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 路上で19-00ナンバーの車を見て、買い置き書架にこの本があったことを思い出し読んでみた。表紙の写真はパリのエッフェル塔。1900年にパリ万博が行われた時の写真らしい。2000年2月初版

 

【三井物産の始まり】
 著者の寺島さんは三井物産に奉職されていた方。
 1863年(文久三年)、幕府は再び遣仏使節として池田筑後守一行を送ることを決めた。・・・中略・・・。この一行に親子で参加した人物がいた。益田鷹之助(37歳)と益田進(16歳)であった。
 この少年益田進こそ後の三井物産をスタートさせた益田孝(鈍翁)であった。三井家からの支援を受け29歳で三井物産をスタートさせた益田孝にとって、16歳の時のフランス行きは強烈な原体験となり、回想録のなかで、マルセーユに到着して重厚な街並みを見たとき「同じ人間でありながら・・・」と一同が涙したという思い出を語っている。
 1876年(明治9年)に三井物産を設立した時の益田孝のモチーフは、・・・中略・・・、「日本人による貿易のチャンネルを作ろう」というものであった。・・・中略・・・。益田孝が自らの若き日の体験として寄港した場所にまず拠点を置いているのである。
 余談だが、文久三年の使節の一行は、不思議な足跡をエジプトに残している。(p.36)
 最後の一文を読んで、三井家のルーツに思いを巡らせてしまった。
 三越デパートは三井家の経営なのだけれど、池袋三越デパートの前に置かれていた二体のライオンは、改築に伴い、現在は墨田区向島にある三囲(みめぐり)神社に置かれている。エジプトのスフィンクスも、現在の細長い胴体の人面像になる前はライオンの形をしていたのである。古代ユダヤにルーツがある三井家は、そのことを当然知っていたからこそライオン像を三越デパートのトレードマークのように用いていたのではないだろうか。
  《参照》 『装いの文化』 樋口清之  装道出版局
          【日本最古のデパートである三越】
  《参照》 『なぜ日本中枢の超パワーは「天皇」なのか』中丸薫・ベン・アミー・シロニー《後編》
          【三の一族】

 明治維新後に日本を興隆させることになった人物たちは、1900年前後に、既にヨーロッパにおいて経済的覇権を握っていたロスチャイルドと縁を結んでいたということを知っておくのが重要。
 鉄道経営とその路線一帯を都市化して宝塚などを作った小林一三も、フランスの実業モデルをまねたにすぎない。
  《参照》 『ロスチャイルド200年の栄光と挫折』副島隆彦(日本文芸社)《前編》
          【ロスチャイルド家の最大の財産源】
 ついでながら、小林一三は、山梨県韮崎市出身の単なる田舎者ではない。その家系は三の一族であると中丸薫さんが書いている。

 

 

【1900年】
 俳人、正岡子規にとって1900年(明治33年)は不思議な年であった。一人の親友が欧州から帰国し、一人の親友が欧州に発った。ともに日本近代史に特異な光を放つ存在である。ロンドンから帰国したのが秋山真之、ロンドンに出発したのは夏目漱石である。(p.19)
 子規と秋山は、松山中学の同級生。子規と漱石は第一高等中学の同級生と書かれている。
 やはり四国出身である大江健三郎の『同時代論集』には、子規のことが多く書かれていたけれど、正岡子規・秋山真之・夏目漱石の三者が、『同時代』のキーパーソンとして描かれていたという記憶はない。文学者と実業家では、時代を見る視点が違うのだから、扱いが違うのは当然のことだけれど、日本近代史を語る上で夏目漱石に言及しない論考は、たぶんないだろう。
  《参照》 『心と脳に効く名言』茂木健一郎(PHP)
          【権威と漱石】

 秋山真之は、下記にあるように、やがて技術立国として輝く日本の“先駆け的な役割”を、日露戦争での成功体験によって担っていたと言えるかもしれない。

 

 

