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 山梨県富士吉田市にある不二阿祖山太神宮の大宮司さんの著作。不二阿祖山太神宮がどういうお宮なのかは下記リンクで。極めて重要なお宮です。2018年11月初版。
  《参照》 『宇宙のヘソ富士山と共にアセンションせよ』滝沢泰平(ヒカルランド)《後編》
          【不二阿祖山太神宮(ふじあそやまだいじんぐう)】

 

 

【不二阿祖山太神宮の再建史】
 不二阿祖山太神宮は、宮下文書に書かれています。富士山は、平安時代に10回噴火して、大きい頂が2つになっていた。このときに不二阿祖山太神宮は焼けて消滅しているのですが、頼朝公が再建します。
 宝永の噴火のときもそうですが、富士山が噴火すると神奈川県が大打撃を受けます。鎌倉に幕府をつくろうとしている頼朝は、富士山の噴火があってはならないということで、太神宮を再建したのです。
・・・中略・・・太神宮の上に不動湯がありますが、そこに頼朝公の硯が伝わっている。頼朝公が実際にこちらに来た証拠が残っていました。富士山を一周、ぐるぐる回ったのです。(p.58-60)
 源頼朝が最初に不二阿祖山太神宮を再建した。
 2度目の再建は、現在の秦野市に定着した徐福の一族である秦氏が、方術、方位学、風水を駆使して、富士山の鬼門に不二阿祖山太神宮の再建を行ったと書かれている。
 3度目は、慶長の大地震の時で、噴火の臨界に達していながら武田信玄や豊臣秀吉の協力で再建され、噴火はおさまったらしい。
 現在進行中の不二阿祖山太神宮再建は4度目だという。

 

 

【不二阿祖山太神宮の「風水」ではなく「ひふみ」】
 富士山と富士山本宮浅間大社との位置関係がわかります。ちょうど一直線になります。ここが鬼門です。富士山本宮浅間大社は裏。要するに、男、女ということです。男神女体ということで両方を持つ。こちら表鬼門が主です。
 エネルギーは艮(東北)から流れてくるので、どうしても不二阿祖山太神宮が主になります。ここを再建することで、実際に(噴火が)おさまってしまった。再建しないと日本が沈没する。この歴史です。(p.60-62)
 不二阿祖山太神宮(山梨県富士吉田市)・表鬼門(艮=東北)
 富士山本宮浅間大社(静岡県富士宮市)・裏鬼門(坤=南西)
 そして富士山
 この3点を結ぶと一直線になる。
 エネルギーは艮から坤へ流れているから、富士山を守っているのは坤ではなくて艮です。だから艮が大事なのです。艮の金神・国常立太神の神様をちゃんと祀ると、下のマントルが抑えられてくる。富士山は鎮火、神火の山だからです。人類は火によって発展しているわけです。ありがたい神の山です。(p.254)

         【ヒフミと風水】

 

 

【不二阿祖山太神宮と足利尊氏】
 1435年に富士山が噴火するのは、足利尊氏がここ(太神宮)をやっつけてしまうからです。これは南朝とかかわっています。後醍醐天皇が鎌倉を討つとき、太神宮に結集しました。
 後醍醐天皇、足利尊氏、新田義貞。新田が討つことになりますが、足利尊氏も一緒に討った。北畠親房も一緒にやって、後醍醐天皇は貴族に恩賞をあげた。
 尊氏は「嫌だ」ということで、北朝を建てて南北朝が始まりました。最終的には北朝の尊氏が勝ちますので、室町幕府、室町時代にかわります。
 そうすると、太神宮は弾圧されてしまう。宮下文書に神官などものすごく殺されたという記録が残っています。それでまた室町時代に富士山が噴火します。直結しているのです。(p.65-66)
 不二阿祖山太神宮の弾圧に関して、この記述の通りであるなら、足利尊氏は拭いようのない大いなるカルマを積んでしまったことになる。
 足利尊氏はなぜ、不二阿祖山太神宮を弾圧してしまったのだろうか? その理由がわからない。
 足利尊氏に関して、竹田和平さんの著作で読んだのかどうか確かな記憶ではないのだけれど・・・。そもそもは、関東武士の意を集め源氏が核となって鎌倉幕府をつくったのに、その実権は源氏ではなく平家側の北条氏によって奪われてしまっていた。関東武士である新田義貞や、源氏の総領を自負していた足利尊氏は、このような状況にいら立っていたからこそ北条政権討伐に同意していたのだろう。
   《参照》  『太平記』 (暁教育図書)
 しかし、なぜ尊氏は、不二阿祖山太神宮の弾圧までしたのだろうか。源氏ゆかりの社・京都亀岡の篠村八幡宮での祈願が成就したことから、不二阿祖山太神宮が八幡様の本地であったことも、源頼朝公が不二阿祖山太神宮を再建していたことも知らずに、天下人となった驕りで弾圧してしまったのだろうか。

