ASDの中年男性の人生の生き方。ときどき投資。 -18ページ目

ASDの中年男性の人生の生き方。ときどき投資。

シェアハウスで社会不適合者たちと暮らしています。発達障害(ASD)だから社会に適応できません。どうやら唯一トレードが好きだから、ひたすらトレードしてるかなぁ。

最近は大自然の中で農作業が主です。生きることは難しい。

今週はまったくと言っていいほどトレードしなかった。


確か週の前半は少しだけやった気がするが、記憶が曖昧だ。


(本記事を書いている時点では、証券会社がメンテナンス中であり、取引履歴が見れないから分からない)


あと実は強烈なフラッシュバックが襲ってきたので、トレードおろか日常生活でも支障が生じた。


まぁ、なんやかんやありまして、話をトレードに戻そう。


何はともあれ「まったくと言っていいほどトレードしなかった」理由は、一言で表すと「トレードは技術である」ということがわかったからだ。


あれやこれや考えるくせのある自分は、紆余曲折を経て「ああでもないこうでもない」と考えて、「この考えや手法でやって稼いだとしても、自信を持ってトレードする機会は未来永劫訪れないだろう」という思いに至り、トレンドラインやレジサポラインを引くのを一旦辞めて、ダウ理論から学び直すことになった。


学び直すと、なるほど今の自分には穴がありすぎる。というわけで、実践トレードから距離をおき理屈から学び、それを表現してトレードできるようになる必要がある。


今のところは、数字上では資金管理やリスク管理は致命的な欠陥はないと思っている。


しばらくはデモトレードまたはテスターでトレードしてスキル習得に努める時間を要する。


移動平均線の大きな方向性やトレンド発生時に何をどうすれば良いか頭では理解している。語ることもできよう。但し、まだ実践的にそれを表現していくには未熟すぎる。


水泳を理屈で語るのはできても、水中で泳げなければ意味がない。畳の上で泳ぎを練習しても意味がない、みたいなことと同義だ。


今週トレードする気にならなかったのは、こういった感覚が身に沁みたからだろう。


2週間前の資金700,000円スタートから、現在は650,000円。


これが来週、再来週といつまで続くかは分からない(いつまで実践トレードをしない期間が続くかは分からない)。



自分がトレードする理由は、もはや自尊心のためとしか言いようがない。

本記事は自分用の記録です。

他人が読むと、分かりづらいところあります。



パラメーターを揃える。

各時間軸の移動平均線のパラメーターの期間を同一にしても仕方ない。各時間軸のパラメーターは20とする。複数の移動平均線を表示させるには、よく観察する上位足と下位足のパラメーター期間20と合致するようにする。



移動平均線はあくまでも相場の方向を見るものであり、正確なトレンドの把握はダウ理論により評価すること(トレンドラインは無視)



『安いときに買って、高いときに売る』の真の意味

は、『自分が買った後に、買ってくれる人がたくさんいればレートは上昇する。そしてその高くなったレートで売れば儲けが出る』ということ。「自分が買った後に、買ってくれる人がたくさんいる」が重要であり、それが少数派のトレーダーの見ているところ。多数派は「レートが上昇したから買う(下落したから売る)」ということをしている。



『押し目買いに押し目なし』のワケ

まずは小さい時間軸で見過ぎていた。5分、15分、30分は自分には合わないことが経験から理解した。

時間軸が小さいと、急騰急落やロット数に“余裕”がなさすぎてしまう。そして、押し目も戻りもクソもない。さんざん手痛い経験をしてきて熟慮したのは過去記事より分かりきったこと。

押し目買いや戻り売りというのは、上位足の押し目・戻り目の中の“下位足のトレンド転換ポイント”から仕掛けていかなくてはならない。

…ということは、上昇トレンド転換したとしたら、“高値の切り上げ”から仕掛けていく(次の押し目までは待たない)。



日足トレーダー=日足チャートを見ているトレーダー?

4時間足トレーダー=4時間足チャートを見ているトレーダー?



いろんな意味のダマシ

基本金が渦巻く世界は騙し合いである。

目先の欲に目が眩み、釣られる人ほど騙される。

ぼったくりバーや客引き、偽物を掴まされたり、写真詐欺だったり。金が渦巻く世界は騙し合いが横行していることを心得えよう。

投資の世界は、何も値動きのダマシだけではない。

合法的な騙し合いが繰り広げられていることを肝に命じよう。



結論

トレードは技術職だ。

畳の上で水泳しても永遠に上手くならない。


ASD(自閉症スペクトラム障害)については症状に個人差があると言われます。

 

よく「“適当に”の意味がわからない」「表情に乏しい」「言葉の字義通りに受け取る」と言われますが、人それぞれな気がします。

 

「“適当に”の意味がわからない」

→作業をやっていくうちに“適当”の範囲が理解できるようになるため、“適当に”で意味が通じる(初見では意味が分からない。ある程度の経験を要する)

 

「表情に乏しい」

→本人が人前では笑顔でいようと心掛けていれば笑顔で振る舞えるので、乏しくない。

 

