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 “最後の審判”や“十和田”という字が目についた古書。同じころ出版されていた『宇宙船 天空に満つる日』で想定されていたタイムラインに則して記述されている。1988年5月初版。

 

【「最後の御経綸」】
 すでに「最後の御経綸」は発動されています。そして一度発動された御経綸の撤回はあり得ないと申されています。
 以上が「最後の御経綸」の触りでありますが、その内容を見られても分かりますように人類滅亡は宿命だと申さねばなりません。だが宿命とは言っても過去の滅亡とは違います。大神界のご計画にあるものは意識の転換であって、神託よりも、三次元的科学や哲学中心の宗教を優先する人類に見きわめをつけられ、人類の完全清算を計画されたことです。すなわちそれが地球の立替えなのです。(p.71)
 初版年度から言っても内容を読んでみても、「完全清算」を計画している「最後の御経綸」は、20世紀末を見据えて語られていたらしいけれど、本書に書かれているその理由を読むと、まだこれから先の近未来だろう、と思ったりする。
 であるなら、十和田湖からそう遠くない所に住んでいる、『奇跡のリンゴ』の木村秋則さんが言っている“時間がない”のことかもしれない。
    《参照》   『すべては宇宙の采配』 木村秋則 (東方出版)
              【「時間がない」】

 

 

【人類は滅びるなり】
緑に映える聖霊よ
天や山野を駆ける直な聖霊よ
地に潜りて大地を清める可憐な聖霊よ
限りなく海を清めんとする力強き聖霊よ
汝らの慟哭 天に響いたり
精霊たちよ 予は主の大神なり 許せよ
遥か 遥かいにしえより
生命界の務めとして
地球を育み 調和と秩序を守り
義務を果たせしそちたちのはたらきと努力
予は 汝らに深く感謝するものなり
人間たちにそちたちの心があればの
地球は弥栄えたであろうに 残念なり
驕りたる人間は そちたちの慈しみを忘れ
天を汚し 地を汚し 海をも汚したり
そちたちの悲しみ苦しみ その辛さは
いかばかりであろうか
種絶えて 地球は滅びるなり
心なき人間の所業恥ずかしきことかな
精霊たちよ 神界は決断せり
地球の立替え 人類の終えん間近なり (p.55-56)
    《参照》   『魂の伴侶と出会う旅』 ドリーン・バーチュー (クレイヴ出版) 《前編》
               【精霊たち】

 

 

【自我に生きる西洋物質文明】
 生命の世界や宇宙界では本人がいくら知恵や能力があっても認められません。なぜなら心から湧き出て来た智恵と自我の知恵では質が違うからです。知能優先など生命にとってたいへん虚しいことです。
 現代の教育が欧米を見習い、知能優先にすればするほど、合理的精神とやらで自我に生きる人たちが増えてゆきます。・・・中略・・・。道徳に裏付けされた教育が行われない限り、家族や周りの人たちを大切にしたいと思う、愛の尊さや真心の重要性を身につけることはできません。
 人として一番大切なものを失いつつあるのが現代の物質文明です。(p.123)
 個人主義の思想は破滅の思想です。人の心よりも全体の喜びよりも個人の欲望を満足させるための思想に他なりません。宇宙界では通用しない思想のひとつです。
 先進国の、それも大都会で生活している人たちの人心の退廃は、私たちにそれを教えているのではありませんか。 (p.134)

 

 

【真心を身につけるには】
 親に孝を尽くすと言う言葉があります。親に感謝し、親を大切にしてください。それが第一歩です。・・・中略・・・。
 二つ目は両親の上におられる祖先の方たちです。祖先の供養はあなたたち子孫の心で行う行事です。本来僧職の仕事ではありません。・・・中略・・・。
 三つ目の階段は、あなたが住まわれている地域の氏神様、産土神様、また勤め先の近くにある氏神様、産土神様に、月じまいには必ず家族そろって感謝御礼に出向いてください。・・・中略・・・。
 でもこれだけはぜひ守ってください。お参りの時によく見かけることですが、お神様方に投銭など決してしてはなりません。それはたいへん失礼な行為です。・・・中略・・・。
 どうしても御礼をしたい時は、神前に出向いて、懐紙に包んで奉納してください。(p.127-130)

 

 

【死相】
 ちなみに死相につて言いますと、生前よりも美しい死に顔であれば良いのですが、中には顔色がドス黒く変色したり、形相が生前より醜く一変して、一瞬目をそむけたくなるような死相もあります。
 いいですか、同じ死を迎えても、死相で見られる表情・血色・体の硬柔を含めた人相は、死体とはいうものの生体以上に、その人が蓄積してきた精神を凝縮して、顔や体に痕跡を残すのです。そしてそれは自分の行くべき未来を、家族や回りの人たちに告げる予告でもあるのです。
 おそらくあなたたちには信じがたいことでしょうが、死相には百人百色の特色があって、死相は生前の人相よりも内面性の上では確かです。 (p.145)

