(第71番~第80番) より
高松市瓦町のホテルから、まったく渋滞のない“さぬき浜街道”を軽快に走って、標高337mの白峯山頂付近まで駆け上がりました。
【第81番】 白峯寺(しろみねじ) 本尊 千手観世音菩薩
弘法太子と智証大師による開基のお寺です。紅葉が始まった山中の早朝のお寺は爽快でした。団体のお遍路さんたちが本殿や大師堂前で唱えている般若心経が、終わりなく響き続けていました。
白峯山(337m)から太平山(479m)を経て山上の道を走っていると、瀬戸大橋が見えました。さらに青峯(449m)に至るとそこに根香寺があります。
【第82番】 根香寺(ねごろじ) 本尊 千手観世音菩薩
智証大師が不思議な霊木で千手観音を刻み、本尊として安置したそうですが、この本尊彫刻の木の根株が長く芳香を放っていたので、根香寺という寺号になったそうです。
本堂前には、こじんまりとした回廊を回るようにして行くようになっていました。
仁王門前の駐車場には、リアルな怪獣の像があり、境内には役行者像がありました。
【第83番】 一宮寺(いちのみやじ) 本尊 聖観世音菩薩
法相宗の義淵僧正が大宝院として開基したのが始まりのようです。その後、讃岐国一宮として田村神社が建立された時、義淵僧正の弟子・行基が一宮寺に改号し、さらにその後、弘法大師が逗留した際、観世音菩薩像を刻んで本尊とし、真言宗に改めたそうです。
この後、一宮寺に隣接する 田村神社(讃岐國一之宮) に参拝しました。
屋島ドライブウェイの終点が屋島寺とおもいきや、そこは広大な駐車場で、山上は屋島寺や水族館などの複合的な観光地になっていました。
【第84番】 屋島寺(やしまじ) 本尊 十一面千手観世音菩薩
鑑真和上が日本に来る途中、ここに瑞光をみとめ開創したのが始まりというお寺なので、本堂はやや中国的な感じです。
屋島ドライブウェイの途中から「源平屋島古戦場」だった風景を見ることができます。
【第85番】 八栗寺(やぐりじ) 本尊 聖観世音菩薩
弘法大師が八栗山で求聞持法を修していたとき、五剣が天より降りてきたので、これを八栗山の中腹に埋め五剣山と名付けたそうです。
八栗山頂への往復には、可愛い顔をしたケーブル(往復920円/人)を使いました。
【第86番】 志度寺(しどじ) 本尊 十一面観世音菩薩
瀬戸内海の海岸沿いにあるお寺です。本尊は、漂着した檜の霊木で彫られたものだそうです。
【第87番】 長尾寺(ながおじ) 本尊 聖観世音菩薩
聖武天皇の勅願により行基菩薩がこの地を訪れ、楊柳で聖観世音菩薩像を刻み本尊とし、堂宇を建て安置したのが始まりだそうです。
境内には、大きな楠と、源義経の側室である静御前がこの寺で得度した際、剃髪した髪を埋めたという塚がありました。
【第88番】 大窪寺(おおくぼじ) 本尊 薬師如来
弘法大師が彫った本尊の薬師如来は、薬壺の代わりに法螺貝を持ち衆生の心と体の危難諸病を吹き払ってくれるそうです。
■ タコなチャンちゃんに気づかせるための企み&陰陽師の技 ■
88番・大窪寺での本殿と大師堂の参拝を終え、紅葉の始まった周辺の風景を眺めつつ「これで最後だなぁ~」と思いながら納経所へ向かい、お遍路最後の御朱印を書いてもらおうとした時、「なんと、87番・長尾寺の御朱印がない!」ことに気づき、暫し茫然としてしまいました。トンデモないポカです。この時、午後4時だったので、戻ればまだ間に合います。
40分車を走らせて長尾寺の納経所に着きました。「先ほどここに来ていながら、御朱印を書いてもらうのを忘れて大窪寺に行ってしまいました」と自嘲しながら、既に88番・大窪寺の御朱印がある納経帳を出したところ、「納経帳を置き忘れて、翌日取りに来た人もいますよ」とおじさんは笑いながら話してくれました。なので、「へぇ~、上には上がいるもんですね」などと、自分の間抜けぶりを棚に上げて、軽薄にも笑ってしまいました。
ところで、87番・長尾寺で御朱印を忘れるというチャンちゃんのこの信じがたいポカは、背後にいる見えざる人たちの意志によって起こされていたのだと、後に理解できました。
