ASDの中年男性の人生の生き方。ときどき投資。 -26ページ目

ASDの中年男性の人生の生き方。ときどき投資。

シェアハウスで社会不適合者たちと暮らしています。発達障害(ASD)だから社会に適応できません。どうやら唯一トレードが好きだから、ひたすらトレードしてるかなぁ。

最近は大自然の中で農作業が主です。生きることは難しい。

投資は自分のルールに従い、淡々とトレードしていく作業ですね。ハッキリ言ってしまえば。


売買した結果、悲観しすぎたり狂喜乱舞したりするのは『悪いトレード』をしている可能性が大きいですね。


とにかく『良いトレード』を毎回やり続ける。

損したトレードでも良いトレードをしたならば、それは長期的に資金が増えていることになります。儲かったというのは、あくまで副産物ですね。


最悪なのは『悪いトレード』をしたのに儲かってしまった、というものです。


儲けてしまったことに味を占め、そんな『悪いトレード』を自己正当化してしまう。いずれ破産します。


何を以て『良い』『悪い』ということなんですが、自分のルールを遵守した=良い、自分のルールを破った=悪い、ということですね。




初心者にありがちですが「損切りができず、含み損が膨らんでしまい、結局強制ロスカットに遭ってしまった」というものがあります。


そもそも損切りができないのは、自分の投資資金に見合わない大きい玉(ぎょく)でトレードしてしまっているのが前提にあるかと。


クジラはクジラなりの戦い方がありますか、コバンザメにコバンザメなりの戦い方があります。


魑魅魍魎が跋扈した市場に自分の資金を投入するのですから、必ず自分の身の丈に見合った玉で売買するのが鉄則ですね。


あくまで確率で売買していくのですから、その確率が外れることも“想定内”でなくてはなりません。


確率が外れる前提なのに、損切りができないということは100%儲けようとしている矛盾に気が付きませんか?



特に確固たる理由がなくても、自分の住んでいる自治体の役所へブラブラ訪問するのは実はメッチャ価値があると思います。


暇つぶしに掲示板や展示物を眺めるだけでも、ボーッとしてるだけでも有益な情報が受動的にキャッチできる機会ってオイシイですからね。


「へ〜こんな制度や支援があるんだ〜」


活用するしないはともかく、情報の種があるないは大きく違ってきますし。例えば「コーラ」の存在を知らない人が「コーラ飲みてぇ!」と思うわけないじゃないですか。「コーラ」の存在を知るだけでも価値があるよ〜って話でした。

俺は神経発達症(発達障害)があるから、一般的な価値観の幸せの享受は受けても自分なりの感性で以て嬉しく思えないのだけど、それでも自分なりの手の届く範囲での『幸せ』と見込んだ対象物の素直に感じた『幸せ』は大切にしたい。



何だっていい。

「今日はあの雲の形が面白かったな」

「近所のラーメン屋さん美味しかったな」

「あそこに名前が分からない植物生えてるけどカワイイな」

「元気な無邪気な地域の子どもを見られて尊いな」

「10円得した買い物だったな」

「あの鈴虫の鳴くタイミングが絶妙だよな」


そうやって自分なりの評価基準で『幸せ』を積み重ねて生きていきたい。

前回の続きです。

 

社会に適合しようとした結果、適合できませんでしたw

 

これは受け入れるしかないですね。

 

脳ミソという臓器が障害をきたしていて、これを気合や根性で克服しようともがいた40年間でしたけど、無理なもんは無理なんで。自己啓発やライフハックを様々手を付けたけど、ど〜しても無理。

 

 

これを理解できない人は理解できないでいい。

 

 

んで思うこととしては、発達障害者は苦手は克服できないので放置して受け入れて、さっさと長所(長所と呼べるものがないなら苦手でないもの)を伸ばすほうを専念したほうが良いということでした。

 

人生は有限だし可能性は有限なので、逆に消去法で選択は絞りやすいとも言えます。

 

一番のネックになるのは『就職』ということでしょうが、もちろん障害者雇用やら合理的配慮やら今の日本社会には難しいハードルはあるけれど、それで勤められたら勤めれば良いし、勤めることができないなら生活保護を受給してしまう選択肢もあります。生活保護を受けながら、もし本人が絵が描くのが好きならとことん絵を描く人生にすればいいし。

 

もちろん私みたいに一般就労で健常者と同じように社会で生きる選択も、本人が納得するまでやってみたいならやってみても良いわけです。

 

ただその代償は私には大きかった。二次障害でいろいろな精神疾患を抱えるはめになったし、勤務してるときも健常者の一般感覚の価値観での振る舞いを“擬態”していなきゃならないので、そのストレスは半端ないものでした。

 

私は仕事以外の時間は、ひたすら眠るしかできませんでした。プライベートの時間≒睡眠でしたね、疲れ果ててしまって本当に。職場では「休日あそこへ行って楽しかった〜」とか「彼氏(彼女)とデートした」とかいう、周りの人がプライベートで楽しむ人生の恩恵を受けられないし、受けられる兆しもないので自分が惨めになるだけでした。これは学生時代からだったんですが。

 

障害者で就労するということは、職場での振る舞いや業務の指示を聞く訓練やマナーとかは散々説かれるくせに、「一般社会の価値観で生きることを強いられる苦痛」については全く話題になりません。ホント虚しくなるんですよね。

 

私は二度と就職する気はないです。

独りでいたほうが寂しくないんですよね。周りに人がいるほうが孤独感が強くなります。そして他人と比べる必要もなくなるので無駄に劣等感を抱く必要もないですし、自分を少し好きになる感覚も生まれるのですね。

 

「あ〜生まれてからこんな気持ちになったことなかった。まともに人間生活を営んでいたら、それこそ死ぬやんけ。幼稚園からの社会生活の教育って何だったのさ?」というのが正直な思いです。

 

私はこれからも投資で金を稼ぐでしょうし、投資がなかったら負担にならない程度のバイトで割り切りで自分が生きる分のお金を稼ぐでしょうし、生活保護も手段としてはありますし。今は障害年金受給してます。

 

私にとっては、働くとは死を意味するに近しい感覚なので仕方ないです。

 

普通に働けるって、スゴイ恵まれてますよ。

働けるって、人間の心・肺・肝・腎・脳や運動器が社会に対応できてるって証拠じゃないですか。

本当にこれが困難な人っているわけですからね。

 

「好きなことで生きていく」までカッコ良くなくても「嫌なことで死なない」って、何だかんだで恩恵受けてると思います。

 

私も私で、基本は孤立の生活で「嫌なことで死なない」人生で楽しみますよ。