ASDの中年男性の人生の生き方。ときどき投資。 -14ページ目

ASDの中年男性の人生の生き方。ときどき投資。

シェアハウスで社会不適合者たちと暮らしています。発達障害(ASD)だから社会に適応できません。どうやら唯一トレードが好きだから、ひたすらトレードしてるかなぁ。

最近は大自然の中で農作業が主です。生きることは難しい。

タイトルで『僕』という一人称を使用しちゃってスミマセン。まぁ気分でそんな日があってもいいでしょうよ。


本記事では「余分な金は要らない」ということを書こうかと。


余分…大きすぎる資産は持ちたくない…苦痛だったという経験談を話したいと思います。


人によって大金って額面は異なるので、幾ら以上という数値の目安はありません。

養う家族の人数や、夢の実現に必要だとか、いろんな事情があるので“個人的に(自分にとって)…”の基準で考えてもらえたら、と。




私は大きく2つの理由があります。

(税率は『法人』ではなく『個人』として算定した場合になります。)


【1】もともと金で得られる恩恵に興味がなかったくせに、大金の管理(節税対策)が面倒くさかった。


【2】贈与・相続やら遺言書のことで頭がいっぱいだった。(「自分が死ぬわけにはいかない」という苦痛)


です。

ま〜気が休まらなかった日々を過ごしました。


【1】について

資産をどういう形態で保有しているかにもよりますが、過去に私は結構な量のある暗号資産を保有していました。そしてその暗号資産をステーキングという形にして、もともとの保有量に加えて不労所得を得ていたんですね。


しかし今現在の日本の暗号資産の税制上では、このステーキングによって得られる恩恵があまりないのです(ステーキング数量が大きければ大きいほど、それを痛感してしまいました)。


まずステーキング報酬に対しては課税対象、そしてそれを円転(売却して円に変える)のにも課税対象になります。


正直、はっ?…えっ?と思いましたよ初めて知ったときには。

(詳細な%の数値はメンドイので省略します。)


つまり単純に“二重”に税が課せられているので、多く税金取られるやんけ!

その時期はステーキング報酬だけで生活しようと思えば可能でしたので、そこら辺は頭を捻ってたんですよ。普段まったく消費したいモノやサービスもなく、欲がないし。


私は毎年「住民税非課税世帯」を目標に合計所得金額を調整してましたから、あんまりステーキングによる報酬も多くしたくなくて、それを年末に調整するために税制の知識を調べたりするのがダルかった…


ふるさと納税やら、寄附金控除とか狙ったり…

もちろん日々暗号資産の値動きもするから、ステーキング報酬量が一定でも円換算すると変動もあるわけです。


あ〜生活に使用するのは法定通貨の円なので、円転しなきゃいけない…しかし、暗号資産の通貨単位のままで買い物ができたら課税率も軽くなるのに。


まずこれがメンドくさかった。という私の管理都合上の問題。




【2】について

じゃあ使わない大金はどうしよう?と考えたら親族に生前贈与してやろうとか、私が死んだら相続人を誰にしようか、相続人に対して相続税の負担を軽減するためにどうしよう…とか。そのためにまた色々調べるんですよ、法律や税制のこと(またここでもメンドイ。)


調べていくうちに色々悩みが出てくるのです。


「贈与しても、贈与してからの7年以内に私が死んだら、その“贈与”した分も“相続”として見なされてしまうんだな…」とか


「暗号資産という形態で相続した場合には課税負担が大きくなり、結果的には逆に相続税という“負債“を抱えさせてしまう可能もあるな(あまりに額面が大きいと相続資産額を上回る税金を払うことにもなる)…無茶苦茶じゃん。←ヘンな話だと思いますでしょ?でも暗号資産で相続した場合、税率が最大110%になるのです。なぜなら相続税の納税は原則的には現金一括納付になります。最大税率で考えた場合、まず暗号資産として相続したら55%の課税、更に日本円に換金(売却して円に変える)したらさらに55%の課税…理不尽ですが現行の税制上そうなる…だから場合によっては、相続放棄するよう言っておかなきゃ」とか