「言葉の字義通りに受け取る」

→人生経験で過去の蓄積されたデータから、すぐに引き出しを開けたら言葉の裏を解釈し推測できる

 

という場合があります。

 

よくYouTubeでもASDの人の特徴を解説した動画がありますが、必ずしもそうだとも言えません。

 

また精神科医で発達障害の解説しているYouTuberでも当事者からすると「それは違うくね?」と一定数から思われる人もいますね(樺沢◯苑は違うと思う。あまり発達障害を理解しているように思いません)

 

発達障害者でも人生経験を重ねていけば、社会的に対応できる幅は広がりはします。

 

ただし限界はあるように思います。

 

私の場合、手術室の看護師として長年キャリアがありましたが、知識・技術・経験の三拍子が揃っても職場が変わればまったく機能しませんでした。

 

まずモノがどこにあるかわからない。人間関係も違う。今までとのやり方が違う。まるで何もかも違って現場で対応できませんでした。職場の人からは邪魔者扱いされていき、入職して3ヶ月くらいの新人看護師からもバカにされましたね。

 

職場に長くいたら空気に馴染み、物品の場所やシステムも理解できるようになりますが、なにせそこまで時間は待ってくれません。

 

慣れるまで周りが許してくれないのですね。

「周りが許せるまでの時間内に慣れなきゃ退職を余儀なくされる」というプレッシャーがあり、結局は退職してしまいました。さんざん周りから使えない奴扱いされた末の結論でした。

 

というように、仕事の技量・知識やらは問題ないにしても環境に適応が困難のためにASD人は働くことにハードルを抱えている人も多くいます。

 

私はさんざん適応しようとした…

残ったのは二次障害でボロボロになった精神でした。

 

 

ASD人は一般社会枠での働き方は無理ですね。

働いたとしても、基本的には『使えない奴』扱いでハラスメントに遭う率も高いでしょうし。自殺リスクも高くなるように思います。

 

あと働けたとしても周囲の人と価値観を共有できないので、社会に溶け込んでいるようで社会的孤立感が深まるのではないでしょうか(個人的にはこれがかなりキツかった)。みんなが当たり前に楽しんでいる私生活の話題を耳にしますが、自分にはその恩恵が受けられないという疎外感。

 

障害者雇用もありますが、どうも働くという人間の当たり前の行為が合いません。

もっと詳しく書くと、働くという行為を通して変化していく状況や環境に適応が困難なんです。

 

 

 

いっそのこと生活保護でいいじゃん。

というのが私の結論です。

 

好きで生まれてきたわけじゃないけど、生まれてきた以上は生きなきゃならない。生きる以上は働くことを当たり前とする価値観の社会だけど、当たり前という行為ができないのが我々ですから。

 

働いてもいいけれど、その営みは周囲の人からは理解されない孤立した時間をやり通す必要があります。実際ASD人は50代60代くらいに自殺で死を迎えるデータもあるので、そのくらいの負荷がかかるのですから(これはもちろん機能不全家族での複雑性PTSDによる影響もあるでしょうし)。しかも知的障害を伴うASD人は40歳未満で自殺が多いようです。

 

これは先天的な脳の障害だから受け入れるしかありません。

どうやら自分が当たり前と思うことが、周囲からすると当たり前ではないですし、周りと上手くやっている風を演じても、社会的孤立という寂しさは付き纏いますし。

 

余談ですが、私はコロナ禍での自粛期間が嬉しかったんですよね。普段から他人と接触したくない自分が、日本中のみんなが自宅待機だなんて自分が正当化された気分だった。中には、自粛期間中に孤独に耐えきれず自殺してしまった人も報じられましたが、私にとってはその孤立状態がデフォルトであり心地良かった。外出しても基本的に人がいない。不謹慎なのは分かっているけど、それが自分の世界観であり、少しだけ世の中が自分の思想に染まってくれた感覚になりましたね。

 

というように、私と社会は相容れないので、大多数側が優位に動いていく社会には私は無理に付いていこうとすると“私が破綻”するのです。

 

 

社会はASD人を働かせようとするけど、そもそも機能的に障害ある人材を職場に投入したら、誰にもメリットないのですよね。本当に。

 

SNSを見て、私と同じASD人は共感することも多く、「無理して働く選択すると、死んでしまうから生活保護で良くね?」という結論になるのでした。

最初700,000円から開始したトレードは、2週間後の今は650,000円になっている。


まぁ、こんなもんだろうな。


しかしながらユーロ円、豪ドル円、ポンド円では日足レベルでは横ばいが数日間続きだけど、よくやってこれたと思う。フツーはトレンドのあるときにやるべきで。




ただまぁ、かなりのトレードの経験は取り返した感がある。やはり人間は使わないモノは衰えるもので、現役で使っている人が一番鍛えられている。


今回久々にトレードを始めたのも、それまで色んなことがあったからで「あ、俺の人生この先死ぬまでトレードと付き合うことにしよう」と思ったからである。


もともと自分は年間可処分所得は100万円あれば生活に困らない人間であり、別に節約してるわけでもない。ASDという脳の機能障害があるせいだと思うけど、世の中に対して興味がないものには一切興味がない。一応、世間に擬態するために興味を示したフリをした時期もあるが、本心では興味がないから長続きなんてするわけがない。


