文先生の不倫は神の摂理?(2) | ちゃぬの裏韓国日記

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カルト統一教会と世界支配層との関係をあばく
(統一教会=世界平和統一家庭連合)

前回の記事「文先生の不倫は神の摂理?」(1)で書いたように文教祖は最初の妻との婚姻中に金明熙さんを妊娠させています。いわゆる「不倫関係」です。文教祖が最初の妻と結婚した1945年から離婚した1957年という時代は、不倫は倫理的・社会的にも大変重い罪でした。韓国は「姦通罪」という罪があります。姦通罪とは、婚姻して配偶者のある者が、他の者と姦通(性関係)することにより成立する犯罪です。そのため、もし不倫が発覚しようものなら必ず実刑で刑務所に収監されてしまう程でした。その姦通罪を逃れるため1954年妊娠した金明熙(喜進の母)を日本に送ったのです。
しかし1955年7月事件が起こります。多数の女性信者との血分け(血統復帰儀式の性行為)の疑いで文教祖は逮捕されました。

今回は、最初の妻と離婚するに至るまで文教祖がどのような生活をしていたか調べてみました。

最初の妻崔先吉夫人と婚姻中に数多くの女性と「血統復帰儀式」(性行為)の現場を見て崔先吉夫人が腹を立て教会の家財道具を売り払い、さらには女性信者を追い出してしまうため文教祖は、それを逃れるため住居を転々としたのです。

文教祖が最初の妻崔先吉夫人から逃げ廻っていた内容です。
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そんなある日、三千浦へ李鳳雲長老が突然訪ねてきた。李長老は、「水晶洞の教会がたいへんなことになっています。崔先吉さんが、文鮮明先生が婦人の食口たちと復帰の儀式(セックス)をやっているのを見て暴れ出し、食口たちを全部、追い出してしまいました。そして、水晶洞の教会を崔さんが家財道具ごと売り払って、教会がなくなってしまい、集会もできない状態になっているのです。できるだけ早く戻ってきて下さい」と私に言った。(中略)あとでわかったことだが、文鮮明の復帰の儀式に名をかりた目に余る乱脈なセックスに腹をたてた崔先吉夫人は、水晶洞教会で大暴れして、女の食口たちを叩き出した。恐れをなした文鮮明は、女たちを連れてソウルヘ逃げ、清進洞に隠れ家を借りて女たちと住んだ。しかし、そこもわずか一週間で崔夫人に突きとめられてしまった。私が釜山の専売庁支店から帰る直前、文鮮明はあわてふためいて女たちを四散させ、命より大切なはずの原理原本の草稿もそのままに、崔夫人から逃げ出したのである。女の食口たちに囲まれて暮らすことは、つまり乱れた「女護が島」を意味する。なぜなら文鮮明を取り巻く女食口たちは、復帰原理に沿って身体を開き、再臨メシアを自称する文鮮明とセックスを最低三回はしなけれぱ、女として復帰の資格が与えられないからだ。
 当時、文鮮明を先生と仰ぎ、その原理を盲信していた私は、しばしば復帰の実践現場であるセックスを目撃したり、宗教儀式にそぐわない女食口たちの、狂態や矯声を見聞したこともある。だが、あくまでもそれは、再臨主としての務めだと解釈していた。一方で、どうしてもわからなかったことは、なぜ再三にわたって尻に帆をかけたように崔夫人から逃げ出すのか?だった。メシアなら妻の前でも堂々とやれぱよいのに、妻一人伝道できなくて、どうしてこの世が救えるのか?と疑問が湧いてきたのも事実だった。それともう一つ。あれだけ大切な、伝道には欠かせない原理原本を放り投げて逃げ出した文鮮明に、言行不一致の疑いを持ったのも事実である。清進洞から逃げた文鮮明は、また別の場所で女と一緒だったが、それがまたとんでもない事件に発展していくことになった。

