《前編》 より

 

【自律性(オートノミー)】
 自律性は、〈モチベーション3.0(タイプI)〉を支える「3つの要素」のうちの一つ。
 自律性が満たされた企業形態は、どのようなものなのか。
 「わたしと同世代の若い経営者が登場するにつれて、多くの会社がこの方法(ROWE)を取り入れるようになるはずです。父の世代は、人を資源として見ています。つまり従業員は、家を建築するときに必要な一律の寸法の規格材なのです」・・・中略・・・「わたしにとってはパートナーシップです。従業員は経営資源ではありません。パートナーなのです」。パートナーなら、誰もみな自律的に自分の人生を管理する必要がある。(p.154)
 ROWEとは、結果志向の職場環境(results-only work environment)のこと。
 自分の仕事をやり遂げ結果を出せばよいのだ。どのように仕事をするか、いつ、どこでするかについては、社員自身が決められる。(p.152)
 他者に管理されたくない人は自営業を指向するけれど、モチベーション3.0の社会では、組織自体が自営業者の集合体であるかのような企業形態になってゆく。ROWEを取り入れれば、そんなふうになるだろう。
 自分の好きなように仕事をしたい、自分の人生を自分で管理したい、自律的に生きて行きたいという人々こそが、〈モチベーション3.0〉の社会を構成してゆくのである。
 自律性が個人に対してもたらす利益は、所属する組織へと広がる。たとえば、コーネル大学の研究者が320の中小企業を対象に調査したところ、その半数は従業員に自律を認め、残りの半数はトップダウンの指示に頼っていた。管理志向の強い後者に比べて、前者は平均4倍の成長率を示し、離職者数に至っては3分の1だった。(p.160)

 

 

【マネジメントの終焉】
 要するに、“マネジメント”をいかにドレスアップしても解決策にはならない。マネジメントという概念そのものが問題なのだ。・・・中略・・・。
 21世紀は、「優れたマネジメント」など求めていない。マネジメントするのではなく、子どもの頃にはあった人間の先天的な能力、すなわち「自己決定」の復活が必要なのである。(p.161)
 『マネジメント』というタイトルだけ知っていて、中味を読んだことがない人なら、「ドラッカーさんはビビっちゃうかも」って思うかもしれない。しかしそれは愚かな言いぐさである。ドラッカーさんは、人を活かすためのマネジメントを常に考えていた。人間の不完全さを百も承知で、経営に生かそうとしていた。
   《参照》  『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら』 岩崎夏海 《後編》
              【人を活かす】

 であるにせよ、全ての人々に本来備わっている自律性が完全励起したら、確かにマメネジメントの必要性はない。「オートノミー(自律性)」によって全てが駆動されるからである。
 だからと言ってドラッカーさんが間違っていたのではない。ドラッカーさんが生きていた時代は、「マネジメント」という単語で表現する経営で良かったのだろう。しかし、近年、陸続と地球に生まれて来る魂たちは、それ以前に地球に生まれてきた魂たちより“進化している”。依存的で他律的な人間から、自立的で自律的な人間へと進化しているのである。先に生まれてきた人間たちは、率先して自立性と自律性を学び会得しなければならない。

 

 

【熟達(マスタリー)】
 熟達も、〈モチベーション3.0(タイプI)〉を支える「3つの要素」のうちの一つ。
 ドゥエックは、目標には二種類あると指摘する ―― 達成目標と学習目標だ。フランス語でAをとる、というのは達成目標。フランス語を話せるようになるというのは学習目標だ。・・・中略・・・。いくつかの調査から、子どもに達成目標を与える手法(たとえば、テストで高得点をとるなど)は、比較的単純な問題に対しては有効だが、コンセプトを新しい状況に応用する能力が妨げられる、とドゥエックは気づいた。(p.210)
 つまり、達成目標は〈モチベーション2.0〉に適しているけれど、学習目標には適していないと言っている。学習目標は〈モチベーション3.0〉においてより有効であり、技能労働などにおいて高い価値を持つ“熟達”は、終わりなき道を極めんとする学習目標の範疇である。日本の高度成長期を担ってきた日本人技術者は、そもそもからして〈モチベーション3.0(タイプI)〉の生き方をしていたと言える。
 なお、スタンフォード大学教授であるドゥエックの、もう一つの研究成果である、「2つのマインドセット(心の在り方)」に関する重要な記述が、p.300 に書かれていたりもする。