たまたまある程度の資産があって、つい最近までの3年間は本当に毎日ニートの堕落した生活をしていた。世間の生活リズムとは関係なしに、好きなときに寝て、好きなときにメシ食って、散歩して、スマホでゲームして、河原で佇んで、YouTube観て…世の中は自分にとっては興味がない事象が多いので金なんか使う機会がなかった。


仕事も恋愛も結婚も子育ても…昔の自分なら憧れて手を伸ばしてきてガンバってきたのだが、それも過去のこと。まったくそのような一般的なライフイベントを経験できるような人生とは無縁の人種だと3年前に受け入れた。というか受け入れざるを得なかった。(ライフイベントを経験できない素材の人間って、どうも人間らしく生きる尊厳の意味を見出すのが非常に困難だ…)


「無職で生きていこう。別にいつ死んでもいいのだけど。」


もともと社会不適合者の思想とは親和性が高いとは感じていて、社会不適合者やニート的思想の本もたくさん読んで、心底ニートの人生を謳歌したかった。旅行にいっても観光地には興味がなく、疲れやすい体質のせいもあり、すぐ横になりたい。


気ままに自由に生きているニートたちが羨ましい。でも自由気ままに生きているはずの自分には心にシコリがあり、しっくりこない感覚があった。それを3年間続けて、悔しいことに本に書いてあるようなニートたちになりきれないと悟った。


まるまる365日24時間堕落した生活を送りたくてニートになりたくて努力したが無理だった。どうやら自分には完全なニート的な素質がないらしい。


「社会人にもなりきれない。ニートにもなりきれない。」と虚無を感じた。


ここで資産管理上の事件が起きる(詳細は書けないが)。最初はかなりショックだったが、落ちついてくると自分の人生にスパイスを与える機会だと思えてきた。もともと金使わない人生だし、自分が生きてる間は使う予定がまったくない金で、親族へ贈与や相続をするつもりだったし。


「これをキッカケに完全に虚無に陥った自分に成長の機会を与える人生にしよう。そのための事件だった。」と思うことにした。


しかし、成長とはいえ他人と関係性が生まれてしまうものには関わりたくなかった。成長を感じられる分野を選定するならば、一般的には仕事とかになるかもだが、なにせ“仕事ができない”。何かしら他人と共有してしまう分野で、成長は期待できない。異端の俺は社会的に潰されてしまう。


だから個人的なもので完結できて、自分の中でひたすら考えを追求することができて、他人から侵害されようがないもの。


それがトレードだった。


数学者のように数の世界を追求する脳ではないが、お金という人類の発明により人生を右往左往させられる人間の心理がオモシロイ。相場の中には何百万、何千万という人がいて、チャートを介して人間と繋がる感覚も感慨深いものもあるし。



人生の退屈しのぎにはなりそうだ。

トレードに参加するからには、やはり勝ちたいし。

そういうオンラインゲームに興じていこう。

(基本「何にもしない」のが傷だが…)

心理の変化で値動きするとはどういうことだろう。


需要と供給の不均衡が生じたときに発生するトレンドという事象は、トレンドラインで表現するには形容し難い部分がある(チャネルラインで表現するには形容し難い部分もある)。


「押し目買いに押し目なし」という言葉があるように、確かにトレンドが発生しているところで押し目なんて現れない場合も多い。

かつトレンドの傾きが急になったりとかもするし。


レジサポラインにしても買い方と売り方の攻防のポイントになる(最もどこが攻防ポイントになるかの目安にはなるが)。


これらの人間の心理は直線で表せるものではない。


ライン(直線)ばかりに意識を奪われて「ここを超えたらエントリー」「ここまできたら損切り」というのばかりに目を奪われると、大衆心理を読み取るのが疎かになってしまうように感じる。いくらレジサポラインを引いたからといって、直近で反発したレートと過去に遡って反発したレートが同じでも意味合いは違ってくるだろうし。


もっと深い大衆の心理の変わり目をチャートから感じられたら。チャートは大衆心理を表現したものだから。


こうなるとマルチタイムフレーム分析は必須になる気がする(小次郎講師の『トレーダーズバイブル』はマルチタイムフレーム分析について一言も言及されていないのは不満だ。だから大転換時のエントリー一辺倒には失敗する感覚も最初からあったんだけど)。


分からないところは分からなくていい。


ただしトレンド時の大衆心理はもっと追求しなきゃならない。


ここ理解してないと、

「インジケータのサインに頼らないとトレードできない」

「勝ってるけど、不安で不安定なトレードしかできない気がする」

「それなりにトレード経験年数あるけど、しっくりこない」

「ぶっちゃけ手法が良いという判断ができない」

みたいなことになってしまうのだろう。