「俺が今死んだら法定相続人としては両親になる。個人的には未成年の親族に相続させたいから遺言書を書かないとな…自筆証書遺言はメンドくて何か漏れがあったらヤバいから、公正証書遺言にしようか…」とか


ま〜他にもいっぱい考えることがいろいろありすぎて、結論は「今、俺は絶対に死ねない!」という日々のストレスが蓄積していきました。


生きる意欲のないメンヘラの中年男性のくせに、死ねない理由ができてしまうのでした。


これはまだ『暗号資産』という新しい資産形態であり日本では法整備が進んでいないということや、大金すぎたからこその悩みでした。


しかしまぁ…日本という国は搾取するんですね…ガチもんの強欲ジジイの塊が自民党なんじゃなかろうか…



で、この悩みを一発で取り去る出来事としては、『盗難』という形で結末を迎えたわけですが笑


この盗難は税務署や警察署にも足を運び、“雑損控除”という形式を取ることになります。(盗難の経緯は詳しくは書けません。時が来たら書ける日も来るかも、と言いつつ書くつもりないw)


最初はビックリしましたしショックでしたよ。

資産管理は面倒くさいと思いながらも、本気でカワイイ未成年の親族に確実に資産を渡したいと思ってましたから。


ただ大金の管理に頭を悩まされるのは辟易でした。

それから解放されました。


今の私の資産は評価額1000万円未満ですが、正直このくらいが適量かもしれません。あくまで私にとってですが。




ま、話を聞くといろいろありますよね。


株トレーダーでも資産が1億円超えて、本人にとってはそれ以上稼ぐ理由がないからトレードは引退してしまった人。


または米国株で3億円以上の資産を築いたけど散財して今は生活保護を受けて、でも実は生活保護の今の暮らしのほうが分相応だと感じて幸せだという人とか。


金に対する人の価値観なんてホントそれぞれであり、「私には丁度いい」という適正量でいいかもですね。


みなさんはどうでしょうか?

いろいろあったのだ。


一番の要因は『寝たきり』になったことである。


もぅ信じられないくらい鬱なのだ。


自分の中ではこんな状態でトレードしても、世界が混沌としてしまい長期…いや、中期的に見たら損失が膨らむ。もう口座資金から全部円を抜いた。これからクリスマスや年末年始に突入し流動性が低下して値動きがチョッパー(フラッシュクラッシュ)になりがちだし。