(朴正華著「六マリアの悲劇」(恒友出版)P.81より)
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文教祖の部下だった金明熙氏も文教祖が住居を転々とした理由を以下のように述べています。
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<「金明熙氏の訴状」より>
4、反倫理、反道徳、反社会性
 文鮮明がくりひろげた混淫の行脚はわれわれの想像をこえている。文被告の教義がいくら混淫の血分けだといっても、その程度があまりに深刻で放置しておけない。彼は百数十名の女子らを耽溺した色漢であり、代表的な悪例として、一人の母と二人の娘を同時に犯した三母女混淫事件をはじめとし、母女混淫、叔母と姪混淫、主婦姦淫、寡婦、独身女姦淫など、その醜悪な実相に至っては各論部分にて追って詳述することにする。果たしてこうしたことがこの国この社会にあったのか、疑わざるを得ない。彼の行跡は一九四〇年代から混淫を記録しているが、こうした理由によって彼は解放後、北緯の興南で監獄にぶち込まれ、国軍の越北進軍のおかげで釈放され南下し、一九五四年ごろにはいわゆる梨花女子大事件でまたも監獄行となった。こうした中でも彼は貸家を転々としつつ、旅館その他の場所で、はなはだしい例としては、一つの部屋に数名の女たちを連れ込んで順次混淫を行った上、彼についてきた信徒に「あなたもちょっとやってみろ」と いって、その信徒が唖然失色して、脱教した事例もあった。彼のパンツは常に汚れていて、彼が便所へ行けばついて行って、彼の「生命の樹」を便所内にまで要求する女までいるほどであった。彼の糟糠の妻、崔先吉にゴム靴で頬っぺたを火花が散る程打たれたこともあって、常に逃げ廻るのにせわしかった。そうかと思えば、一過程に六十万ウォンずつ、三過程を経て清算し得るという血分けで、百八十万ウォンをもらって混淫したこともあり、女娼ならぬ男娼としての行脚を行なったこともある。このような文鮮明の奇怪な発想は、その祖先を神格化する着想にも見られる。文被告の祖先神格化のため、京畿道城州に彼の祖父の墓をまるで王陵のように造りあげたかと思えば、彼の死んだ子のためにも、また陵を造った。一般信徒達が辛苦して稼いだ金で、彼は帝王のように豪奢な生活を営み、これをいさめる者は仮借なく粛清した。(中略)文被告の誇大妄想症は、精神的底辺において、自己卑下の劣等意識を解放することにあったため、貫禄ある家柄の子孫らしく偽装することによって、自らの神格化を図ったのである。これがいわゆる教主文鮮明の実像である。(中略)原告は彼のような者の下で、何を学ぶために入教したのか、自愧を禁じえないし、激怒せざるをえない。彼の行脚で破壊された善良な家庭は数限り無く、合同結婚式は死の行列であり、魔の葬送曲であった。子女と妻が、失なった夫たちを戻せと、結婚式場で泣き叫び、妻と子女を失った夫が妻と子を戻せと絶叫した。彼等の恨みのこもった怨念は永久にこだまするであろう。同時に彼にそむかれた糟糠の妻崔先吉は、糞桶からひしゃくを持って来て、彼に汚物汚水を浴びせたが、その程度では崔女人の怨みが解かれたとはいえない。
(「淫教のメシア文鮮明伝」(晩せい社)の巻末に掲載)
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1955年文教祖が逮捕されたときの様子を劉孝敏氏(36家庭・劉孝元先生のいとこ)が証しています。
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文鮮明と統一協会の本質を物語る事件について、私はもう一つ具体的なことを証言しておきたい。それは一九五五年の「七・四事件」、文鮮明と私たち幹部が逮捕された事件のことである。七月四日の文鮮明に続いて六日、私も逮捕された。逮捕理由は「兵役忌避容疑」。
ところで、この「兵役忌避容疑」は、文鮮明以下の幹部を逮捕し取り調べるための口実で、いわゆる別件逮捕だったことがまもなくわかった。捜査官の質問が日を追って、妙な方向へ移っていった。
「お前たち夫婦の仲はどうなのか?セックスは週に何回するのか?月に何回か?女の信者とは何回したか?…」私は「それが兵役忌避と何の関係があるのか」と大声でやり返し、捜査官と口論したこともあった。しかし、捜査官の調べは執拗で、机の上には文鮮明と女性食口たちの関係を書いた図を置き、セックス関係の確認を求めてきた。私は終始一貫、知らぬ存ぜぬで過ごしたが、内心ではその正確さに舌を巻いたものだった。留置場の中にいる私たちは、外の様子がよくわからなかったが、朴正華さんたちの隠蔽工作の結果か、調べを受げた女性たちは、「私は文鮮明先生と、やっていません」「私は夢の中で、セックスをしたように思います」などと、適当に嘘を並べていた。警察はほぼ的確に、文鮮明を巡る女性たちの相関図をつかんでいたものの、本人の親告や亭主からの告訴を得られなかったため、この件での起訴立件をあきらめた---のが真相だった。だから「七・四事件」は単なる兵役忌避問題ではなく、統一協会の奥座敷に隠されたセックス問題の捜査が警察の狙いで、統一協会の言う「何もない無実の容疑」ではなく、「危うく事実が天下に公表されるのを、免れた」のである。ちなみにこのとき逮捕された幹部の留置番号は、文鮮明三九〇番、劉孝元三八〇番、劉孝永一七〇九番、私一一七五番だった。金元弼も逮捕され、彼だけが実刑の判決を受けて収監された。