 

 

【浮遊霊】
 あなたたちには想像できないかもわかりませんが、お墓の周辺には、祖先と関係のない多くの霊たちが屯しています。その霊たちは魂霊の世界に戻ることを拒否した人や、肉身の死を自覚できずに迷い続けている人や、苦界の生活に耐え切れず苦界を逃げ出してきた未熟な霊などが、浮遊霊になって集まっていますし、その中にはあなたたちが知っている無縁の霊ももちろん含まれています。彼らはお墓やお寺の周りが自分たちの住まいです。お墓に供えられた食物を食したり時として自分と似た者がいれば(心のこと)人の体に乗り移ることも平気です。世の中が狂えば狂うほど、浮遊霊は増えていきます。それは、多くの人たちが霊界や魂霊の存在を信じようとしないからです。あなたたちは、できるだけお墓に子供たちを近付けてはいけません。(p.174)

 

 

【日々の御食(おんじき)供養】
 あなたが祖先の人たちと同じように仏壇の中にあって、子孫から毎日盛飯とお茶とお水を供えられてどんな気持ちになるでしょう。それで嬉しいと思いますか、悲しくならないですか、辛いのではないですか。厳しい言い方かもわかりませんが、祖先の人たちに替わって申し上げます。あなたたちの供養には心が乗っていません。
 心を尽くすということは、相手の身になって考えながらさせていただくことと違いますか。ご飯をお供えする気持ちがあるのでしたら、なぜお惣菜も一緒にお供えしないのですか。祖先は目上の人たちです。盛飯など失礼ではありませんか。(p.185)
 お惣菜どころか、盛飯すら供えず、お茶とお水だけというのは強烈な不敬になってしまう。毎日そうであるなら、必ずや祖先は餓鬼霊になっているから、戒告として、異様なほどの大食人間が家族の中にいるはずである。僅か一膳程度の御飯すら供える真心を欠いているが故に、食費に莫大な出費を強いられているのに、それでもまだ祖先に対する積年の不敬に気付かない。
 霊界で生活しておられる人たちは、現世に対しての執着は少ないので、食事されることはあまりないのですが、幽界や苦界に住んでいる人たちの場合は霊界の人たちと違って執着が強く、この世にいた時の生活をいまだに忘れることができません。そのためその人たちはいつもひもじい思いをして生活しているのです。あなたたちがお食事を供えるのは、その人たちを供養するためなのです。
 その人たちは食物の中に含まれている、食物の気と呼ばれるものを食されています。香りの強い果物やお酒や洋酒などをお供えして、2,3分後にお下げして味わってみて下さい。食物の気が抜けて味が変わっています。(p.186)
    《参照》   『超オンナ磨き』 IKKO (アスコム)
              【お世話になった故人に・・・】

 

 

【憑依霊の影響】
 現代は心の荒廃の時代だと言われています。現代に生きる人たちは、心を失っている人たちや、祖先の世界を信じられず祖先を粗末にしている人が多いため、その人と同じ気持ちを持った浮遊霊たちに憑かれている人たちが大勢います。二重、三重人格の人、原因不明の病気、連続事故、精神異状などなど、憑かれた霊に支配されて起こっている不幸現象も多々あるのです。すべてはその人の心の養い方によって。幸、不幸の道は分かれてしまいます。(p.187)
 WHO(世界保健機構)も「霊的な健康」という項目を掲げているけれど、製薬会社利権に支配されている日本の医療は、いまだにスピリチュアルな点は、完璧に無視し続けている。
    《参照》   『日本人よ、侍スピリットでよみがえれ!』 竹村健一・鍋島健士 (致知出版)
              【霊的な健康】

 スピリチュアルなことを何も理解せず、医者の言うことを信じて処方された薬を飲むなら、製薬会社の作為に嵌ってなおさら精神異常にさせられるだけである。
    《参照》   『これが[人殺し医療サギ]の実態だ!』 船瀬俊介×ベンジャミン・フルフォード (ヒカルランド) 《1/3》
              【「抗うつ剤」その他の処方例】

 

 

【形式仏教】
 たとえ多くの高僧たちが集ってお経をあげたところで、自画自賛であり、儀礼や権威で祖先の人たちの心を悟すことはできないのです。
 聖職者が生命をいつくしみ、本当に供養する心を悟るならば、わけのわからないお経をそのまま唱えるより、経文を日常の会話のようにわかりやすくした上で語っていただくのが道ではないですか。それが心のこもったしかたでしょう。(p.190)
 僧侶たちですら、魂霊の世界の実相を分かっていないというのが、世も末のなによりの証拠である。

 

 

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