《前編》 より

 

【「多重再生」「多重惑星」】
 この地球に、広い宇宙的な立場と深い精神面から近づこうとしているETたちは、数多くの惑星やそこでの人生の知識を持っている。こういう人たちが、自分自身何回も覚醒することを「多重再生」、または「多重惑星」といった概念で呼んでいる。
 従って、彼らはひとつの世界だけの心理学的分析で、はっきりしたレッテルを貼られてしまうのをいやがる。(p.143)
 多次元宇宙のハイアーセフルとつながっている魂を、3次元の世界の心理学で語ろうとするのは、どうしたって無理。そんな無謀なことをしたがるのは、3次元世界の認識限界内でやりくりすることしかできない人々の、無自覚な暴挙である。
 積年の洗脳(教育による情報操作)によって、知の境界(限界)域が定められているという自覚がない人々に、「多重再生」や「多重惑星」の概念を受け入れる余地など、あり得ない。

 

 

【別の場所からきた人たちの叡智と大きな愛の心】
「もし、みんながどこか別の場所からきた人たちの良い面をいつも見られるようになれば、世間はETの存在を受け入れるようになるわ。でも、それだけじゃないの。そうなれば、世界中の今の政治的な権力構造に大きなひびが入ってしまうのよ」・・・中略・・・。だって、私たちの間にもっと偉大な英知とさらに大切な、もっと大きな愛の心を持っている人たちがいることがわかったら、どうなるだろうか。・・・中略・・・ 世界中の権力機構は勝手に戦争をおこしたりすることができなくなる。・・・中略・・・ 限りない進化を遂げた宇宙人がいて、自分たちをすぐにでも救ってくれることが分ったら、一体誰が喜んで今の権力主義的なリーダーたちの言いなりになるだろうか? (p.218)
 インターネット情報を通じて覚醒する人々は、徐々にであれ増えつつも、ダークサイドの支配者たちは、マスメディアによる報道を未だに支配しているから、ドラマチックな大衆意識の一斉覚醒は起こせない。
 しかし、世界を支配してきた闇の権力構造は、そろそろ終わりになるだろう。光の勢力たちによって、権力の源泉である不正資金のルートは断たれ、新たな正当なものに付け替えられつつあるからである。

 

 

【ニューエイジへの兆し】
 ETたちはこう言っている。ETも人間も、みんな同じように一人ひとりが今ではこの同じ地球で成長し、進歩している。そして、今や宇宙的な愛を基本にした意識改革へと進んでいる。
 私たちはこの事実に心を開きさえすればいいのだ。この惑星地球にはすでに愛と思いやりにみちた、新しいニューエイジへのきざしが見られるのだ。
 こういう考え方は18世紀のイギリスの神秘主義者だった詩人のウイリアム・ブレイクの思想に近いものだと私は思う。彼は、無限の意識について触れ、私たちの「認識のとびら」が浄化されれば、すべての人々がそれに気づくはずだと書いた。私たちが見ることを学びさえすれば、神の無限の空間に触れることができると、彼は信じていたのだ。(p.249-250)
 ウイリアム・ブレイクについて言及している著作は比較的多いけれど、彼の詩によってインスパイアーされた経験がある人って、どれほどいるのだろうか?
 チャンちゃん自身も映画の中でウイリアム・ブレイクの詩が現れた時、それに近しいものを体験したけれど、類似な体験をしている人々なら、それによって意識が広がる(“無限の空間に触れる”)感覚は分かるだろう。
    《参照》   『天と地は相似形』  横尾忠則  NHK出版
              【天界の感応者、ウイリアム・ブレイク】

 

 

