ASDの中年男性の人生の生き方。ときどき投資。 -17ページ目

ASDの中年男性の人生の生き方。ときどき投資。

シェアハウスで社会不適合者たちと暮らしています。発達障害(ASD)だから社会に適応できません。どうやら唯一トレードが好きだから、ひたすらトレードしてるかなぁ。

最近は大自然の中で農作業が主です。生きることは難しい。

実は今、社会不適合者たちの集うシェアハウスに引っ越す計画があります。


地名は言えませんが、駅から車で60分くらい走らせたところにある民家でお世話になりかもしれません。山の中にあります。自然環境が豊かです。だから「山奥中年ニート」と自分を称しています。


すでに住んでいる人の話を聞くと月5〜6万円で暮らしてるというから、私の障害年金の支給額だけで暮らしていける勢いです。別にトレードで何百万、何千万稼ごうと、シェアハウスに住むという選択肢は譲れないですね。


必要あらば地域住民のお手伝いバイトで小銭を稼いだりして…、生活には不便な土地ですが、同じような社会不適合者の集いなら話は合いそうだし。オモシロそうだなぁ。


はやく今のところから引っ越したいなぁ〜

実は今『発達障害』は『神経発達症』という名称に改められています。

 

とはいえ、SNSで気軽に誰しもが投稿できる現代では『神経発達症』と書く人なんて極少数でありまして、今後もしばらくは『発達障害』で表現されるでしょう。

 

ということで今後も私は『発達障害』と書き続けます。

 

 

 

とまぁ、前置きはこれくらいにして本題へ。

 

私はASD(自閉スペクトラム症)といわれる発達障害者でして、一昔前なら『アスペルガー症候群』といわれたものでした。

 

SNSを見ると、ADHDやLDの人たちが生きづらさを吐露してる様が溢れています。

 

そりゃそうなんですよね。

 

なんせ一見健常者のくせに脳に障害があって、健常者が当たり前にやれることができないのですから。

 

日本社会なんて『付和雷同』『右向け右』『同調圧力』『集団主義』が大好きなので、それに適合できない人は非難されたり仲間外れにされるのが当たり前ですよね。

 

大人になれば“働く”というイベントが待ち構えており、そのために幼い頃から教育を受けているとも言えますよね。

 

しかし発達障害者は就労が困難であり、継続なんてできりゃしない。

 

就労したらしたで周りの人たちからは煙たがられイジメられる話もよく聞きますし、私の場合は仕事がなんとかできるようになっても、周りの人たちの価値観に耐えられませんでした。

 

だって周りの人たちは

「彼女(彼氏)と〜〜に行った」

「子どもと遊んだ」

「〜〜へ行って楽しかった」など。

 

働いても、働く以外のプライベートな時間を充実させる体力や気力なんて残ってないのです。

 

「働いても、自分は幸せになれない。」

 

というのを痛感しました。

 

仕事がバリバリできて仕事が充実していればまだ救いはあったかもしれない。しかし仕事に食らいつくだけで性も根も尽き果てる思いまでしてるのに。虚無感や脱力感…自分の存在価値を見出だせない…

 

これって障害者が働くということでは語られない重要な話かと思います。

 

障害者支援なんて「とりあえず障害者を働かせよう」というだけで、その環境下で晒される価値観への耐性なんて考えられてない。

 

働けば働くだけ(仕事自体はこなすことできても)辛くなる。

 

ホント苦痛ですよ。

 

というわけで“働く”という行為は、単に“働く”のみあらず。

 

これを40歳まで働き続け、二次障害が残りました。

今は無職で毎日気ままに生活してますが、ふとしたときに記憶に苦しめられて生活が地獄と化すこともあります。(複雑性PTSDやら乖離性障害やら…)

 

 

 

というわけで、もし私が未成年に戻れたら“働かない”ための情報を全力で収集していたでしょうね。

 

働いて金を稼いでも特に使う用途はないし、不可逆な代償として心身の健康が損なわれていく…

 

一体、発達障害者が働くことのメリットってなんでしょうか?私にとっては、何にもありゃしなかった。

 

障害者手帳の取得や障害年金の受給、生活保護やらなにからなにまで調べ尽くし活用していく。それらの支援を受けずとも、今の時代にはニートたちも逞しく生きていて、どこかのシェアハウスで暮らして月々の固定費を安くして暮らしていたりするのでネット社会は素晴らしい。

 

私が幼い頃に受けてきた教育の価値観なんて今の時代にはまったく通用しないし、逆に「脳の成長を妨げる精神論やらで害悪じゃね?」としか思わない。

 

根性や忍耐とかスパルタ教育とかに毎日ビクビクしながら生きてたなぁ…

 

今の時代なら「虐待」「ハラスメント」とか言われるものが教育者の機嫌で正当化もされていた時代だから、私の心には社会への恨みつらみが蓄積されていくのでした。。。

 

FXトレード用のテスターをアップグレードすることにした。


Forex Tester 3 → 5 へ


今週はトレードの練習がほぼできずイライラしただけで過ぎ去った。


リアルトレードで、それっぽいチャンスがあって、日足、4時間足、1時間足、30分足、15分足…と見事にパーフェクトに移動平均線の方向へ揃っていたタイミングがあったんだけど、週足の移動平均線で反発して逆行してしまい、損切りをした。


なんと運が悪い。


資産が650,000円→638,000円となった。




Forex Tester 5 をインストールしたものの、3 のときに購入した注文番号やらレジストリキーやら「あれっ?どこだっけ?」とか時間を奪われたり(これがないとアップグレード時にお金が余分に取られる)、そして初期設定の壁に阻まれてマニュアルを参照したりで、途中でなんやかんや中断要素がてんこもりで疲れちゃった。




何事も最初がエネルギー使うよなぁ。

車が動くときと同じで。



ノート型パソコンに『Forex Tester 3』というFX用のトレード検証ソフトをインストールしているのだが、久々に開いてやろうと思っても動作が重くて動かない。


Windowsの更新も最新にしており、何かと動作が軽くなるようにあれこれ工夫してるんだけど、まったくダメだ。


なんか適当なところをクリックして、


こういうのはイライラしてしまい、まったくやりたいことができなくて、何もかもが嫌になる。


こーゆ〜類は大嫌いだ。


トレードが上手くいかなくてイライラするなら話は分かるんだけど。


自分は「注意の切り替え」が下手くそだから、こういうのがあると違う手の付けるべきことができなくなる。もう一日の生活がダメになる。昔から「気分転換」なんて感覚が分からなかったし。ASDらしいエピソードだよな。


パソコンをシャットダウンして再度立ち上げる。


なんか全体的に重い…


もはやノート型パソコンごと鈍器で殴りつけてクラッシュさせてしまいたい。


便利なものはトラブルが生じるとイライラさせるから、本当に良くない。

個人用の記録


リップル(XRP)が最近上がっている。


が、しかし、だ。


上がるや下がるは抜きにして思うことを書いてみよう。


「上がったから買う(下がったから売る)」というのは典型的な大衆心理だ。


それで良いのか?


塩漬けしてもいいから長期保有するつもりならば、別にそれでもよかろう。


しかし、最近始めたFXトレードにおいてはダメだろう。買ったら買ったで、後に続いて買ってくれるところを狙っていく。複利運用して数字を増やしていくつもりならば、上位時間足の方向をへ沿うようにトレンドが転換したときを狙っていく。