自閉症(ASD)の人が社会とは距離を置いたほうがよい理由 | 自閉症の山奥中年ニートのゆるい暮らし。ときどき投資。

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山奥のシェアハウスで社会不適合者たちと暮らしています。発達障害(ASD)だから社会に適応できません。どうやら唯一トレードが好きだから、ひたすらトレードしてるかなぁ。

最近は大自然の中で農作業が主です。

ASD(自閉症スペクトラム障害)については症状に個人差があると言われます。

 

よく「“適当に”の意味がわからない」「表情に乏しい」「言葉の字義通りに受け取る」と言われますが、人それぞれな気がします。

 

「“適当に”の意味がわからない」

→作業をやっていくうちに“適当”の範囲が理解できるようになるため、“適当に”で意味が通じる(初見では意味が分からない。ある程度の経験を要する)

 

「表情に乏しい」

→本人が人前では笑顔でいようと心掛けていれば笑顔で振る舞えるので、乏しくない。

 

「言葉の字義通りに受け取る」

→人生経験で過去の蓄積されたデータから、すぐに引き出しを開けたら言葉の裏を解釈し推測できる

 

という場合があります。

 

よくYouTubeでもASDの人の特徴を解説した動画がありますが、必ずしもそうだとも言えません。

 

また精神科医で発達障害の解説しているYouTuberでも当事者からすると「それは違うくね?」と一定数から思われる人もいますね(樺沢◯苑は違うと思う。あまり発達障害を理解しているように思いません)

 

発達障害者でも人生経験を重ねていけば、社会的に対応できる幅は広がりはします。

 

ただし限界はあるように思います。

 

私の場合、手術室の看護師として長年キャリアがありましたが、知識・技術・経験の三拍子が揃っても職場が変わればまったく機能しませんでした。

 

まずモノがどこにあるかわからない。人間関係も違う。今までとのやり方が違う。まるで何もかも違って現場で対応できませんでした。職場の人からは邪魔者扱いされていき、入職して3ヶ月くらいの新人看護師からもバカにされましたね。

 

職場に長くいたら空気に馴染み、物品の場所やシステムも理解できるようになりますが、なにせそこまで時間は待ってくれません。

 

慣れるまで周りが許してくれないのですね。

「周りが許せるまでの時間内に慣れなきゃ退職を余儀なくされる」というプレッシャーがあり、結局は退職してしまいました。さんざん周りから使えない奴扱いされた末の結論でした。

 

というように、仕事の技量・知識やらは問題ないにしても環境に適応が困難のためにASD人は働くことにハードルを抱えている人も多くいます。

 

私はさんざん適応しようとした…

残ったのは二次障害でボロボロになった精神でした。

 

 

ASD人は一般社会枠での働き方は無理ですね。

働いたとしても、基本的には『使えない奴』扱いでハラスメントに遭う率も高いでしょうし。自殺リスクも高くなるように思います。

 

あと働けたとしても周囲の人と価値観を共有できないので、社会に溶け込んでいるようで社会的孤立感が深まるのではないでしょうか(個人的にはこれがかなりキツかった)。みんなが当たり前に楽しんでいる私生活の話題を耳にしますが、自分にはその恩恵が受けられないという疎外感。

 

障害者雇用もありますが、どうも働くという人間の当たり前の行為が合いません。

もっと詳しく書くと、働くという行為を通して変化していく状況や環境に適応が困難なんです。

 

 

 

いっそのこと生活保護でいいじゃん。

というのが私の結論です。

 

好きで生まれてきたわけじゃないけど、生まれてきた以上は生きなきゃならない。生きる以上は働くことを当たり前とする価値観の社会だけど、当たり前という行為ができないのが我々ですから。

 

働いてもいいけれど、その営みは周囲の人からは理解されない孤立した時間をやり通す必要があります。実際ASD人は50代60代くらいに自殺で死を迎えるデータもあるので、そのくらいの負荷がかかるのですから(これはもちろん機能不全家族での複雑性PTSDによる影響もあるでしょうし)。しかも知的障害を伴うASD人は40歳未満で自殺が多いようです。

 

これは先天的な脳の障害だから受け入れるしかありません。

どうやら自分が当たり前と思うことが、周囲からすると当たり前ではないですし、周りと上手くやっている風を演じても、社会的孤立という寂しさは付き纏いますし。

 

余談ですが、私はコロナ禍での自粛期間が嬉しかったんですよね。普段から他人と接触したくない自分が、日本中のみんなが自宅待機だなんて自分が正当化された気分だった。中には、自粛期間中に孤独に耐えきれず自殺してしまった人も報じられましたが、私にとってはその孤立状態がデフォルトであり心地良かった。外出しても基本的に人がいない。不謹慎なのは分かっているけど、それが自分の世界観であり、少しだけ世の中が自分の思想に染まってくれた感覚になりましたね。

 

というように、私と社会は相容れないので、大多数側が優位に動いていく社会には私は無理に付いていこうとすると“私が破綻”するのです。

 

 

社会はASD人を働かせようとするけど、そもそも機能的に障害ある人材を職場に投入したら、誰にもメリットないのですよね。本当に。

 

SNSを見て、私と同じASD人は共感することも多く、「無理して働く選択すると、死んでしまうから生活保護で良くね?」という結論になるのでした。