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 輪廻転生の個々の事例を読むことで読者はいくつかの気付きを得るだろう。どの事例に強く惹かれるかは人それぞれなのだけれど、全ての人々が学び取るべき共通点も記述されている。2011年2月初版。

 

 

【「魂」は嘘をつけない】
 人間本来の「魂」というものは、極めて純真な存在であり、とても素直なため、嘘をついたりなどしません。
 その人の魂にシンクロ(同調)して、「どうしたのですか?」と聞くと、包み隠さずすべてを「ビジュアル・スクリーン」に映し出して見せてくれます。・・・中略・・・。悪霊の場合、悪霊自身の魂を、私みたいな霊能力者など、他人に見透かされてしまうことが、とても嫌なようです。(p.49)
 シンクロさせることで「魂の因縁」を見ることができるようなシャーマンさんなら、悪霊の魂は言うまでもなく、普通の人間の下心など当たり前に見えてしまうらしい。

 

 

【「死刑」考】
 最近、メディアなどで死刑について批判が高まっています。殺人鬼あるいは凶悪犯と呼ばれ、被害者だけでなく自分の人生さえもメチャクチャにしてしまった人間にとって、死ぬことは本当の刑ではありません。これは、魂自体が死なないという仕組みをご理解いただければ、すぐにわかると思います。
 ただし、今生で社会生活を体験できないまま一生収監されることは、意味がありません。この点が、世の評論家と私の違いでしょう。
 その意味では、肉体上の死刑=死ぬことは、すぐに最初からやり直せる・新しくやり直していけるという、いわば「敗者復活戦」のチャンスを与えることなのです。
 そういう霊性向上という視点で考えると、極刑=死刑の存続について、私は個人的に賛成しています。(p.95)
 「死刑」肯定論者の一般的見解は「再犯防止」なのだろうけれど、ならばといって「終身刑」であるなら今世において社会生活を体験できないので、霊性向上の機会は失われ意味がない、というのが著者の見解。
 下記リンクは、霊的視点で見て著者とは真反対の見解を示している。
    《参照》   『サティの異次元旅行』  吉田洋幸  国書刊行会
              【死刑制度】

 犯罪者に憑依している怨念霊を解除できないままであるなら、死刑は悪霊の転移増幅を招くだけなので意味はないどころかマイナス。終身刑であっても怨念霊に憑依されたままの犯罪者に「魂の学び」が生ずる可能性はほぼないのだから無意味であり、社会費用面から見て明らかにマイナスである。
 最善は犯罪者に憑依している怨念霊を解除した上での社会復帰だろう。
 霊的世界の影響力を考慮することができない警察は、「犯罪者の再犯率は高い」という統計学上の結果を元に全ての犯罪者を再犯予備軍として扱おうとするけれど、肉体を拘束することで裁きとする懲罰的な発想は、魂の向上にとって何らの効果もないどころか、愛の本質に真っ向から逆らうものである。
    《参照》   『神とひとつになること』 ニール・ドナルド・ウォルシュ (サンマーク出版) 《後編》
              【第6の幻想(裁き)から抜け出た世界】

 

 

【被害者/加害者ゲーム】
 普通は男女交互に生まれかわり、それぞれの時代の伴侶を通じて、総合的に霊性を高める修行を経験します。
 要するに、その都度「課題」をクリアしていますから、普通なら同じような環境に生まれてこないというわけです。
 ところが幸子さんの場合、人生という学校で何回も繰り返し、いわば留年していました。つまり彼氏の魂と二人で、進歩のない「被害者/加害者ゲーム」に、永遠に囚われていると考えられます。(p.99-100)
 「許す」という課題をクリアできず、互いに裁き(被害者・加害者)の世界を抜け出ないと、同じような人生パターンを果てもなく繰り返すことになる。

 

 

【唯一普遍的なルール】

 古今東西、人間が作る様々なルールは、結論から言えば、その時代と地域に対してのみ当てはまる「狭い考え」です。
 魂が輪廻転生の体験を通じて成長するという事実だけが、唯一、普遍的なルールです。その唯一にして普遍的なルールを踏まえて、いかにその時代と地域に状況に合わせて生きていくかにこそ、人生の重要性があります。(p.127-128)
 いまどきは国際結婚している人々が非常に多いだろうけれど、「○○人だから」が理由となって「夫婦愛」を破壊するのであるなら、「魂の成長」は見失われている。
 「地球益より国益の方が大切」と真顔でいう人も同様に「魂の成長」が止まっているだろう。広狭の差において狭い方に捉われる考え方は、往々にして共生を妨げる。それは畢竟するに自らの「魂の成長」を阻止する愚かさである。

