教会で文教祖を離婚に追い込んだといわれた反対牧師は宗教界のノーベル賞を受賞した | ちゃぬの裏韓国日記

ちゃぬの裏韓国日記

カルト統一教会と世界支配層との関係をあばく
(統一教会=世界平和統一家庭連合)

■教会で「文教祖を離婚させ、統一教会を批判したと言われていた反対牧師」は運が悪くなるどころか、宗教界のノーベル賞を受賞した

文教祖は1958年に最初の妻の崔先吉夫人と離婚した背後には、既成キリスト教会の韓景職がいたと教会ではいわれていますが、実は離婚の本当の原因は文教祖の浮気・不倫(女性問題)なのです。
(韓景職牧師は、文教組の妻(崔先吉)を手助けしただけ)
それを教会では本当の離婚原因(文教祖が複数の女性信者との不倫したこと)は隠蔽して、妻やその家族、反対牧師を悪者にしています。
妻に自分の不倫を我慢し容認しろ、と無理難題を要求したのは文教祖なのです。

『第3章で、文師と統一教会を「中央日報」で批判した神学博士・韓景職牧師(一九〇二―二〇〇〇)について少し触れたが、韓牧師は一九四五年に北朝鮮から韓国に来て永楽教会を創立した。
 韓景職牧師は「梨花女子大事件」が起きた一九五五年に、大韓イエス教長老会の総会長に選出されている。この韓景職牧師が、崔先吉女史に文師との離婚を背後でそそのかした人物である。崔先吉女史は、大韓イエス教長老会(再建派)の信徒であった。
 文師が収監された背景には、この韓景職牧師ともう一人、崔先吉女史の叔父である崔聖模氏(一九〇九―一九七六)がかかわっていた。』

(「受難の源流」より)

しかしその後、1992年に韓景職牧師は宗教界のノーベル賞といわれる「テンプルトン賞」を受賞します。

<韓景職牧師プロフィール>
『韓景職(한경직 ハン ギョンジク;1902年12月29日平安南道平原郡-2000年4月19日ソウル)は韓国の牧師。テンプルトン賞受賞者。
長老教会に入信し、1925年、平壌の崇実専門学校(現ソウルの崇実大学校)を卒業した。その後アメリカのエンポリア大学、プリンストン神学校に学んだ。1933年長老教会牧師となったが、神社参拝を拒否したため辞任させられた。1945年、ソウルにペダニ伝道教会(後の永楽教会)を創立し、後年には信徒数6万人を数える教会に発展させた。1973年まで担任牧師を務め、その後名誉牧師となった。清貧を実践し、また社会福祉事業を積極的に行った。これらの業績から、1992年度テンプルトン賞を受賞した。

(ウィキペディアより)


文教祖は、韓景職牧師のことをボロクソに言っていましたが、世界は彼を評価しました。

一方、文教祖が取った賞といえば「イグノーベル賞(2000年)」「ゴールデンラズベリー賞(1983年)」と、自分が作った組織(WANGO)から自作自演で受賞した「万国平和賞(2000年)」くらいでしょうか。

『統一教会に反対していた韓景職牧師はいつ死にましたか? 昨年死んだだろう?(「はい」)このような者たち、猛烈に反対した人たちがあの国(霊界)に行ってどのように悲惨だという事実を通告するのです。』
(「文鮮明先生御言選集」360巻より)

『韓景職が霊界に行って、今は困難なようだな』
(「文鮮明先生御言選集」373巻より)

『「・・・永楽教会、韓景職牧師だ」と言うのですが、恨で硬直した牧師がどこの天国に行くことができますか?(笑)永楽教会、永楽地獄なのです。(霊界に)行って、聞いてみなさい。今からでも「文総裁にそのような失礼をした韓景職牧師が天国に行きましたか、地獄に行きましたか?」と聞いてみなさい。文総裁の前にサインを望んでいる可哀相な男になっています。反対して、私の妻の離婚のコーチをしたその輩たち!』
(「文鮮明先生御言選集」455巻より)

『本当に神様は冗談もお好きです。それで「韓景職」です。どれほど「恨」ができて「硬直」になったのでしょうか? 「永楽教会になった。」と言いますが、「永楽」で国を救うことはできません。「永楽」で仏教を消化することはできません。儒教も消化できません。』
(「神様王権即位式四周年およびイエス様ご聖誕記念式典」のみ言葉 2005年1月3日 天宙清平修錬苑)

『私が願って離婚したのではありません。違います。既成教会、永楽教会の韓景職(牧師)が……。』
(「天宙平和統一家庭堂」結成大会におけるみ言葉 2003年3月10日 韓国・リトルエンジェルス芸術会館)


文教祖や統一教会を批判したり、脱会したり、活動を熱心にやらなければ地獄に堕ちる、運勢が落ちるというのは、嘘です。
単に信者に対する脅迫にすぎません。
証明不明な霊界や神を持ち出して、
そうやって精神的な恐怖の極限状態に追い込んで、「お前を救えるのは私だけ」と言うのが、文教祖の洗脳の手法です。


にほんブログ村