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 中米にあるグァテマラという国、アンティグアという植民地時代の首都に長期滞在した時の様子が書かれている。滞在していたのは1996年頃らしい。あとがきを書いた日は36年間にも及んだグァテマラの内戦が終結した日(1996年12月29日)と書かれている。
 最初の頁を半分ほど読んで、「面白い文章を書く人だなぁ~」と思い、素人とは思えずインターネットで検索してみたら、いろんな文学賞の候補に挙がっている人だった。「なるほど」である。1997年7月初版。

 

 

【グァテマラ郵便】
 マイナーな国に強い某ガイドブックにも、グァテマラから日本には一週間前後で郵便が届くと書いてあった。
 それなのに、実際に郵便を出してみると・・・。 ・・・(中略)・・・ そして、グァテマラから出した最初の手紙が1ヶ月たってもまだ日本に届いていないとわかったその日から、私と郵便局との長く空しい戦いがはじまったのだった。(p.17-18)
 1996年頃は、日本でもまだワープロ時代で、インターネットは一般人の実用段階には達していなかったから、同じ頃、国外での郵便事情に業を煮やしていた話は、下記のリンクにも書かれている。
   《参照》   『イタリアですっごく暮らしたい』 タカコ・半沢・メロジー (ベネッセ)
             【イタリア郵便】

 当時のグァテマラは、郵便為替の対象国にもなっていなかったと書かれている。

 

 

【グァテマラのコーヒーの味】
 この国のコーヒーの味の謎がひとつとけた。
 まず、基本的に好みが違う。グァテマラ人が日本の喫茶店でグァテマラ豆のコーヒーを飲んでも満足しないことに、私は50ケツァル賭けたっていい。 ・・・(中略)・・・ 。
「いい豆を輸出にまわしているから、国内ではおいしいコーヒーは飲めない」
 判で押したようにグァテマラ人のせりふには、産地の人間でありながら不当な扱いを受けているという恨みと、こうやって我々はいい豆を輸出しているんだという誇りが感じられる。たしかに、最初はそれが原因で、日本とグァテマラではこれだけ味の違うコーヒーがでまわるようになったのかもしれない。でもいまでは、単に「好みが違う」というのが原因だと、私の一年間の滞在は結論づけた。(p.69-70)
 グァテマラ人が飲んでいるコーヒーは水代わりのような薄いものだと書かれている。
 コーヒー豆に関して、日本人は、国際的な高品質豆の「買いあさりバイヤー」であるらしい。現地の人々は、日本人のように、繊細な味覚で美味しさを求める嗜好はそんなにないのだろう。

 

 

【ケツァル】
 ケツァルを見に行くことにした。
 ケツァルとは何か。グァテマラのお金の単位であり、自転車の人気モデルの名前であり、ケツァルという名のホテルもあれば、土産物屋もある。とにかく何でもこう命名してしまえば無難に通用する、魔法の言葉だ。職業別電話帳など開いてみたら、使われていることばの上位5位にはいっているかもしれない。
 これだけ「ケツァル」があふれていても本家本元のケツァルを見ることは、とてもむずかしい。ケツァルとは、グァテマラの国鳥になっている鳥なのだ。(p.102)
 ケツァルの美しい尾羽は、古代マヤ文明の時代から、権力の象徴であり、貨幣や、重要な貢ぎ物として用いられていたのだ。
 ・・・(中略)・・・ 。
 ケツァルは、檻に入れて飼うことができない。捕まえられると死んでしまうのだそうだ。自由を奪われただけで死んでしまうなんて、高貴な精神の持ち主ではないか。そのため「自由の象徴」と呼ばれ、国旗を飾るようになったというわけだ。(p.103)
 グァテマラの国旗には国鳥が描かれている。それほどにケツァルはグァテマラの象徴である。

 

 

【海外で使える手】
 他の機会にも、私はよくこの手をつかった。車掌が料金を集めにきたときに、「私は、○○というところで降りたいので、そこまで来たら教えて」と頼む。多忙な車掌はあてにならないけれど、それを聞いていた周囲の乗客が必ず、「あと少しだよ」「ほら、ここだ」と教えてくれるのだ。 (p.106)
 チャンちゃんも海外ではこれを何度か使った。
 言葉など話せなくても、降りたい場所をヘンな発音で告げておけば、周りの人たちが心配してちゃんと教えてくれる。

 

 