 

 

【愛と恋】
 愛と恋は明確に違います。
 恋は単に人間としての欲望の一つにすぎません。恋とは、実際は「自己愛(ナルシシズム)」の投影として他者を見ているにすぎない、ということを知ってください。
 いわゆる自分と似た雰囲気、あるいは似た境遇の異性を勝手に好きになること、要は「恋に恋する」状況です。
 それに対して愛は、人間存在の真の目的である「魂の成長」そのものを意味するとともに、その意識を通じた神の行為そのものです。(p.133)
 「恋は盲目」っていうけれど、霊学的な視点でいうなら、「魂の成長」から完全に目が離れてしまっていることを言うのかもしれない。

 

 

【失恋からの学び】
 人は失恋によって、愛すること、そして相手を許すことがどれだけ厳しいものかが理解できます。嫌がらず、ぜひクリアしていただきたいものです。
 要は「気づき」によって納得すること。
 たったそれだけのことなのです。
 逆にそれを頑固に拒否したなら、現世だけでなく来世でも、再び繰り返すことになってしまいます。(p.197)
 「許す」ことができれば、失恋した相手以上に“素晴らしい縁”が必ず用意されている。
 恋への執着の愚かさは、未来に対する盲目でもあるだろう。

 

 

【プラスの愛とマイナスの愛】
 その愛には、プラスの愛とマイナスの愛という二つの「行動」があります。
 相手が存在していること(生存)、また相手が存在していたこと(死去)に対して、感謝し続けて無償で奉仕する実践や行動。それをプラスの愛と言います。(p.133)
 存在の様相がどのようなものであれ、存在自体が愛であり、その愛に報いるには感謝と無償の奉仕しかないのである。
 では、マイナスの愛とは・・・。
 人生における最大の苦悩の一つに、「幸福の絶頂」から「不幸のどん底」へと突き落とされるという状況(境遇)があります。
 そのような過酷な状況で、たとえ当初は相手を憎んだり恨んだりしても、やがてその苦悩を乗り越えて、相手を「許す」ことができれば、そこから至上の愛が生れます。そしてそれを可能にした本人は、魂の波動を急速に高め、大きくステップアップすることができます。
 その時には、深い至福感を感じるでしょう。
 これが「マイナスの愛」です。(p.164)
 「許す」ことができなければ、それ即ち「裁き」の繰り返しループに入ってしまうことになる。
 「許す」ことを学ぶまで、課題は永遠に先送りである。
 「ゆるす」って、イコール「愛」ともいえる。
    《参照》   『悟りは3秒あればいい』 小林正観  大和書房
              【許す】
    《参照》   『テンダー・ラブ』  日野原重明  ユーリーグ
              【愛の陰には恕しがあってこそ】

 

 

【「神との一体化」計画】
 誰しも日常生活において、そう簡単には超えられない「壁」が存在します。それを日々超えようとする小さな努力を重ね、行動し続けて初めて、人間は魂レベルで少しずつ成長していきます。
 多くの人々が、そんな同じ意識を持ち、実践・行動する瞬間、魂レベルでの共生へと進むのでしょう。
 もしかしたらそれが、神との一体化という計画かもしれません。
 共生することにより、その一体感の「意識」がさらに高まり、自ずとそこには調和が生じます。自然と心が和み、魂レベルにおいて一つの方向へと向かうことこそ調和です。
 その結果、いわゆる宇宙本来の5次元レベルに、地球とともにアセンション(次元昇華)できるのではないでしょうか。(p.179)
 こんなに日常生活レベルの人文的表現によるアセンションの記述は、初めて読んだけれど、むしろ正論なのかもしれない。
〈神は自分自身を知るために、もう一人の神を創造し、ついには無数の自分を自分自身の一部として創造し、人間として体験するようにしました。つまり人間は神の一部である「魂」であり、それゆえ、この素晴らしい自然と地球と宇宙を正しく認識して、やがて一体化すべきものです〉(p.130)
 一元なる絶対世界存在である神は、二元からなる相対世界を体験することで、自分自身を確認しようとした。誰もが二元性の相対世界を体験中の神々であり、やがて再び神と一体化するべき存在たちである。
    《参照》   『神との対話 フォトブック』 ニール・ドナルド・ウォルシュ (サンマーク出版)

    《参照》   『カルマからの卒業』 はせくらみゆき (ヒカルランド) 《前編》

 

 

                         <了>