とにかく自分の世界がムカついて仕方ない。


今年10月から始めたトレードの資産の推移(円表記)は、


初期70万スタート→75万→60万→30万を口座から抜く→30万で再開→35万→29万→全額口座から抜く

みたいな感じだ。約11万円の損失になる。


利益が出たのに、その後大きく損失を出してしまったのは、自分の心に焼けクソ的な感情があったからである。


この“焼けクソ的な感情”というのは、社会に対する恨みとか積年の感情だ。トレードで負けが込んだとか、そういうのとは違う。


非常に厄介だ。


あまり自分で認めたくはないが、認めざるを得ない感情というのがある。


決定的なのは…

「それほど生きたいとは思わない」

というものだ。


全てが無気力に陥ってしまう。


いくら大金を手にしても自分が人生で得たいものなんて得られないと悟った経験を一度してしまっているし、トレードに対して金銭的な富は求めていない。


「俺は何をやっているんだろう…」と今まで積み重ねてきた行動も全部壊したくなるときがある。


発達障害者にありがちな「人間関係リセット症候群」に通じるものもある。


普通になりたかったのになれなかった歴史や、それにより周りから非難されたり冷遇されてきた記憶とかでムシャクシャしてしまう。


自分がもっと早くから発達障害があると分かっていれば、“一般社会”に躍起に溶け込もうとして辛く苦しい経験なんてしなくて良かったかもしれない。


障害があるのに、健常者の世界で奮闘するなんてしなくてもいいのだった。


目に見えない障害だからこそ「なんか頑張れるんじゃないか」と自己暗示をかけても苦しいのは自分だけだった。


一丁前に社会で生きたところで、社会的な恩恵を受けるのは“給与”というものだけだった。


あぁ…ヌマる。

もう書くのは止めにしよう。

桃鉄ワールドでカード集めやら目的地をコンプリートしたい人ってたくさんいると思う。


ワイもその一人やで。




本記事では今自分が直面している悩みを綴ろう。

大きく2つだ。


1つは目的地だ。


全365ヶ所目的地があってコンピューター同士で競わせて放置しているが、あと2ヶ所でコンプリートできる。その2ヶ所がなかなか目的地にならない。果たして全部埋まるんだろうか…埋まる気がしない。

コンピューターのルーレットで決まってしまうからキツイ。ルーレットが止まるタイミングの『目押し』とかの技があるんだろうか?永遠に埋まらないかもしれない。


2つ目は『達成済み』というやつ。

世界八大財宝やUMAや画家バンク氏に遭ったのに『達成済み』にならない。あ、あと動くシチリア島にも到着しましたよ。でも『達成済み』にならない。コンピューター同士で競わせてたらカウントされないのかな?と思い、自分が操作したやつでもカウントしない。


なんなんだあれ…?


そのわりにはプレイ年数や移動マス数は着実に増えている。


も〜どうしたらいいのさ…


『達成済み』の条件がわからない。


激おこプンプン丸。


俺が90年代のコギャルなら「チョベリバ」って言ってるぞコノ野郎。

このブログには発達障害のお子さんがいる親御さんが一定数訪問していただいているので、その方たちへ向けて本記事を書こうと思います。

 

まず思うこととしては「発達障害の自分でも社会の中で幸せに暮らしています」ということを堂々と書いて希望が湧くようなことをしたいが、残念ながら現実はそうではないです。

 

ここで嘘を書いても、子供のためにも親御さんのためにならないし。だから本音で書いています。

 

ただ3つだけ明確に言えることがあります。

 

【1】

支援・サービスを把握して、必要に応じて活用すること。

 

昭和生まれの自分は未成年の頃、発達障害という社会的な認知がなく“一般的”な教育により定型発達者と同じ振る舞い、行動を強いられました。教育者は殴る暴言のスパルタ教育が当たり前でしたし、「できないのはお前の責任だ。人としてダメな奴だ」の教育観。…死にます。

 

 

それが現代は支援体制が万全ではないにしろ、支援制度が敷かれている。羨ましい。これをフル活用してほしいです。書店に行けば支援の本がありますが、私が良いなと思った本を一つ紹介。

 

 

発達障害の人が受けられるサービス・支援のすべて(ナツメ社)

 

 

2023年7月1日に出版されました。発達障害の概要、幼児期〜就学期〜就労期〜親なき後への準備…

それぞれのライフステージに応じた活用できる支援や制度が掲載されています。これが手元に一冊あると重宝しそうです。

 

自立とは言え、サービス・支援を受けつつも生きる道を選択したほうがQOLが高いです。

私自身も薬物には頼りますし、無職という環境調整をしてます。

 

 

 

 

【2】

「努力すれば発達障害を克服できる」なんて嘘(苦手は緩和したようには見えるが)。克服できたように傍目から見えても、その子は精一杯社会で生きるために“擬態”している。無理させていると後々二次障害を抱えて、取り返しのつかないことになります。

 

もちろん程度にもよりますが、当たり前のことが当たり前にできない。これは性格ではなく脳の機能障害によるもの。当事者の私から見ても「なんでこんなこともできないの?」という重度の人もいます。しかしそれも脳の機能が欠落してるからです。

 

 

たとえばLD(学習障害)で字が書けない子がいる。なんとか教育者は反復練習により、字を書けることを目標にしますがハッキリいえば無駄です。

 

その子にとっては、漢字一つひとつがそれぞれ違うキャラクターの絵を描くようなもので、『勝』という漢字はピカチュウ、『働』という漢字はドラえもん、『残』という漢字はルフィを描くようなもので、これらを大人で正確に描ける人いますか?というのと等しいくらいの困難さが伴います。文字が何千、何万あって正確に覚えて書くことは、漫画のキャラクターを正確に何千、何万描くのと同じです。誰がそれを克服できますか?できません。できたならば超人ですが、そんなことを克服するに見返りのある恩恵受けられますか?