(朴正華著「六マリアの悲劇」(恒友出版)P.263より)
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では統一教会側は、文教祖が最初の妻から逃げ回っていたことをどのように説明しているでしょうか。
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<「真の御父母様の生涯路程」より>

南に下ってきて七年間、キリスト教に対する作戦を繰り広げながら、統一教会を発展させる融合工作をしたのです。その中で、問題になったこととは何でしょうか。聖進の母親がキリスト教と一つになって反対し、ありとあらゆる争いが繰り広げられたのです。聖進の母親も、世の中の男の中で聖進の父親のような男はいないと、それだけは分かっているのです。それゆえに、「自分はどんなことでもするから、どんな女性にも負けないはずだから、統一教会をすべてほうり投げて、自分と楽しく暮らそう」と言ったのです。それは結局、「神様のみ旨をほうり投げさせて自分が主管しよう」ということなのです。完全に、堕落したエバの立場だというのです。「アダムを主管しよう」ということです。統一教会がどんどん広まっていくので、既成教会と組んで、先生に対し、「愛の関係がどうだ」とかいう問題を起こしたのです。「何がどうで、こうで」と言いながら反対を始めたのです。どんなに反対してもうまくいかないから、釜山北部署に来て、すなわち「官」を通して、「統一教会は、みんな妖しいことをする連中が集まった団体だ」と告発したのです。北部署でうまくいかないので、今度は大邱署に来て、訴えるのです。警察署の力を借りて、夫を取り戻そうとしたのです。自分の夫が自分の胸に来て、抱かれるような夫であると考えた、そのこと自体が間違っているのです。行くべき道が違うというのです。統一教会が苦労したのも、すべてその人が警察に通いながら宣伝したためなのです。「私の夫が悪いことをしている」と言って、ありとあらゆるうわさを立て、ある話、ない話、なんでも言いふらしたのです。

聖進の母親の名前は崔先吉です。崔氏が問題です。それから崔ソンモという人がいます。韓国が貧しい国家の復興期であった当時において、崔ソンモは韓国の第一人者であったというのです。崔ソンモさえ一つになっていれば、統一教会は迫害を受けることもなく、世界的な宗教になったはずです。梨花女子大事件も起こりはしないし、延世大事件も起こらなかったのです。聖進の母親の叔父が崔ソンモです。一九五五年の事件を誰が起こしたかというと、崔ソンモが起こしたのです。崔氏が先生を監獄に投げ込んだのです。内務部長官と手を組んで、統一教会をなくしてしまおうとしたのです。その息子の名前が崔スニョンです。今でも反対しているではないですか。結局、崔氏のせいで監獄に入ったのです。彼らが告発してそうなってしまったのです。

