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 「本書は、この2書以降に宇宙からもたらされた膨大なメッセージの、その一端を届けることを目的としている。」(p.387) とあとかがきに書かれている。2書とは渡辺大起著の『宇宙からの黙示録』と『宇宙船 天空に満つる日』、であり、いずれもかなり昔に読んだ懐かしい本である。著者は、渡辺さんのグループに属して研鑽していた方らしい。スピリッチュアルな世界を研鑽の場としている人にとっては、参考になる記述が多いだろう。
 タイトルにある宇宙人とは、他の星から地球に転生して生きたワンダラーたちのこと。インディゴと言ってもいい。2012年8月初版。

 

【「自由意志」の問題】
 人間に与えられた、ほかの生物と人間を画するもっとも大きな特性、それが「自由意志」であって、高い段階の宇宙人ほど、この「自由意志」を尊重する。
 余談になるが・・・世に、「私は宇宙人とコンタクトしている」という方は数多いが、その「質」を見わける最良の方法は、相手の宇宙人がわれわれの「自由意志」を尊重するか否かである。
 高い段階の宇宙人は、強制的、命令的な言動は取らず、心の目覚めのヒントとなる言葉を語るのみである。これに対し、「なになにをせよ」とか「どこどこに行け!」と強制的な物言いをする宇宙人は、いくら円盤に乗っていてもはるかに程度が低い。(p.43)
 スピリッチュアルな世界の審神についても、これと全く同じである。もちろん、この物質世界における人間についても。

 

 

【人類が作り出した「カルマ」と「終わりの時」の問題】
 人類がつくりだしてしまったカルマは、人類発祥から1960年代までと、1960年から現時点、2012年までの半世紀を比べると、この半世紀間のほうがはるかに、はるかにすさまじい!
 その真実を知れば、人は愕然とし、暗闇につきおとされたような気分になるだろう・・・・山のように蓄積された「すべてのカルマ」を明らかにしないことには「終わり」はこない。「新しい世界」もやってこない。むろん、「宇宙船による救い」もありえない。
 いま、われわれは、そのような「道」にいるということ、それこそが、本書が伝えんとする最大の眼目である。
 ここ半世紀の間に人類が作り出してしまった最大のカルマの原因は、原子力にある。それについては、最後に書き出しておこう。
 “「すべてのカルマ」を明らかにしないことには「終わり」はこない”とあるけれど、“「すべてのカルマ」が解けないと「終わり」はこない”ということ。この世に限定された人為的な努力しかないのであるなら、「すべてのカルマ」は解けない可能性が高いだろう。であれば「終わり」は来ない。このまま、この酷い世が続くだけで、新しい世界は「始まらない」ことになってしまう。これこそが最悪中の最悪である。
 そのようなことにならないために、地球の意識を先導するワンダラー(宇宙人)たちに、気づきのヒントを与えているのが本書である。

 

 

【波動のない部屋】
 なにもないが、天の神様の御心に満たされた部屋
 無限に静かで・・・驚くべきことに、波動が一切、感じられない (p.64)
 
 何らかの波動が感じられるということは、その波動がいくらたかいものであっても、それに限定される。本当の神は、いかなる波動にも限定されないから、一切の波動がない。
 「天の神様=高い波動」というなかば無意識的な思い込みは、完全に間違っていた。(p.64)
 私たちの中にも、この部屋はかならずある。「真がわかる」というのは、自分の中のこの部屋に気づくことではないか。(p.65)
 この記述に関する主旨からは、若干外れるけれど、「無心」ということを尊んでいた日本文化は、まさにこの「波動のない部屋」の極を掴んでいたのだろう。つまり、「無の法」を会得していた。それに対して西洋文化は、つねに1から始まる「有の法」に終始してきたといえる。
   《参照》   『新ミレニアムの科学原理』 実藤遠 (東明社) 《後編》

             【フィボナッチ数列の欠陥】 【西田哲学の弁証法】

 日本の言霊は良くできていて、「生む」は「有無」である。
 「無」をもたない「有の法」では「生めナイ」のである。

 

 

