文教祖のいう「韓国侵略の91%は日本」の根拠(2) | ちゃぬの裏韓国日記

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カルト統一教会と世界支配層との関係をあばく
(統一教会=世界平和統一家庭連合)

「文教祖のいう「韓国侵略の91%は日本」の根拠(1)」の続きです。

まず(1)を読んでいただければ話の展開がわかりやすいです。

文教祖がみ言葉で『韓国は、外国から九三二回も侵略されているのです。そのうちの九十一パーセント以上が日本にやられているのです。』と言っていた根拠になるみ言葉を見つけました。

■李丙燾(イ・ビョンド)氏の本を参考にした文教祖

『大韓民国の歴史五〇〇〇年、七〇〇〇年を論議するときに、一度でも自主的な国家を持ち、世界に誇ったことがあるでしょうか? 李ビョンド博士の本によれば、侵略された回数が韓国動乱まで合わせて九三二回です。そのように記録されているのです。どれほど悲惨なことでしょうか? 刃物で刺された人がいないでしょうか。孝婦(=孝行心の厚い嫁)の称号をもらった人が犯されなかったでしょうか、あらゆることがあったのです。それを知らなければなりません。
 この少数民族の背後には、長い歴史に恨みが漂っているということを知らなければなりません。恨み多い民族! これを誰が救うのでしょうか? 天だけが教えるのです。皆さんの心の奥に、そのような恨みを持っていることを知らなければなりません。その恨みの荷物を背負い、建国理念を探していかなければ、この民族は消えてしまいます。神様ご自身の悲しい事情と、痛ましい事情に韓民族が一番近い距離にいるので、韓民族を神様が守ってきました』

(絶対信仰と絶対愛1994年10月9日韓国・中央修練院)

<李丙燾(イ・ビョンド)氏とは・・・>
『実証性(実証史学)を重視し、客観的、価値中立的、科学的な歴史研究を唱えた。李丙燾(이병도)など、日本の歴史学界で専門教育を受けた歴史学者が中心となった。民族史観の立場からは、植民史観の亜流だと批判を受けることもある。』
(朝鮮の歴史観より)

『植民地朝鮮は、我々がしばしば想像するような深刻な思想統制の社会ではなかった。少なくとも朴大統領、全大統領のような馬鹿が国を治めた時代よりはもっと思想の自由が許容されていた時代だった。言わば、植民地朝鮮は韓国の現代史においては 思想的ルネサンス のような時代だった。たとえこのような思想的ルネサンスが植民地朝鮮における 左右思想対立 として現れたとしても、それでも我々が思っているよりは、はるかに思想の自由が保障されていた時代だった。どちらかと言えば朴大統領時代のほうがより深刻だったと。 おかげで各学派は自分なりの歴史研究に邁進できた。しかし、やはり朝鮮総督府が見ると、穏健であり自らの植民地支配に悪影響をあまり及ぼさない歴史学派は 文献考証学派 だった。それで、朝鮮総督府の朝鮮史編纂委員会には多くの文献考証学派の学者らが所属していた。その代表的な人物が韓国歴史学界の巨木、斗渓・李丙燾(イ・ビョンド)先生 だ。李丙燾先生は1896年龍仁生まれで、宝城専門学校(のちの高麗大)を出て、早稲田大学で史学を勉強して、京城帝国大学 文理科教授まで歴任したお方だ。もちろん、解放後の韓国の歴史学会でも中心的な人物として健在だったお方だ。(中略)解放後の南韓では 朝鮮総督府 朝鮮史編纂委員会 出身の李丙燾先生を中心にする 文献考証史学派 が 核勢力を成したという話なのだ。この文献考証学派 の中心を成したのは 震檀学会 だ。彼らは解放後、実質的に韓国の歴史学会を導いていった中心軸であり、今現在、我々が使用している国史教科書は、彼ら震檀学会出身の学者たちの手によって構築された韓国史の執筆方向とその脈絡を共にしているのだ。朝鮮総督府が中心になって委嘱した朝鮮史編纂委員会メンバー出身である故・斗渓 李丙燾先生が中心になって1934年に組職された文献考証学派である震檀学会が、解放以後、理念対立の中で唯一無二の競争者だった社会主義史学派が北韓に渡っていった後に、完壁に韓国の史学界でその地位を確かにしたということ。そして我々の誇らしい「国史」教科書がこの震檀学会の研究的後継線上に存在するということ。』
([分析] お前らが歴史歪曲を言うのか?より)
http://nippon-senmon.tripod.com/hantou/rekishi/korea_gishi01.html


言いたかったことはそれだけなのですが文教祖が日本侵略が韓半島歴史2000年のあいだ932回と荒唐無稽なことを言っているので、調べてみただけのことです。
1948年に「大韓民国」という国が成立してまだ63年くらいしか歴史のない韓国に関しては、日本から一度も侵略されたことはないし、植民地時代前の「大韓帝国」は自力で独立は難しく、日清戦争で日本が清(中国の前身)から解放し独立させたのです。
韓国にある独立門は、清から独立できたときに記念して作ったものです。それほど中国からの属国支配からの解放は韓国にとっては喜ばしいものだったのです。
しかし現在、その「独立門」は「日本からの独立」を記念して立てられたと事実を摩り替えて韓国では教育されています。



