよいのです。そして、赤字にならないようにしてあげるのです。失ったお金の半分以上は、宝くじの券を分けてあげるのです。そうすれば、その人は絶対に破滅状態にはなりません。

 ところが、ラスベガスなどでは、すべてが奪われてしまうのです。父母からもらったお金や、ダイヤモンドなどの宝石類を、全部売ってしまうはめになるのです。元金を取り戻そうという思いは、復帰観念に通じます。失ったものを取り返そうとして、最後には一ドルまでも欲しくなります。一ドルを賭けて二ドルを取り戻そうとし、二ドルで四ドルを、四ドルで一〇ドルを……というようにしていけば、一ドルが何万ドルにもなるのです。

 ですから、賭博というものは発展するようになっているのです。したがって、一人でやって破滅しないように、団体でやる世界的なクラブの組合をつくって、一年に何回と決めて、それ以上はさせないようにします。

 このように、人間の性格には賭博性があります。掛け合いの思いは、賭博性に通じるのです。それは、最高の神様を占領しようという基準からそういう現象が分立されて、賭博性が現れてくるのです。

 次に、スポーツです。素質のある者は、「やるな」と言ってもやるようになっています。きのうよりもきょう、きょうよりもあす、誰にも負けたくありません。夜帰ってきて、寝ないで準備をするのです。趣味というものは、無限に発展する要素を持っているのです。世界から戦争がなくなれば、スポーツの世界において競争になります。

 それから、ハンティングと釣り。釣りは幼子から老人までやれます。しかし、ハンティングはそうはいきません。お年寄りには難しいのです。ハンティングは、逃げる鳥や獣を追いかけていって撃つわけですが、それは本当に刺激的であって、釣りのように魚の方から掛かってくるのを待っているのではありません。ハンティングは、自分の堕落性がいっぺんに取れてしまいます。無邪気になって、本来の自分に返るからです。

(女の道 1994年1月21日済洲研修院(日本の女性に日本語で語られたもの))


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※初回更新日 2011-10-10 09:16:10



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