《前編》 より

 

 

【それが活人術です】

 「愛される」という言葉は、「愛する」という言葉より上等です。また、「愛する」ということは、「愛されている」ということとセットになったとき、より強く働きます。

 そして愛されているという確信があったほうが、より愛しやすいのです。愛されていないけれど、愛そうとするのはなかなか難しいことです。神様から、あるいはお天道さまからこんなに自分は愛されているのだから愛そう――というほうがやさしいのです。そこに「愛されている」ことの重要性があります。

 じつは、ほんとうに愛されているかどうかはわかりません。肝心なことは、愛されていると思い込むことです。それが活人術です。(p.71-72)

 そう、“肝心なことは、愛されていると思い込むこと”、そして、“愛すること”。

 これを日常生活のあらゆる場において実践すれば、誰でも活人術の効果を体験できる。

 

 

【心と魂】

 心と魂を混同している人が多いのですが、心は脳に依拠します。ところが魂は自分の生命現象を成り立たせている源であり、魂は心に先行するものです。心と魂が一緒だったら、いくら魂に愛魂をかけても成立しません。心と魂は次元が違うのです。大事なのは魂です。魂という根っこに飛びこまれたらどうしようもありません。保江先生はかつて、心の在り方を神父様に聞いておられますが、その際の心とは魂だったと思います。魂は心がある以前にあるもので、まさに有りてあるものです。(p.107)

 これは、炭粉良三さんという保江先生の道場に参加している方の記述だけれど、とっても重要だろう。

 言葉で表現されたものを解釈する場合、前後の状況から、それが意味することを的確に把握できるかどうかは、読者の意識の置き場所次第だろうけれど、「心」と表現されたモノであっても「魂」を意味していることは、スピリチュアル系著作の中にはかなりある。

 因みに「念」という漢字は「今の心」と分解できるけれど、「今の心」の中には過去も未来も織り込まれているのだから、この在り方は「魂」そのものを表してもいる。故に、「愛念」=「愛魂」ともいえる。

 複数の体験や表現に触れることを通じて咀嚼する角度を変えるだけでなく、咀嚼の幅を広げることで解釈を深めることにもなるはずである。

 

 

【破滅を経験した未来から、現在に転生してきた魂】

 よく輪廻転生といって、過去から未来への転生があるといいます。私は未来から現在への転生があるとみています。過去から来た魂以外にも、破滅を経験した未来から、そうなってはならない現在に転生してきた魂があると思うのです。そのなかの一人が保江先生ではないか。つまり強いもの勝ちであってはならない。今の流れを変えないかぎり人類はそちらの方向に突き進んでしまうのではないか。保江先生が活人術を広めていらっしゃるのはそういうことだと私は思います。愛でくるむことによって、闘わなくても相手を馴化させるようになればいい。殺人ではなく活人です。そうすれば世の中から闘いは消えるというのが、保江先生の考えではないかと私は思っています。(p.160)

 これは、山元正博さんの記述。

 スピリチュアルな世界に意識を向けている人々の中には、地球という星における時間概念から抜け出ている人々が多いけれど、スターシードならそれが普通だろうと思っている。

 地球の未来を書き換えるために、今、日本という枢要な国を選んで転生してきているウイングメーカー(未来人)たちはかなりいる。下記リンクもそう。

   《参照》  『アセンションプロ集団「ラー一族」』 ラリア (ヒカルランド) 《1/4》

            【BSTを駆使するアセンションプロ集団「ラー一族」】

 

 

【僕らに課せられた目的は・・・】

 以前は、人に見えないものが見えるということで、こういう能力が僕の使命かと思っていました。でもそれは小さなことでした。使命もミッションもありません。僕らに課せられた目的は、愛に目覚めることしかなかったのです。ここからアプローチしたところ、相手の重いエネルギーをもらってしまうなどという厄介な問題も起こらなくなりました。だからどんな問題を持ち込まれても、問題なんかないということです。

 愛にアクセスすればすべてがほどけます。固まったものが苦しみですから、ほどければなくなります。(p.167)

 本書のようなスピ本を通じて、魂の基盤である愛を理解することはできるけれど、実践を通じて愛に関わる様相を体験・体得しないことには、本当の魂の学びにはならない。

 なのに、最近、またこんな字面で表現するしかない読書記録をダラダラ書き始めてしまったチャンちゃんは、単なるタコの塊。

 

 

【愛のエネルギーに満ちた場】

 2012年夏、ある人の紹介で、何もわからないまま野山道場に連れていかれました。道場に入ると、そこに展開されていた光景にびっくり。相当修行しなければできないようなことを皆さんがやっておられるのです。それもニコニコしながらです。

 それよりももっと驚いたことは、道場の上空に愛のエネルギーがあって、キリストやマリア様などがいらっしゃったことです。それを見た途端、私はもう涙が止まらなくなりました。今、その状況を思い出すだけでも涙が出てきます。

 そうした状況でしたから、教えられるままやってみると、初めてなのに愛魂ができました。けれどもだんだんその状態に慣れて思考を使うようになると、初めのようにできなくなることもあります。(p.170)

 この記述から、特殊な場がもたらす効果の大きさがよく分かる。

 そして、左脳(思考)こそが大きなブレーキ役だということも。

 

 

【愛魂の骨子:不安があれば、そこに愛は入りません】

 愛魂をつかんでいる人は、そのツボを教えてくれるので、誰でも愛魂ができるようになります。ところがふつうの武道家はかたちを教えますから、そのたかちを作ろうとして思考を使ってしまい、なかなかうまくいきません。

 また相手が攻撃してくると、こちらも構えます。やられることを警戒するのです。不安があればそこに愛は入りません。ですからかたちにとらわれないで、先生がおっしゃるように「ただ愛する」しかないのです。力に反応するのではなくただ愛すれば、相手から力が抜けていきます。(p.175-176)

 愛の反対は怖れ。怖れは不安を生む。

 安定した愛の場が保たれていたら、武道などというものが発生することはなかったのだけれど、武道の「武」を分解すると「戈を止める」という意味であることが分かる。

   《参照》  日本文化講座⑧ 【 武士道 】

           【 武士 と 刀 】 

 では、どうやって止めるのか?

 「ただ愛する」ことで止める。

 キリストが、「汝の敵を愛せよ」と言ったのは、そういう意味。

 だから、保江先生は「キリスト活人術」を「愛魂(あいき)」と言っている。

 

 

【感情と魂:魂を動かす境地】

 異性を好きになる場合の多くは感情ですが、感情と魂は別のものです。愛魂をかけるのはこの魂です。ただ、魂を動かすには、意識では無理です。魂という心や意識を超えた存在に、神頼みのようなかたちで働いていただくには、ある境地が必要です。たとえば脳神経の活動を抑え、心の中を平穏にし、あらゆる自然界の物と共生し、攻撃してくる相手とともに生きる・・・といった境地にならなければなりません。(p.212-213)

 

 

【マリア考】

 この世界は相対世界で、人には男性と女性というふたつの性があります。その二つの世界が融合し統合することで、世界を変容させる愛もまたあります。そのことについては「マリア考」と題して、いつか書いてみたいと思います。(p.215)

 これが、本書のクロージングセンテンス。

 マリア版の理趣経はいつ出るんだろう。

  《参照》  『神界革命』 三原資忍  サン企画
          【理趣経】

 

 

<了>

 

 

保江邦夫・著の読書記録