【無線通信】
 マルコーニの世界最初の無線伝送実験が行われたのは1898年、エッフェル塔とパンテオンの間、4キロメートルであったという、同年には、英仏間の通信に成功。1900年のパリ万博の技術的目玉が、この無線電信であった。
 1900年パリ万博に、当時ロンドン駐在武官だった秋山真之などの海軍軍員が訪れたことはすでに述べた。・・・中略・・・。司馬遼太郎は、「日露戦争の海軍の勝利は通信の勝利という説さえある」と述べている。(p.53)
 20世紀は、無線通信技術を活用した者たちが世界の覇権を握っていたといっても過言ではない。インターネットが発達している21世紀の今日、情報独占はあり得ないので、これによる覇権はない。
 しかし、誰もが等しく情報を入手できる時代であってすら、依然として20世紀の覇者たちによって操作されたマスゴミ情報のみを元に世界を見ているだけでは、奴隷状態の継続にすぎない。

 

 

【MBKコード】
 1960年代まで、三井物産には電信当番があって、・・・中略・・・、出電原稿をコード化し、来電を解読したという。(p.55)
 当時は20語の電報を打つだけで今日の価格にして20万円以上の費用がかかったらしい。「MBKコード」とは、経費節約のため、文章暗号(コード)化に用いていた分厚い本のこと。

 

 

【定番の日本イメージを広めた人物】
「サムライ、ハラキリ、ゲイシャ」といった定番の日本イメージが定着した要因として、1900年頃に川上一座が米国から欧州にかけての公演を通じて播いて歩いたメッセージを無視することはできない。
 1900年のパリ万博での川上一座の18番的な出し物にも「武士と芸者」(英語名“Geisha&Knight”) というのがあるが、これは「鞘当」と「道成寺」を外国人向けにアレンジしたものらしく、この中に描かれた芸者、侍、切腹という展開が欧米人に大いに受け、これが米国、欧州で日本のイメージ形成に大きな意味を持った。なにしろ、興行主との契約に「一回の舞台に一度はハラキリ・シーンをいれる」という、昔流にいえば「国辱的な事項」があったという。(p.82-83)
 川上音二郎という人物が、日本イメージの定番をつくったらしい。日本国内では、「オッペケペ」というフレーズを流行らした人だという。

 

 

【ケインズ再考】
 20世紀が終わろうとする今、ケインズを再考して思うのは、ケインズ自身が語った「経済学はモラル・サイエンスであって自然科学ではない。経済学は内省と価値判断を用いるものだ」という言葉である。「経済学は現代を救えるか」という命題が再び問われる今、ケインズが彼の生きた時代に立ち向かった気迫と感受性、そして理論の体系性は、改めて求められるべきものであろう。新しいケインズが必要なのである。(p.93)
 欲望全開で拝金化してゆく資本主義経済環境の中で、『正義の経済学』という本を著していた著者の意匠は、ここにあるのだろう。
 実態あるモノによって裏付けされていない単なる紙幣を好きなだけ印刷してきた今日の世界経済は、ケインズが言う「モラル・サイエンス」であるどころか、もはや量的閾値を飛び越えてしまっており無規範世界になってしまっている。自然科学であるなら見出し得る法則なり規範があるはずだけれど、アウトロー(無法・無規範)経済は、自然科学とすらいえない。
 このような世界経済を恣に創出し支配してきた勢力には、モラルという概念などテンデないのである。そういう生物なのである。地球上の人間たちはすべて同じ生物学的基盤に立っていると思うのは幻想である。モラルや愛といった概念を持たない人間という生物種が世界を支配してきたのである。
 しかし、“正義の経済学・復活” の兆しはあるかもしれない。宇宙史的サイクルによる地球の周波数変容によって、世界経済を支配してきた邪悪な種族はこの星(地球)から退場することになるからである。
 されど、邪悪な種族がもつ利権に蟻集している人格的に劣った人間たちは、今後も地球進化の足を引っ張り続けることだろう。自然死を遂げるまで無様に居座り続けるだろうからである。