【時間について】
 時間というものは、あなた方の科学者達が今や正しく推測するように、一つの相対的な基準なのです。しかし、それは種々の物質密度に適用された場合の枠でしかありません。
 意識の絶対的、つまり非物質的状態においては、時間というものは存在しないのです。(p.74)
 “非物質的状態においては、時間というものは存在しない”とあるけれど、どういうことかというと、霊界(=イメージの世界)は言うまでもなく非物質的状態なのだけれど、5歳の子供をイメージして、次の瞬間その子が80歳の老人になったとイメージすることができる。霊界はイメージの世界だから、これが可能である。我々がこの三次元の物質世界で想定している時間は意味をなさない。今この瞬間に江戸時代をイメージすれば江戸時代であり、平安時代をイメージすれば平安時代である。時間はない。同様に空間もない。

 

 

【真に徹して、努力しないと得られない】
 この世界にはいろいろなことがあり、過去の賢人たちがさまざまな蓄積を残してくれている。だがその神髄は、自分で努力しないと得られない。霊感の鋭い人はとかくふつうの勉強をあなどりがちだが、それで最初はうまくいってもすぐ頭打ちになる。「自分で考える」というが、その基礎を養うのが「不断の勉強」である。何が自分にとって必要なのか、その「みきわめ」もまた「真(まこと)」である。
 私自身は非常にいいかげんな人間であって、渡辺大起さんをはじめ、これまで活躍してこられたワンダラーの方々にくらべれば、その真の強さも人間としての完成度も及ぶべくもないが、彼らの姿、その強烈な真、真実を求めてやまない「紅の真」の、その一部でも感じていただければと思う。(p.90)
 スピリッチュアルな世界は、お遊びや趣味程度の気持ちで接するべきではないのである。
 このような記述があるからこそ、この著作は真摯なものであると判断できる。
    《参照》   『根源へのアセンション』 Ai (明窓出版)

               【高次情報を読みとる上での法則】

 渡辺大起さんとは、冒頭で書いたように、『宇宙からの黙示録』や『宇宙船 天空に満つる日』の著者。宗教団体のようなものを作らずに、スピリッチュアルな世界において日本と世界の守りを成した人の一人だったのだろう。
 ところで、「紅の・・」なんてあるから、チャンちゃんはもう「豚」とイメージしてしまった。一般的な神道的表現でいうなら「赤誠」だろう。「紅の真(まこと)」という表現には慣れていないから、何かイマイチである。

 

 

【真の祈り】
 「真の祈り」には、形式や順序はない。まさに「真の心に湧く神様への語らいを頼むこと」であって、日々、だれもが気づかぬうちに行っている。
 「小さな心の動き」の中に「神様への語らい」が、ごく自然に行われる。それを大切に育てると、心の中に言葉が湧く。それが、実体にきちんと対応した「内実のある言葉」であり、自然に、それを「頼む」気持ちが湧いてくる。これこそが、「真の祈り」である。(p.101)
 あまりにも世俗的な世界に生きていると、この「小さな心の動き」が、自分自身でもわからなくなってしまう。生霊を受けていても、自らの裡にある種火としての「小さな心の動き」は打ち消されてしまう。世俗に生きながらの最大のデメリットは、これだろう。

 

 

【日本の役目】
 日本の使命について、金星の大長老サナンダ(AZ)は次のように語られた。
 「日本は永遠に神様の降り給う地であり、今までも降りられたことがあります。日本は神様を崇めることが役目です。また、ワンダラーが日本に多いのは、神様を守るためです。ワンダラーは生きている天の使いです」 (p.108)
 キリスト教の終末観、仏教の輪廻観に対して、神国・日本は「神を祀る限りにおいて、天壌無窮である(世界は永続する)」という世界観を持っている。
     《参照》   日本文化講座 ③ 【 宗教文化 】

               【キリスト教と仏教と神道の世界観】

 ということは、「日本人が神を祀らなくなったら、世界は滅びる」ということになる。天皇陛下が国民を代表して「毎日、祭祀を行っている」のだけれど、今や、多くのワンダラーたちがその役割を分担しなければ、とうてい維持できないほど際どい時代になっている。

 

 

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