 

 

【目的】
 目的は、〈モチベーション3.0(タイプI)〉を支える「3つの要素」のうちの一つ。
 マスタリー(熟達)を目指す自律的な人々は、非常に高い成果を上げる。だが、高邁な「目的」のためにそれを実行する人々は、さらに多くを達成できる。きわめて強く動機づけられた人々 ―― 当然ながら、生産性が非常に高く満足度も高い人々 ――は、自らの欲求を、自分以外の「より大きな目的」に結びつけるものだ。
 しかしながら、〈モチベーション2.0〉は、目的を動機づけとしては認識していない。(p.229)
 多くの人々が「自分探し」に傾倒した時期があったけれど、その後、社会の二極化(格差社会)が進行して、それどころではなくなり、生きていくのでイッパイイッパイになってしまっている人々が少なくない。
 現状がいかなる状況であれ、人生の目的や生きる意味(リブセンス)に意識を向けてみる必要はあるだろう。
 最初に人類が天空をじっと仰ぎ見て、宇宙の中で自分はどこいるのだろうかと深く考えたときから、世界に貢献する何かを、自分の足跡を後世に残せる何かを生み出そうとしたときから、わたしたちはみな目的を探し求めている。「目的は人生を活性化する」と、心理学者のミハイ・チクセントミハイはインタビューで語った。「進化論は、自分を超えた大きなことをしようとする人を選び出すことに、加担しているのではないかとさえ思うときがある」(p.229)
 「我良し」目的では、地球進化のメインストリームになど到底乗れない。「三方良し」なら、メインストリームに乗れるだろう。
 神国日本には、個の御魂を超えた国魂という言葉があるけれど、その国魂の根源こそが地球進化の推進パワーのはずである。
    《参照》   『皇人Ⅱ』 Ai (明窓出版)
              【日本の「国魂」。その場としてのポータル】

 下記リンクに、松下幸之助さんと稲盛和夫さんの考え方を書き出している。
    《参照》   『人生で大切なこと』 松下幸之助 (PHP)
              【松下幸之助氏の昇進判断ポイント】
 〈モチベーション3.0〉の企業の狙いは、・・・中略・・・ 利益を追い求める従来の企業とは似て非なるものである。利益を目指すのではなく、利益を触媒として、「目的」の達成を目指す企業のことである。(p.234-235)

 

 

モンテッソーリ・スクール】
 モンテッソーリの教育の基本的信念の大半は、〈モチベーション3.0〉の原則と共鳴している。たとえば、子どもは本来学びたいことをひとりでに定め、自主的に学ぶ性質を持っている。そのような学習では、教師は観察者およびファシリテーターとなり、講師や指揮官の役を演じてはいけない。子どもは自分のやりたいことに集中し、フローを経験する傾向があるので、大人はこれを邪魔しないように最大限の注意を払わなくてはいけない、などである。(p.292-293)
 シュタイナー教育もほぼ同様だろう。霊学的見地に立った「魂の観点」が重要視されるのである。
    《参照》   『はじめてのシュタイナー』 志賀くにみつ 小学館スクウェア

 

 

【まとめ】
 アメとムチは前世紀の遺物。〈モチベーション3.0〉によると、21世紀の職場では、〈自律性〉〈マスタリー〉〈目的〉へとアップグレードが必要。 (p.323)
 地球生命圏に覆いかぶさっている社会意識という支配網に囚われると、「人生の目的」を蓄えている「魂の視点」はすっかり蔑ろにされてしまう。
 〈モチベーション2.0〉というOS(オペレーティング・システム)のままでは、従来の社会意識の外に出ることはできないだろう。宇宙環境の変化に連れてアセンション(周波数上昇)しつつある人類進化の潮流の中では、アメとムチを基とする〈モチベーション2.0〉というOSは急速にその効力を失うのである。
 どうしたって、〈モチベーション3.0〉というOSへのアップグレードが必要である。

 

<了>