■文教祖の「東方礼儀之国」の捉え方

韓国は四千年の歴史を持っています。韓国は、東方何というかな?(東方礼儀之国です)。礼儀というものは、良いものですか、悪いものですか?(良いものです)。えーい、いいぞといいますか、えーい、気分が悪いといいますか? 気分の悪い国だということです。「礼儀之」というときに、「之」というのは助詞であり、「の」という意味です。ですから、礼儀之国というのは、気分の悪い国ということです。そうですか? 気分の良い国ですか、気分の悪い国ですか?東方礼儀之国というとき、皆さんの考えでは「東方礼男」ですか、「東方礼女」ですか? 韓国を東方礼儀之国というとき、男を指していいますか、女を指していいますか?(女です)。女を指していっているようですね。(はい)。東方礼儀之国というのは、女を指していった言葉です。ですから、韓国の歴史過程においても、夫に真心を尽くそうとした婦人たちは、思うように暮らせなかった女性たちだったのです。
(人の生涯 第四章 模範的生活)

『歴史的に見るとき、信仰心に燃えている民族はどの民族でしょう。神様という言葉も聞くことができず、先知先烈のいかなる予言もなかった五千年の歴史をもってきた韓民族が、何か知らずに天に対する信仰心が高いということを私は発見しました。皆さんが何と言ってもいいです。私は発見しました。
 この民族、東半球の爪のように小さなこの国が今まで子々孫々、時代時代を経て五千年の歴史をもってきたという事実は奇跡です。韓国歴史を調べてみてください。あれほど多くの侵犯を受ける危険な歴史路程を経てきました。食べては吐き捨て、食べては吐き捨て、吐き出すときには肉が付いていませんでした。そうしながらも民族の精気として流れるその何かをもって希望の一日を望んできました。極東の韓半島を動かしてきた希望の民族精神、これがあったために今まで闘ってきたのです。このような精神をもって動いてきた民族にメシヤが来ないでしょうか。私が見るには、来るというのです。皆さんはこれを知らなければなりません。
 また、情的な面でも極東では韓国人以上に情熱的な人はいません。また東方礼儀之国と言います。この国に儒教も入ってきて盛んになり、仏教も入ってきて盛んになりました。キリスト教も同じです。しかし今は信義の宗教、希望の宗教であると主張した仏教も、儒教も、キリスト教もその使命を果たした段階にあります。しかし残っているものは何でしょうか。民族精神を中心として世界理念に燃えることのできる隠れた情熱が心からほとばしっているのです。

(神様の摂理から見た南北統一(すべての宗教が実を結んだ韓国))

『白衣民族というのは驚くべきものです。白色は平和を表示するのです。それゆえに、中国人、日本人、韓国人、この三国の人々が中国あるいはソ連のシベリアの大地で殺し合ったりしている中でも、韓国人は、刀を持ち歩く人が一人もいません。しかし、日本人の死体を見ると、ほとんど刀を持っており、中国人も同じで刀を持っているのです。韓国人がただ一つ持っているものは、火打石だというのです。どこか道のない所でも、火をつけられる秘法をもっているのです。これは、真理の拡散を象徴するのです。タバコを吸うだけではありません。火打石さえあれば、寒く凍りつく所でも、いつでも火をつけることができ、いつでも生死をさまよう環境を開拓できるのです。そのような始終の核、アルファとオメガの根源をもつ民族は韓民族しかいないのです。それで東方礼儀之国というでしょう? 東洋天地のどこにも侵略してみようとした歴史がないのです。それで今まで犠牲の踏み台だったでしょう?』
(南北統一と世界平和(世界紛争の縮小版韓半島))


この「東方礼儀之国」の本当の意味を知っている韓国人は多くありません。文教祖もどちらかというと好意的に捉えているように見えます。

しかし本当は「中国の属国として礼節を尽くした国」だそうです。韓国は歴史のほとんどを中国の属国(支配下)として過ごしてきました。あまりにも虐げられて「恨」が抜けきれず、他国を信じられないのです。日本は島国で海に囲まれているためこのような地政学的リスクは韓国より低かったことを考えると、民族の性格の違いも納得がいくような気がします。



■「東方儀礼の国」の真の意は・・
『さて、韓国人が誇るものの中に「東方礼儀の国(邦)」とういう朝鮮を指し示す言葉がある。この言葉の本当の意味を知っている韓国人は少ないのだが、これは中国王朝から朝鮮へ贈られた言葉である。即ち、中華の天子へ忠実に諸侯の礼を尽くしてきた朝鮮へ中国が上記の「東方礼儀の国」という言葉を贈ったのである。直訳すれば「中国の属国として礼節を尽くした国」という意味なのだが、この意味を韓国人は全く理解していないのが、皮肉である。中国王朝の属国における歴代国王は、原則皇帝の臣下と見なされる。朝鮮国王は中国皇帝によって任命され、中国の朝廷は朝鮮の王妃や王太子の廃立に至るまで、その権限を振るうことが出来たのである。ちなみにこの当時、朝鮮を実質的に指揮監督していたのは、中国王朝の北洋大臣や直隷総督などである。つまり国王というのは形ばかりのものであって、決して主権国家の元首として扱われていたのではないのである。さらに朝鮮国王の中国王朝からの使節の出迎えは余りにも屈辱的である。満州人の使節が来ると、朝鮮国王は自ら高官を引き連れて迎恩門まで歓迎に赴いて、地面にひざまずいて使節に敬意を表し、宴会を催し、芸を披露して接待しなければならなかった。王太子は慕華館(迎賓館)で使節に酌の礼をするのが最大の役目だった。』
(パクリ大国 南朝鮮「韓国を知る」より)
http://nandakorea.sakura.ne.jp/html/kan_siru.gazo.html



■韓国が歴史的に他国に侵略され、虐げられて変質していった歴史の過程がよくわかるサイト

コリアンジェノサイダーnayuki
http://www.getemono.com/contents/nayuki/KGtop.htm
※入るのにコツがいりますが・・・・


「文教祖のいう「韓国侵略の91%は日本」の根拠(3)」に続く