イメージ 1

《前編》 より

 

 

【金属製の鉛筆キャップで、神の目になる】
 上掲の写真(p.199)に関する記述。
 その感覚を感じるのにいちばん近いのが、金属製の鉛筆キャップを耳の穴の上部にはめた時の感覚だ。・・・中略・・・。鉛筆キャップを耳にはめると、・・・中略・・・一度教科書を読めば二度と忘れない。ありのまま、おもしろいほど覚えることができた。この感覚のおかげでクラスの落ちこぼれが最難関の進学高校に入ることができたと今でも思って居る。これは究極の速読術だ。
 これは松果体を直に刺激するらしい。松果体を刺激すると視野が変わる。たぶん電気が通ることで松果体を刺激し、脳幹にズバリ来るのだろうというのが僕の推論だ。・・・中略・・・。
 デカルトは人間の精神と体は松果体でつながっていると考えていて、松果体を人間の魂があるところと言った。・・・中略・・・。大阪の北村光昌さんの前でやってみせると、「それ、その場所はいちばんすごいはずですよ。そこは松果体を直撃するんです」と教えてくれた。(p.199-200)
 これを読んだから、さっそく100円ショップで金属製の鉛筆キャップを買ってきて、耳に装着しながらこれを書いている。普段意識すればいつだってキーンと鳴っている耳鳴りの音が3倍増くらいに大きくなった。
 耳鳴りは、下記リンクにあるように、次元上昇の過程で脳を調整するために生じていることと理解しているけれど、すごい強烈な音量になる。
   《参照》  『魂の伴侶と出会う旅』 ドリーン・バーチュー (クレイヴ出版) 《中編》

            【耳鳴りの原因】

 とにかく脳の中心に強烈な刺激がいっていることは間違いないから、眠くもならない。
 ただ、周辺の音もよく拾うようで、水中深くに潜った時、こんな音の世界ではなかっただろうかと思っている。水中という密度の濃い世界では、音の伝達状況が異なり、脳に特殊な刺激を与えているのかも知れない。であるなら、『グランブルー』のジャック・マイヨールは、神に出会っていたかも・・・・と思ったりもする。

 

 

 

【植芝合気道の力の根源、サムハラ龍王】
 大本教で出口王仁三郎と行動を共にしていた修業中、植芝盛平は大本教の聖地、綾部の本宮山で「天之叢雲サムハラ龍王」に感応して、神人合一の天啓を受けたといわれる。この「サムハラ龍王」こそが植芝盛平の守護神だという。植芝合気道の力の根源はサムハラ龍王だったというのが正しいようだ。(p.76-77)
 「力の根源」などというと、単純に「力技」を想起するのが平均的な現代人なのだろうけれど、植芝盛平の「合気道」は「愛気道」だから、サムハラ龍王の「愛気」に沿わないかぎり加護はない。
 植芝盛平は、以下リンクのように言っている。
    《参照》   『誰も知らない開運絶対法則』 白峰・有野真麻 (明窓出版) 《前編》

              【武道とは】

 

 

【大阪立売堀のサムハラ神社】
 植芝盛平の合気道のルーツがわかって、何はともあれサムハラ神社に行ってみなければならないと思った。(p.90)
 大阪市西区立売堀(いたちぼり)にあるサムハラ神社に行った。
 サムハラ神社の根本神社は岡山にあったが、祭神のサムハラ龍王は宇宙根源の神である造化三神、天之御中主神、高皇産霊神、神皇産霊神の総称であるという。僕は心を込めて拝礼し、お守りを一つ授かって財布にしまった。(p.90) 
 岡山のサムハラ神社(奥宮) については、下記リンクに書き出している。
   《参照》  『ついに、愛の宇宙方程式が解けました』 保江邦夫 (徳間書店) 《前編》

           【サムハラ神社】

 初めて保江さんの本を読んだ2014年頃、都内で行われていた 高山清州(長房)さん のセミナーに行った時、たまたま前に座っていたおばちゃんが、頼んでもいないのに、「これでも、十分、守られますよ」と言いながら、一方的にサムハラと漢字で書かれたお守りのコピーをくれたので、快くいただいて、いまでも財布に入れて持っている。その後も、何度かサムハラ神社のことは耳にしているので、そのうち大阪と岡山のサムハラ神社に行こうと思っている。
 関東にサムハラという名の神社はないと思うけれど、東京大神宮 と箱根神社の奥宮に造化三神が祀られている。造化三神は、宇宙根元の初発の神々だから、日本神霊界において重要な神様であることは言うまでもない。
 もう20年ほど前になるけれど、たまたま箱根駒ケ岳ロープウェイで、長くて白い眉毛がトレードマークの村山首相と乗り合わせ、奥宮の前でちゃっかり一緒に写真を撮らせてもらったことがある。関東では 鹿島神宮 と 箱根神社 に詣でる政治家が多いらしいけれど、きっと「箱根神社の奥宮参拝」を指南したシャーマンさんがいたんだろう。

 

 

【僕の魂は右肩の上】
 缶詰にされた僕の魂は、僕の右肩の上あたりに置かれている。僕の体と心を操っているのは、それまでの僕ではなくて、何か違うものだ。サムハラ龍王かもしれない。とにかく僕の魂は缶詰に入れられて右肩の上にある。・・・中略・・・。もちろんヤスエクニオの記憶はしっかりしている。(p.106)
 自分の意識が外に出て、自分を見ているという状況を体験している人って、少なくないと思っているのだけれど、「右肩の上」と書かれていたから書き出しておいた。
 チャンちゃんも、「右肩の上」から、勝手にしゃべり続けているタコなチャンちゃんを 「こいつ、よく喋るな 」と思いながら観ていたことがある。何かがチャンちゃんの口を乗っ取って、勝手に喋っていたことがあったのである。