こういうことです。
全ての御朱印が揃ったので、チャンちゃんは車に乗り込みました。そこで、お遍路の最後の仕上げとして高野山・金剛峰寺に向かうべく、その手前にある、空海を経済的にサポートしていた丹生家に関わりある「丹生都比売神社」をカーナビの目的地にセットして、徳島の鳴門を目指して走りだしました。すると、走り出して間もなく、「丹生」という行き先を示す道路標識に気づき、「!?!?」と思っていたのです。
下記リンクにあるように、弘法大師空海が四国に「88カ所の結界」を作ったのは、日本の正統宮家である丹生家を四国に隠し守るためだったのですから、四国に「丹生」という地名があるはずなどないと、チャンちゃんは調べもせずに勝手に思い込んでいたのです。
【天武天皇による大弾圧】
ところがその「丹生」という地名の標識を、四国の現地で見た!!!のです。
もしも長尾寺で納経帳を書いてもらい忘れるという“ウルトラちょんぼポカ”がなかったら、大窪寺から鳴門方向を目指していたのですから、その場合、「丹生」という地名の場所は絶対に通っていませんでした。
つまり、空海が仕組んだ四国88カ所の結界について、下記リンクに示す上森さんが書いていた内容をさらに明確に補強する揺るぎない事実には、何も気づけなかったはずです。
『空海さまと七福神が隠して伝えた「世界文明の起源」』 上森三郎 (ヒカルランド) 《前編》
【聖なる霊ライン】
家に帰ってから、グーグルマップで四国にある「丹生」という地名を確認していると、高松と徳島を結ぶJR高徳線に「丹生」駅があることが分かり、さらにその北西側の隣駅が「鶴羽」駅であることに気づいた時は、さすがに震撼してしまいました。このお遍路後半の旅の前に訪れていた「諭鶴羽神社」の「鶴羽」です。
そこで、グーグルマップで「鶴羽駅」と「諭鶴羽神社」と「剣山(鶴来山)」を結んでみました。すると、案の定、底辺80km、斜辺50kmの完璧な二等辺三角形になりました。これは、明確な意図的な仕組みであることを示しています。
(グーグルマップ上で、調べたいいずれかの地点にカーソルを置き、マウスの左クリックでポイント指定し、ついで右クリックをするとウインドウが表示され、その一番下に“距離の測定”と出てきますので、それをクリックすれば、距離が測定できます。ご自分でやってみてください)
そして、「鶴羽駅」と「丹生駅」は、空海が定めた88カ所を順番に線で結んだ場合、「剣山」から見て線が繋がっていない【聖なる霊ライン】 ーー 即ち10番・切幡寺と88番・大窪寺の間の最狭開放角 ーー の内側にキッチリ入っているのです。
ということは、「剣山」と「鶴羽駅」を結んだ延長線上、及び、「剣山」と「丹生駅」を結んだ延長線上に、最重要ポイントがあることを示しているのでしょう。
ついでですが、
冬季オリンピックで、陰陽師のコスチュームを纏い、2大会連続の金メダリストになった羽生結弦選手の名前は、上記で示した“丹生(日本)”と“鶴羽(ユダヤ)”を“結ぶ”仕組みを表しています。
羽生結弦(はにゅうゆづる)を、
オリンピックでコールされる時のように、名前を先に苗字を後に書くと、
結弦羽生 (ゆづるはにゅう) 諭鶴羽丹生 ですね。
鶴羽 と 丹生 を 結んでいるわけです。
「丹生」は、「にゅう」 とも 「にう」 とも読みますが、「丹生」 は、日本古代史解明のキーワードです。
「丹後」、「丹波」、「丹頂鶴」 という単語を想起するだけでも、いろんなことが推測できるはずです。
陰陽師さんたち、なかなかやりますよね。
【 易経 と 日本文化 】
というか、「神仕組みに即して、世界は動いている」 ということなのでしょう。
【明石海峡大橋の夜景】
往路と同じ、淡路SAから見える「明石海峡大橋の夜景」です。
こちらは、本土(日本)と淡路島(ユダヤ)を結んでいる、東経135度に架かる「明石(証)海峡大橋」です。
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