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 『祈り~サムシンググレートとの対話~』という『ガイア・シンフォニー』系の映画を作っている監督さんの著作。今年2017年5月末、清里で行われた「聖なるホワイトライオンPartⅡ」というイベントで、講演のトリを務め、文字通り“獅子吼”していたのが白鳥哲さんだった。
 講演内容の骨子は、本書にも記述されているけれど、映画を作る過程で、実体験を通じて得た揺るぎない確信としての学びがあったからこそ、魂に響く言霊となって会場の皆さんの心を刺し貫ぬくほどパワフルな獅子吼になっていたのだろう。
 参加者全員もリンダ・タッカーさんと共にホワイトライオンに成り切って獅子吼していたけれど、白鳥さんの魂を喚起する獅子吼はトリに相応しいものだった。2012年5月初版。

 

 

【魂から出る言葉】
 「映画を撮るために、まずは本格的に役者の勉強をしよう」(p.13) 
 ということで、文学座で学んでいた頃のこと。
 私は「へ~い」という一言のセリフを頂きました。
 しかし、・・・中略・・・「違う、違う、もう一回」と言われ、「一言千回」ということを教わりました。
 当時は何が何だかわかりませんでしたが、今では良く分かります。(p.14)
 ・・・中略・・・。
 魂から出る言葉を求められていたのでした。
 魂から出る言葉は響きが違います。振動が違います。人に届くのです。空間に届くのです。空間を変える力がその言霊にあるのです。(p.14-15)
 20歳そこそこでは、誰だって体験や経験や教養が不足している。それは、年齢上やむを得ぬことであって、しかたがないことである。だのに役者修行とはいえ「一言千回」って、意図を説明せずに、それを強要されたら、単なる無意味・無駄・バカバカしい、って思ってしまうだろう。
    《参照》   『魂の言葉』 鏡リュウジ (学研)
              【呪文】

 

 

【食に関する洗脳】
 この作業(食に関する書物の読み漁り)を通して、私たちはある意味「食べさせられている」という構造に気づいていったのです。テレビをつけると、CMでもバラエティ番組でもほとんどが食べ物の情報です。それを見ると、人はつい買って食べたくなります。(p.20-21)
 貨幣経済は、企業にとって「売るための構造」を、消費者にとって「買わされる構造」を社会の中に、強固にビルト・インする。暇人のチャンちゃんは、ショッピングモール等に行くたびに、「食品に限らず、よくこれだけ無駄な物を作って売ること!」と、呆れている。
 もともと日本人は小食でした。現代よりはるかに小食で菜食でありながら、健康状態も良好で体力はむしろ現代人以上にあったのです。
 例えば明治時代の車夫は、日光から江戸間を14時間ノンストップで走り続けることができたのです。(p.21-22)
 だのに、西洋から持ち込まれた「近代栄養学」という嘘ッパチ情報に洗脳されて、体力・免疫力を大幅に落としながら多食に明け暮れてきたのが、現代の愚かな日本人達である。

 

 

【少食を可能にするもの】
 森美代子さんがなぜ青汁1杯で過ごせるか調べていくと、腸内細菌が関係しています。腸内細菌の中に、ユーバクテリウム、クロストリジウムといった腸内細菌が尿や便をリサイクルするのです。本来、尿や便として排泄されるものを最後まで使うことで、体内エネルギーにすることができるのです。(p.27)
 粗食でありながら体力に満ちていたちょっと昔の日本人たちは、皆、この腸内細菌を保持していた。
 昔ながらの日本食は、腸内細菌培養食だったのだろう。
 何はともあれ、「飽食は、本来的人間が有する神秘的パワーを封印する悪事である」ということは、最低限自覚すべき。
    《参照》   『地球交響曲第4番』 龍村仁 (サンマーク出版)
              【野生の本能を目覚めさせるためには】

 

 