 

 

【神様に恥ずかしくない清く明るい生活】
 わかったことは他にもある。
 神様は神様にいちばん近い人に降りてくる。自分に降りてきてほしかったら、自分が最も神様に恥ずかしくない清く明るい生活をしていなくてはいけない。(p.140)
 神様が一番好きなのは、「我がない人」らしい。合気道をするのであっても、ヒーリングをするのであっても、肝心なのは「術」ではない。「我がない」こと。「我がない人」であれば、その人を神籬として神様が全部のことをしてしまう。念力は要らない。純粋に取り次ぐのみ。
 というより、自分自身の我がなくなれば、セルフヒーリングができるのだから、誰かを頼る必要はなくなる。
 シーンと鎮まった絶対調和の中で、神様がたわむれに作った「崩れ」を元の形に戻していく。元に戻す仕事 ーー それが人間に定められた運命だとすれば、突き詰めていけば、人は神様の分け御霊ということになるはずだ。だから神に祈る、神に喜ばれるような行動をする、より神様とつながる生き方をする -- それが当り前のことになる。なぜなら人は神様だから。(p.176)
 「絶対調和」という「無我の世界」を、神様が、戯れに「崩した」ので「我の世界」が出来たのだけれど、最終的に「我の世界」は、さながらエントロピーの法則に則して温度勾配ゼロの世界へ向かうかのように、「無我の世界」=「絶対調和」へと向かってゆく。つまり、人間は神に帰ってゆく。「無我」は、「絶対調和」の先取りであり、「神への進化」の先取りである。
 結論、「無我でありなさい」=「神でありなさい」

 

 

【ピラミッド作成方法】
 何百トンもある巨石を、当時、反重力エネルギーという技術があったとしか思えないほど、簡単に持ち上げ積み上げていた。また巨大な岩石は、鑿やカッターで切り出されたものではなく、岩を細かく砕いて粒子状にして、それを立方体の型枠に入れ、特殊な薬剤を加え結晶化させるという方法で作られたものだった。(p.150)
 木内鶴彦さんが見たものとして、記述されている。
 反重力エネルギーの創出には、多分、「音」を使っていたんだろう。これに加えて、砂を固めたり、硬い岩を柔らかくする薬剤があったとすれば、確かに、古代の巨石建造物作成の説明はできる。
  《参照》  『バシャール×坂本政道』 ダリル・アンカ/坂本政道 (VOICE) 《後編》

            【ピラミッドの建設技法】

 

 

【生命と放射能】
 放射能があって初めて我々生命は地球上に生まれた。だったらひょっとすると、上手に接しさえすれば、放射能というのは、一般の人たちが危惧しているほど問題ではないのかもしれない、とも考えられる。木内さんにその話を聞いてからは、そう思うようになった。(p.157)
 木内鶴彦さんのその話とは、「生命誕生の場を見て来たら、そこは放射能まみれの世界だった」という話。
 で、木内さんが見てきた、近未来の社会は、放射能を活用した社会だったらしい。
 近未来には照明も、電気自動車も、冷蔵庫も、すべてに原子力電池が使われていた。大きな物を動かすには、もう少し大きな原子力電池が使われているだけで、電線などはすっかり消えていた。発電所も見当たらなかった。福島の放射の残土のような固まりで作った原子力電池だけですべてが動いていた。(p.158) 
 「!・・・・」
 じゃあ、宇宙空間から無尽蔵に取り出せるフリーエネルギーは、どうなるの?
 パラレルな未来は、いくつもあるんだろう。

 

 

【ガウスの叡智ある態度】
 ガウスという数学者は、非常に特殊な関数についての自分の論文の謝辞にこう書いた。
「神のご加護を得て、この関数のこの性質を教わりました。従って証明はできません」
 数学というものは自分で証明をやってみせないといけないのだが、証明もせずに、ガウスはそれを堂々と論文に載せて、結果は正しいと主張した。事実である根拠は、神に教わったのだ、神によって閃いたのだと書いた。(p.168)
 スピな世界は、高次元であればあるほど、3次元から見た場合、下記リンクにあるように、シンボルとしてしか現しようのない世界になってしまう。
  《参照》  『天河流動縁起』 祜松泰成 (コスモ・テン) 《後編》

           【サナート・クマラの神識体】

 このような世界を、3次元世界の認識力・理解力しかない人間に対して伝えようとしても、無理なのである。実際のところ、現在の地球上の人間が活用しているのは、脳全体の3%ほど。知的に秀でているといっても、せいぜい4%程度の活用量らしい。だから、高次元から贈られた叡智を、「証明できないから正しくない」と論断するのは、高次元側からしたら、「ドン引きするほど愚か」というか、「タコ頭のくせにイカん」というか、「えらく傲慢」なことなのである。
 そもそも、次元上昇は人間の知力の上昇も当然伴うことになる。知的未発達な人類であればこそ、争ったり奪ったりの世界になってしまうのだけれど、知性を含め脳の各部位が発達した人類であれば、未然の裡にあらゆる問題を解決するようになるだろう。

 

 

<了>