最近ずっと布団に寝たきりになってしまった。
年に何回かこういうときが訪れる。
おそらくは複雑性PTSDによる突発的な虚脱感や無気力感である。
しかも時期的に12月はキツイ。
寒いし、世間のクリスマスムードは生涯彼女一人できたこともなく生きてきた身分としてはツラいものがある。
コンビニでもクリスマスムードなのはムカついてしまい立ち寄りたくない。
やれ家族だとか、やれ恋人だとか…人は人とつるむのが人間の性質らしいが、ASDの自分にとってはそんなことができないので無駄に劣等感を抱えてしまう。
とかなんとか言いつつ、部屋から出られない。
必要最小限の生活必需品だけを買いに自分を発奮させて外に出る。なんなら今の時代は宅配サービスがあるので、それで運んできてもらってもいいのだが。
ASDという脳で生まれてしまったのは仕方ないのだが、後悔していることがある。
それは『社会に適合しようと頑張ったこと』なのだ。これはASD人なら共感してくれることだと思うが、頑張った結果として、社会的な恩恵など何一つ享受できず、しかも過剰適応で二次障害を抱えてしまい、遂には社会に対して恨みを抱いてしまった。働いていた頃の記憶によって苦しい人生になってしまった。(頑張ったことで「あ…俺社会に適応できないんだ」という心境にまで達したのは良かったが)
よく成人に対しての障害者支援で「就労支援」ということがピックアップされるが、主に仕事を支援するのは個人的にはどうかと思う。本当に人の輪に入れない人は入れないのだ。
そもそも働く素質のない人間を働かせたところで、はっきり言えば“社会のお荷物”なのだ。ひろゆきが「ヤル気のある無能は害悪だ」みたいな発言をしていたが、俺自身もそれには完全に同意である。
発達障害者が働くって、かなり厳しい現実がある。
わざわざ職場に生産性や効率性に欠ける人材を招くメリットはないし、もしかすると“やらかす”リスクもある。当事者は職場に適応しようと専心しようとしても、適応できずに結局二次障害を抱えて職場を辞める率高いし。障害者を無理して働かせることしても、みんな辛いだけじゃん。
…あぁ、こんなことなら最初から生活保護という選択をすれば良かったと、わりと真面目に後悔している。無理して社会に溶け込まなくて良かった。仕事の能力以前に脳の機能障害によりコミュニケーションが困難であり、まず社会的に生存できない人種だ。本当に過去の記憶たちが苦しめにきて毎日が辛い。
生活保護を受けようぜと言及すると非難されがちだが、ハッキリ言えば日本国憲法第25条生存権で保障されている限りは正々堂々と生活保護を受ければよい。文句ある奴は受給者よりも、まずは国会議員へ訴えるべきだし。そして滑稽なことに生活保護に対して文句言う奴は、自分が今後の人生で就労不可になったときを想定していないのかなって思う。不慮の事故に遭遇して、いざ生活困窮に陥ったときに生活保護を確立させておいたほうが我が身を助けることになるのになぁ…
こんな格差社会になりインボイス制度も開始され、今後も増税する見込みがある日本社会に生きているのに、自分が弱者にならないという自信は一体どこからくるのか尋ねてみたい。
まぁ生活保護を受けずに餓死する覚悟ある人なら何も言うまい。
話は逸れたが、心の問題は深刻だ。
俺は世間的にはメンヘラだし障害者だ。
制度をフル活用して生きるしかない。
そんなに生きるモチベーションもないのだが、生きなきゃならないのが苦痛だ。
P.S.
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楽しい。