【「感情」と「臓器」の関係】
 「怒り」はカルシウムを沈着させやすくして、血糖を上げやすくするという性質があります。そして、やがて臓器の肝臓を痛める傾向があります。
 この他の感情と臓器への影響としては、「悲しみ」は肺です。「抑うつ」は担のう、「嫉妬」は胸腺、「固執」は肛門に影響していきます。
 このように、私たちが過去から現在に至るまでに抱いた「感情」の問題、つまり「気」や「エネルギー」の問題というのは、例外なく全て自分自身の内部に蓄積され続け、関係する臓器に影響を与えていくのです。(p.55-56)
 著者さんは、自分自身の体に顕れたいくつもの症状に向き合い、この記述にあるような「感情」と「臓器」の関係を知るようになったらしい。
 運命学で、弱点となる臓器がはっきり出ることがあるけれど、「感情」と「臓器」の関係まで含めて教えてあげないなら、せっかくの運命学を活かすことはできない。チャンちゃんの臓器上の弱点は「胆のう」とハッキリ出ていたけれど、その頃接していた密教の先達から「“潔癖”の“癖”には、“やまいだれ”が付いているんだぜ」と言われて、「そっか、潔癖は、立派なことなんかじゃなくて、むしろ病気なんだ」と単純に理解し受け入れることができたから、「抑うつ」を免れたのだろう。その後も、「ノー天気は、世界を癒す」と手前勝手な標語を我がモノとし、「社会意識は、檻である」と明確に認識する程度の知力はあったから、檻の抑圧からもまぬがれていた。だから、いまだに「胆のう」など患ったことがない。今後も患うことなどない。
 p.134に、多重人格者の実例として、人格が変わるとアレルギー反応も変わることが書かれているけれど、チャンちゃんの場合、“潔癖”から“ノー天気”へと人格が変わったので、「抑うつ」由来の「胆のう」患いという運命はなくなったのである。
 臓器関連ですので、下記をリンクしておきます。
   《参照》  『アシュタール×ひふみ神示』 宇咲愛 (ヒカルランド) 《後編》
            【子宮筋腫の深層心理】

 

 

【舌下腺の腫れ】
 ある時、舌下腺が凄く膨れたのです。二重顎になり、凄く膨れ上がりました。そこで波動を調べてみると、・・・中略・・・。母の胎内にいた時、母が百日咳に罹っていたのが自分に出ているということが分ったのです。
「お母さん、もしかして私がお腹にいる時に百日咳に罹っていた?」
「何で知っているの?」
「その時に感じたことを教えてくれませんか?」
 母は白鳥家の狭間で大変苦しんでいました。祖父母が強かったのです。日々我慢していたのです。我慢してその嫌だという感情を一生懸命堪えて、それが百日咳になったのです。私はその時の母の感情を受け入れました。
「その時、もの凄く苦しかったですね。もの凄く嫌だったですね。もの凄く辛かったですね」
 そして肯定したのです。
「お母さんは全然間違っていないよ。お母さんの立場だったら誰だってそうなるよ」
 全部肯定したのです。そして最後に謝りました。
「お爺ちゃんお婆ちゃんに代わって謝ります。ごめんなさい。赦してやってください」
 翌日、舌下腺の腫れが引きました。
 母の問題は自分の問題なのです。父の問題は自分の問題なのです。
 後ろに連なる御先祖様の問題は全部自分に影響しているのです。(p.147-148)
 舌下腺の腫れや百日咳のような症状に見舞われた場合、そこそこの霊的作法を使いこなせる人物に依頼して、遠隔で救済してもらうことは可能である。しかし、それで完治してしまった場合、本人は、何の学びも無いままに終わってしまう。
 宗教団体に属する人々に、全くと言っていいほど学びがないのは、このようなご利益依存状態下で金蔓として利用されているだけだからである。「儲け」という1文字漢字が「信者」でできているがごとく、宗教団体にとって信者は、単なる金集めビジネス要員なのである。症状が治ったとしても、信者個々の“気付き”=“魂の救済”になっていない。このことこそが致命的なのである。
 宗教団体になど属さずとも、スピ系の著作を何冊か読んでいれば、自分に該当する事例を見出すことは容易である。舌下腺の腫れとか百日咳という具体的な症例に合う合わないを抜きにしても、多くの読者は、「母親が若かりし頃、未消化のままの思いに対して、そのまま受け入れ、全肯定し、祖父母に成り代わって謝ってあげる」という解決方法は、家系由来の歪みを癒す上で、有効な手段であることが理解できるはずである。
 下記リンクも参考までに。
   《参照》  『死後探索1 未知への旅立ち』 ブルース・モーエン (ハート出版) 《後編》
            【フォーカス23とこの世の繋がり】

 

 

【芸術の力を借りる】
 音楽や映画、絵など芸術に触れるというのは、まさしく心を肯定していく作業です。自分の心を代弁してくれるものに出会うと、その部分が浄化されます。こういうものが感情や感覚を表現し、浄化に向かわせやすくします。自分の感情や感覚が分らないという方は、歌などの芸術の力を借りることをお勧めしたいと思います。(p.65)
 映画を見ていて、突発的に涙してしまう場面とか、じんわり涙滂沱してしまう場面とかに出くわすことは、誰だって数回はあるだろう。「自分自身の過去の経験に照らしたら、そんなこと全然ないのに、何で?」と思えるような場合は、過去世から持ち越した感情に触れたから。以前見た時は涙滂沱だったけど、最近見たらそうはならなかったのなら、その感情は浄化されたのである。
    《参照》   『涙の理由』 重松清・茂木健一郎 宝島社 《後編》
              【涙の所有権】


 

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