文先生の不倫は神の摂理?(1) | ちゃぬの裏韓国日記

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(統一教会=世界平和統一家庭連合)

真の家庭情報(1)をご覧になった方はもうお気づきでしょう。文鮮明教祖が第一夫人と離婚前に金明熙さんと関係を持ち息子の喜進が生まれていますね。実際の「文鮮明教祖の女性関係」はもっと複雑なのですが、ここでは省略しますが、後でまた詳しく説明します。
一般常識的に見たら「非常識」なのですが、文教祖は多分「神の摂理」として大真面目?にしていることなので、統一信者として信仰を続けるのならば「お父様は不倫していない」とは軽はずみに言えないのです。不倫することが「神の摂理」なのですから。(「血分け理論」だと物凄く重要ですよ。正妻と妾の関係とか)


【文鮮明教祖婚姻記録】

[崔先吉]
1943年12月婚約
1944年5月4日挙式
1945年4月28日婚姻届提出
1946年4月7日聖進出産

| 1952年金明熙入教
| 1954年金明熙妊娠・姦通罪を恐れて日本に送る
| 1955年8月17日金明熙が喜進出産

| 1955年12月韓鶴子の母洪順愛入教
| 1956年韓鶴子と文教祖初対面

1957年1月8日離婚成立

  1959年4月金明熙日本から帰国
  1959年4月喜進のみ認知

[韓鶴子]
1960年4月11日挙式のみ
1961年1月27日誉進出産
1961年12月29日孝進出産
1961年12月29日婚姻届提出(男が生まれて届出)
1961年12月29日誉進の出生届提出(男が生まれて届出)
※孝進の誕生日を61年と62年の2つの情報が存在します。ここではウィキペディアの情報を優先します。
教会側は62年として公式発表しています。
(教会の情報にあわせると)
1961年1月27日誉進出産
1961年12月29日婚姻届(子供が生まれて届出)
1961年12月29日誉進出生届け
1962年12月29日孝進出産

となります。どちらにしても「婚姻届」は子供が生まれたあとです。もしかして、子供が生まれなかったら婚姻もなかったことになっていたのでしょうか。(国進さんの例もありますし。子供ができないという理由で離婚させられましたよね)

韓鶴子(真のお母様)との婚姻届・出生届が長男が生まれてから提出されていますが他にも同じように届けられた例を見つけました。

文聖進・金東淑(文教祖の第一夫人崔先吉の長男)
1973年7月18日 祝福
1976年5月 1日 長男 文信一誕生
1976年9月20日 婚姻届提出(子供が百日祝いを越えてから)

直系の男子を生むまでは「結婚を認めない」のが文鮮明教祖のやり方のようです。

「文先生の不倫は神の摂理?(2)」へ続く

<この内容について言及しているブログの紹介>

堕天使のトリック(「神の祝福」の理想と現実)
http://plaza.rakuten.co.jp/kanteishoku800/diary/200809210000/

モモン7032(本当は生きていたのですね1・2)
http://plaza.rakuten.co.jp/momon7032/diary/201101090000/
http://plaza.rakuten.co.jp/momon7032/diary/201101090001/

私のブログ(拝啓 統一教会(御主人様)NO-48)http://plaza.rakuten.co.jp/kimusa/diary/201101080000/