受けたとしても超タイパ悪すぎです。

 

 

『発達障害は食事で治る』も嘘です。

症状を緩和させるためタンパク質中心の食事にして、リーキーガット症候群を防ぐのを目的とするなら理屈は分かります。

 

あとは機能不全家族で育ったりすると、複雑性PTSDとなり発達障害様症状を呈すると言われています。

 

先天的の発達障害であれ後天性の複雑性PTSDであれ、脳にダメージを負っているのは変わりありません。

 

「脳には可塑性がある」とは言われますが、その可塑性の可能性にかけて、脳トレ(コグトレ)していったら40歳の中年になってしまって就職の機を逃しても手遅れです。

 

 

ただし、もしかしたら今後人類が脳の可能性を飛躍させるかもですし、脳の欠点を克服する技術が生まれるかもしれません(イーロン・マスクのニューラリンクには興味があります)。シンギュラリティが到来してAI主体の時代になったら、そもそも人間の生活様式が変化して発達障害とか関係なくなるかもしれない。

 

これは時代とのマッチングの運もありますわな。

 

ま、現時点では「発達障害は克服できない」という現実を受け入れ、対応する生き方をするのが現実的でしょうか。

 

 

 

【3】

精神科医は必ずしも発達障害に理解があるとは限らない。理解していない精神科医はガチで理解していない。必ず発達障害の専門医に診てもらうことです。発達障害の本を出版している医者が信用おける指標にはなります。

 

実は私は一度誤診(?)というか、いい加減な問診1時間だけで『強迫性パーソナリティ障害』と片付けられてしまい、それを信じてしまって数年間ムダに苦しんだ経験あります。WAIS(成人用の知能検査)も実施しなかった。当時は自分も発達障害を疑いながらも、医師とどういうやり取りをして確定診断に至るのかという前提知識がまったくなかった頃の話です。ヒドイもんです。生まれながらにして苦しんできたわけですが、それを1時間ほどの確定診断で終わらせて「はい、あなたは人格障害ね。あとの人生は知らん」みたいなものです。診てもらう医者は慎重に選んだほうがいい。

 

あと私自身が元看護師だからこそ分かりますが、本当に医者の腕ってピンキリなんですよ…分かってない奴はガチ分かってない…「俺が病気なってもアイツには診てもらいたくないな」という医者も見てきましたしね(苦笑)

 

あぁ…あとは、SNSやYouTubeをしている精神科医がいるのですが、少なくとも樺沢〇苑は信頼できません。「発達障害は克服できる」とか発言しています。ただその内容は「環境調整に成功した例」を挙げている印象が多く、再現性は決して高くないように思います(彼自身「発達障害の何千、何万人の患者さん見てきた…」とか言ってますが、統計的な傾向としては言えるでしょう。ただ『克服』という表現は危険だと思います。)

 

あとは彼自身が「他人からナメられたことがない」という経歴の持ち主で、そういう人って無意識にもナメられがちな属性の発達障害者の心理が見えていない気がします。定型発達者が彼の発言している解説を動画で見ると「発達障害者ってそうなんだな」と説得力があるように見えるのが怖い印象を受けますね。

 

しかし他の発達障害当事者からの一部の意見として樺沢〇苑に対して否定的な声もありました。「あの人の言うこと違うくね?と感じるの俺だけじゃないんだな…」と思いましたしね。

 

 

以上の3点でしょうか。

 

 

最後にこれだけ言えるとしたら、結局は個人個人で特性や症状は違う。最終的には個人に合わせてライフハックをカスタマイズして微調整して試行錯誤しながら生きるしかないです。他人は他人、自分は自分なのですから。

 

自分ができることをすれば、自分にはできないことは人生が何とかしてくれる…みたいな精神で歩みたいものです。

 

 

P.S.