その母親と父親、一族が少しだけ協助していたならば、聖進の母親はあのようにはならなかったのです。あのようになっていなければ、統一教会は、四十年のこのような受難の道を行くことはなかったのです。私が刑務所にいる時、母親と上の兄、下の兄の三人が面会に来て、脅迫、恐喝するのです。「離婚書を書け」というのです。「判を押せ」というのです。それで私が、「三年だけ待ちなさい」と言いました。「そうすれば、あなた方が疑っているこういうものは、すべて過ぎ去るはずだ」と言いました。西大門刑務所に拘束されている時、聖進の母親とその兄が離婚状を持ってきて、「あなたを信じていたら、我々一族はみな乞食になってしまう。うちの娘は、そんな文家のたねをもらうつもりはない」と言ったのです。言いたいことをみな言ったのです。聖進の母親は、「あなたとは一緒には住めないから離婚してくれ」と言うのです。だから私がそっと耳打ちをして、こう言って聞かせたのです。「『女必従夫』(妻は必ず夫に従うべきである)という東洋思想もあるから、嫌であっても一度考えてみて、三年だけ待ってみなさい。そうすれば、私が離婚しようと言っても逃げていくようになるから」と、そのようにうまく説き伏せて送り出したのに、私が出るや否や、自分の母親と兄たちを連れてきて、脅迫し、「判を押せ」と言うのです。

(真の御父母様の生涯路程3 第三章 統一教会創立と摂理の再出発
三 崔氏一家の不信と離婚の督促より)
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文教祖のみ言葉から見た聖進の母(崔先吉)の摂理的意味です。
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エリサベツを中心として、そのような反対の道を通して、ペレヅの血統を受け継いだ二千年目に、そのような国家的蕩減内容を経ることによって、エバが、神様の息子をだまし、神様をだまして息子、娘を生んだので、それと、ちょうど同じであるというのです。ペレヅのような血統が汚されずに、清い天の国の最初の息子になったので、「独り子」という言葉が成立するのです。分かりますか?ですから、イエス様は、間違いなく選民の中の選民なので、一代に対するすべてのことを、二代を経てすべて蕩減復帰し、代わりに、外的な基準をすべて補充するのです。アダム家庭、兄の家庭が入って来て、娘の家庭を助けてあげ、イスラエルの基盤と血族を受け継いだのです。直系のエサウの一族とは関係ないのです。分かりますね?それで、その血統に沿って、「独り子」という名が、初めて出てくるようになったのです。人類先祖の血統を清め、二つの血統を清めてイエス様が生まれたので、イエス様自身も、私生児として生まれたというのです。そうではないですか?どうして、「イエス様が聖霊によって身ごもった。」と、大騒ぎするのですか? (マリヤは、)ザカリヤの家に行って、三か月暮らして来たのです。そこに行って、赤ん坊を宿したのではないですか? ちょうどユダが、再び祝福を受けたことと同じです。分かりますね?(「はい。」)このように、天のみ旨が、すべて血統を転換させて、取って代わって復帰されたという事実を認めるようになるときに、今日の文総裁は、この世界的途上において、このようなことをすべて蕩減しなければならないのです。ですから、ヤコブが、そのように結婚したことも、先生が離婚するようになったのも、天がさせたのです。レアとラケルのように、二人の兄弟(姉妹)が、一つになることができなければなりません。そのためには、聖進の母親が、そのように妹を育てて、そのようにすることができる、このような立場を助けてあげなければなりませんでした。ところが、それをしないで反対したので、すべて破綻したのです。
(第十五回「八定式」におけるみ言葉 2003年8月31日米国・イーストガーデン
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イエスのときの「エリザベツ(正妻)とマリア(妾)」であり「エリザベツ(姉)とマリア(妹)」の立場の再現(蕩減内容)であったため「崔先吉(正妻)と女性信者(妾)」は姉妹のように一体ならなければならなかった。

「文先生の不倫は神の摂理?(3)」へ続く


<今回のの内容に言及しているブログの紹介>
じじい50の日記(離婚する気は無い、やることはやる、我慢して手伝え?)
http://plaza.rakuten.co.jp/jijii50/diary/201101110000/