 

 

【浅間神社の社名由来】
 中世になって「延暦の大噴火」が起きたと書いてあります。浅間山の神様の名前で、火の神様で噴火を押さえようとして、浅間神社と言うようになったと書いてあります。(p.105)
 火で火を制する目的だった。

 

 

【阿祖山太神宮の意味】
 これが印章ですが、「小室阿座眞大神之御印章也」と書いているでしょう。(p.105)
 応神天皇が出てきます。阿祖山太神宮の印章として、これを使っていました。阿座眞というのは、阿祖山に坐した真の大神の宮という意味です。阿祖山というのは富士山。天祖と書いて「あそ」と読むのですが、天祖の山に座した真の太神の宮。これは木花咲耶姫ではありません。(p.106)
 木花咲耶姫ではなく国常立之尊。

 

 

【星宮】
 大阪の住吉大社も、端っこのところで水も出ません。「星宮」と書いて、誰だかわからない。「星宮」と書いたら国常立尊です。(p.248)

 

 

【崇神天皇による「高天原の乱」】
 10代崇神天皇のときに高天原の乱という大変な乱がおきて、ぐちゃぐちゃになりました。神武天皇の後。2代から9代まではよくわからない。「欠史8代」と言われていますが、ここで隠滅しているのです。7代のときに徐福が来ました。そういう歴史をみんな消してしまっています。(p.115)
  《参照》 『空海さまと七福神が隠して伝えた「世界文明の起源」』上森三郎(ヒカルランド)《後編》
         【イエスの息子たちと「欠史八代」の謎】
 崇神天皇は、阿祖山太神宮にあった宝物を奈良の橿原神宮に持っていってしまいました。次の11代垂仁天皇、倭姫が伊勢神宮を23カ所、3か月、4か月、2年と遷座、遷座、遷座、遷座していったけれどもおさまらない。世の中は乱れ、戦いが起き、天地はぐちゃぐちゃになりました。
 「高天原の世」といって、富士山が高天原です。そこから持っていったので、とんでもないことをしたということで、神様が怒ってしまったのです。世の中が乱れ戦いが起きる。
 そして、・・・中略・・・。今は熊本ですが、益城町の朝来山のあたりにいた土蜘蛛の一族を10代崇神天皇が皆殺しにしました。(p.115-116)
 なぜ、富士山から九州へと話が飛んでいるのか、その理由は下記の【「阿祖に帰一せよ」】に。
 益城町は、2016年4月の九州大震災で最も被害が大きかった地域。
 ということは、九州大震災は、スピリチュアルな視点でいえば、“「高天原の乱」によるカルマの噴出”ということか。

 

 

【「阿祖に帰一せよ」】
 日本中全部が不二王朝だと思ってください、ここに神倭朝が入りました。崇神天皇が立ち、ここで土蜘蛛という一族を皆殺しにします。(p.116)
 この前、幣立神宮へ行って、春木宮司に会って話してきました。そこに石板があって、ひふみ祝詞が書かれていましたが、最後の文字の中に「阿祖に帰一せよ」というのがありました。(p.118-119)
 この「阿祖」とは何か。阿祖山といって、・・・中略・・・。阿蘇山とは違うし、何だろう。高天原というのはここ(富士吉田の不二阿祖山太神宮)以外にないのです。(p.119)
 なぜ幣立神宮に「阿祖に帰一せよ」とい書かれた石板があるのかと言えば、天祖が降臨した不二阿祖山太神宮から、瓊瓊杵尊が九州の高千穂へ、天孫として降臨したという経緯があるから。つまり、九州「阿蘇山」の元を辿れば、不二「阿祖山」、その元を辿れば「天祖山」(=富士山)。全部「あそさん」。
 宇宙神としての国常立尊・大元尊神が富士山に降臨したのが「天祖降臨」
 天祖の孫である瓊瓊杵尊が、富士山から九州の高千穂へ行ったのが「天孫降臨」
 ( 124頁の後ろから4行目にある「天祖降臨」は、「天孫降臨」の誤記だろう)