【3種の死と、ETの死】
 3種の死とは、肉体の死、感情的な体である星気体(アストラル・ボディ)の死、精神的な体である霊体(メンタル・ボディ)の死のこと。霊体の死によって魂だけの存在となり、この段階で自意識は明確になり増加する。
 私たちは、ほぼ同じような教えを、チベットの死者の書『バルド・ソドル』に見ることができる。そこにもまた、生存の3つの異なる水準が述べられている。そのひとつは肉体的な地球の領域である。それから、純粋形態だけの領域である。そして最後に、言葉や記号を超えた領域があるという。この領域になると、純粋なエネルギーと魂だけがあると言われている。これがもっとも心をひかれる領域で、光の領域とも呼ばれている。しかし、ETたちの魂には「独特のエネルギー形態がある」とジャスティニアンは言う。死によって、・・・中略・・・本来の地球外生物としての自分に力強く目覚めていく。(p.287)
 ETソウルたちが、「独特のエネルギー形態」にかかわって、死後、どのような体験をするのか、これ以上具体的には書かれていないから、ジレッタイのだけれど、地球に滞在した経験に関しては、以下のように記述されている。
 死後、ETの魂はより広い意識に変わっていく。そして地球に滞在したことがいかに大切なことだったかに気づくのだ。(p.289)
 地球に滞在したことがどれほど大切なことなのかは、その時になってみないと分らないけれど、「地球に生まれることは、大いなる祝福である」とか、「誰でも地球に生まれることができるのではない」といった内容は、この本に限らず、下記リンク動画や多くのスピ系著作に共通している。無駄に生きることになってしまわないようにしたいもの。
    《参照》   ★緊急メッセージ:キーシャ「地球人として生きること」★
    《参照》   『宇宙につながる第8のチャクラ』 ジュード・カリヴァン (徳間書店) 《後編》
              【母なる地上の楽園を共同創造することで、故郷に帰る】

 

 

【P・D・ウスペンスキーの鋭い指摘】
 彼はまず愛の問題から取り上げている。・・・中略・・・。ウスペンスキーは、愛の心理学または感情的な側面を取り上げているわけではない。むしろ彼は、永遠にして無限なるものとの接触という側面から取り上げているのだ。
 こうした考え方に基づけば、愛は魂と我々の真の自己という永遠の領域への入り口ということになる。私たちが死についてだけ過大な注意を払いすぎることは、宇宙を現実に支えているものを見逃すことにもなりかねない、とウスペンスキーは書いている。(p.291-292)
 死に囚われ過ぎている人と、愛の重要性を自覚していない人のどちらが多いのだろう。
 どっちにも希薄な意識でしか向かっていないのなら、生存自体が空虚になってしまうだろう。

 

 

【ETソウルと世間との差】
 ウォークインとワンダラーは、地球外からの指令によって内々に特殊情報を直接得ている訳わけではないと言っていた。彼らの認識と世間の懐疑主義との差は、ETたちは常に自らの自己確認、すなわち「主観的に知ること」を信頼し、主体的に自分の力で学び取ろうとしている点である。
 彼らはある型の地球的規模での歴史的な変遷過程がよくわかっているのだ(それは彼らの人格的身元、彼らの本質および地球外生命体であるといった問題と密接にかかわっている)。 (p.276)
 チャンちゃん自身は、下記リンクのコメントに概略を書いておいたように、学生時代から密教的・神智学的書物を好んで読んでいような人間だから、宇宙とつながる地球世界に対して、懐疑するという世間的な気持ちは最初から全然なかった。そして、そうであれば、その過程で、闇の支配者たちによる支配構造を理解するに至ってしまうのは、必然である。
    《参照》   『司書はふたたび魔女になる』 大島真理 (郵研社)
              【「読む」ということ】
 むしろ社会人になってから10年間ほどは、合理的(左脳的)な頭の使い方に傾斜せざるを得なかったから、魂の空走期間とまでは言わないけれど、この間の人生上の重要な学び(記憶)は、ほぼ無いに等しい状態だったと思っている。
 魂の成長という点で見るなら、「主観的に知ること」を信頼し続け、自己確認を絶やさないことは、極めて大切。自己確認を疎かにしているのなら、世間的な目によって、客観的な思考のできない単なる愚か者と言われても、確かな反論ができない。
 ETソウルたちが有効な時間を過ごしたいなら、世間的な懐疑主義に則して生き続ける人々と噛み合わない時間を共有するより、認識を同じくするETソウル同士で時間を共有する方が、地球の波動改善においては、はるかに貢献できる。但し、それぞれに成熟度もまちまちであるし、下記に示すように、ETソウルのすべてが光の側とは言い切れないので、集ってもいずれ分解してしまうことが極めて多いだろう。