もうすぐ寝たきりから脱せそう。

最近ずっと布団に寝たきりになってしまった。

 

年に何回かこういうときが訪れる。

おそらくは複雑性PTSDによる突発的な虚脱感や無気力感である。

 

しかも時期的に12月はキツイ。

寒いし、世間のクリスマスムードは生涯彼女一人できたこともなく生きてきた身分としてはツラいものがある。

コンビニでもクリスマスムードなのはムカついてしまい立ち寄りたくない。

やれ家族だとか、やれ恋人だとか…人は人とつるむのが人間の性質らしいが、ASDの自分にとってはそんなことができないので無駄に劣等感を抱えてしまう。

 

とかなんとか言いつつ、部屋から出られない。

必要最小限の生活必需品だけを買いに自分を発奮させて外に出る。なんなら今の時代は宅配サービスがあるので、それで運んできてもらってもいいのだが。

 

ASDという脳で生まれてしまったのは仕方ないのだが、後悔していることがある。

 

それは『社会に適合しようと頑張ったこと』なのだ。これはASD人なら共感してくれることだと思うが、頑張った結果として、社会的な恩恵など何一つ享受できず、しかも過剰適応で二次障害を抱えてしまい、遂には社会に対して恨みを抱いてしまった。働いていた頃の記憶によって苦しい人生になってしまった。(頑張ったことで「あ…俺社会に適応できないんだ」という心境にまで達したのは良かったが)

 

よく成人に対しての障害者支援で「就労支援」ということがピックアップされるが、主に仕事を支援するのは個人的にはどうかと思う。本当に人の輪に入れない人は入れないのだ。

 

そもそも働く素質のない人間を働かせたところで、はっきり言えば“社会のお荷物”なのだ。ひろゆきが「ヤル気のある無能は害悪だ」みたいな発言をしていたが、俺自身もそれには完全に同意である。

 

発達障害者が働くって、かなり厳しい現実がある。

わざわざ職場に生産性や効率性に欠ける人材を招くメリットはないし、もしかすると“やらかす”リスクもある。当事者は職場に適応しようと専心しようとしても、適応できずに結局二次障害を抱えて職場を辞める率高いし。障害者を無理して働かせることしても、みんな辛いだけじゃん。

 

…あぁ、こんなことなら最初から生活保護という選択をすれば良かったと、わりと真面目に後悔している。無理して社会に溶け込まなくて良かった。仕事の能力以前に脳の機能障害によりコミュニケーションが困難であり、まず社会的に生存できない人種だ。本当に過去の記憶たちが苦しめにきて毎日が辛い。

 

生活保護を受けようぜと言及すると非難されがちだが、ハッキリ言えば日本国憲法第25条生存権で保障されている限りは正々堂々と生活保護を受ければよい。文句ある奴は受給者よりも、まずは国会議員へ訴えるべきだし。そして滑稽なことに生活保護に対して文句言う奴は、自分が今後の人生で就労不可になったときを想定していないのかなって思う。不慮の事故に遭遇して、いざ生活困窮に陥ったときに生活保護を確立させておいたほうが我が身を助けることになるのになぁ…

 

こんな格差社会になりインボイス制度も開始され、今後も増税する見込みがある日本社会に生きているのに、自分が弱者にならないという自信は一体どこからくるのか尋ねてみたい。

 

まぁ生活保護を受けずに餓死する覚悟ある人なら何も言うまい。

 

 

 

話は逸れたが、心の問題は深刻だ。

俺は世間的にはメンヘラだし障害者だ。

制度をフル活用して生きるしかない。

そんなに生きるモチベーションもないのだが、生きなきゃならないのが苦痛だ。

 

P.S.

桃太郎電鉄ワールドに「虫眼鏡で解説」機能がアップデートにより使用できるようになりました。

 

楽しい。