【十月十日(とつきとおか)の謎】
「あのね、日本人の生徒をうけもつたびに、いつも質問していることがあるの。でも、誰も納得できる答えをくれないのよ」
 真剣な顔で、そう前置きしたのは、 ・・・(中略)・・・ マイラという先生だった。
「日本人の妊娠期間は、何ヶ月?」
 質問の意図が分かったので、わざとこう答えた。
「十か月」
「そんなばかな。同じ人間なのに、どうして妊娠期間が違うの。スペインでもグァテマラでも妊娠期間が9カ月なのに、どうして日本人だけ、ひと月も長いのよ」
 ・・・(中略)・・・ 
「 ・・・(中略)・・・ 日本ではむかし、旧暦という一月が短い暦を使っていて、昔の言い方で妊娠期間を『十月十日』というものだから、いまだに多くの日本人が、妊娠は十ヶ月と思いこんでいるだけなの」
 よほどこの1か月の差の謎が気になっていたのだろう、彼女があんまりほっとした顔をしたので、私は善行を施した気分になった。(p.113-114)
 !!!! 
 知らんかった! 本当に310日程度なのだと思っていた!
 そんな事を知らなかったのに、下記のリンクを付けるのもコッパズカシイけれど、旧暦の月の呼び名は、妊娠状態に関与しているのです。『秀真伝(ほつまつたえ)』 という超古代文章の名前は記憶しておきましょう。
   《参照》   『宇宙原理ホツマ』 鳥居礼 (たま出版) 《前編》
            【妊娠過程に関わる月名】

 

 

【呪いの人工語】
 スペイン語の動詞は、50とおり以上に活用するのだ。文法書の最後にのっている「動詞活用表」をそっと開いてみると、動詞活用マニアがつくった呪いの人工語ではないかと思うほど、ひとつの動詞が少しずつ変化しながら群れをつくっている。(p.128)
 習っている当人が、こういう言語に関する違いにビビルのは分かるけれど、読んでいる方は笑っているだけで済むからお気楽である。
 グァテマラ人のスペイン語(西洋語)から見れば、ひらがな、カタカナ、漢字の混じった日本語こそが、それこそ「呪いの人工語」であり「悪魔の言葉」なのである。
   《参照》   『一年で社説が読めた』 斉藤次郎編 (研究者出版)
            【悪魔の言葉】
            【漢字ノイローゼ】            

 

 

【アンティグア】
 現在はグァテマラシティーが首都だけれど、中世植民地時代はここが首都だったという。
 アンティグアでは、三軒に一軒くらいの割合で、外国人をホームステイさせている。標準的な値段は、日曜をのぞく三食付きで週40ドル。払う側にとっては母国の安ホテル一泊分の値段にすぎないが、受け入れる側にとっては、一家の生活を支える大きな収入源になる。(p.137)
 スペイン語を習いたい世界中の若者達が、物価の安いグァテマラで長期滞在しているらしい。
 アンティグアは、常春の町だといわれている。私はむしろ、常秋の町だと思う。高い空、強い日差し、でも、冷たい風が吹き抜ける午後は、日本の秋に似ている。しかし、この感想を述べると、アンティグアっ子はいやな顔をする。「春」という麗しいことばのイメージが否定された気がするのだろう。(p.199)

 

 

【トルティージャとフリーホレス】
 日本人にとってのお米と大豆のようなもの。トルティージャはトウモロコシの粉を焼いたもので、フリーホレスはインゲン豆の煮込みスープみたいなものだけれど、日本料理に欠かせない大豆を使った料理に相当する。
 最初はトルティージャが不味くて食べられなかったというけれど、我慢しつつ食べ続けていると、
 ある日、焼きたての素(プレーン)トルティージャの淡泊な味にひそむ魅力を発見した。こういう奥深い魅力ほど、知ってしまうとはなれがたい。(p.179)
 韓国を、パックツアーではなく自分の足で歩いたことのある人は、2日目くらいまで、何を食べても辛いだけで味が全然分からず完全に閉口する。胃が痛くなりさえする。しかし3日目あたりから、辛さの奥にある味が分かるようになるのである。
 外国の主たる食事を経験しながら、「不味い」とか「合わない」のひと言で遠ざけてしまうような人は、とうてい異文化理解者にはなれないだろう。奥にあるものを知ろうとする意志がないのだから、知性も未熟なままである。
 心配なのは、帰国後のことだ。日本にグァテマラのトルティージャはない(メキシコ料理店のトルティージャは、まったく別のものなのだ)。「トルティージャのない食事なんて、食事じゃない」とまではいわないけれど、この味が懐かしくてたまらなくなることだろう。(p.180)

 

 

【アンティグアの人々の普段着】
 ラディノ(先住民とスペイン人の混血)の知り合いのほうが多いにしても、先住民は、アンティグアの町中でも普通に暮らしていた。最初に泊まったホテルで民族衣装の女性が出てきたときには、「芝居がかっている」と感じていたが、それがホテルの演出などではなく(だいたい、そんなサービスをするような値段のホテルでもなかった)、ホテルのオーナーが普段着で出てきただけということが、やがてわかった。(p.209)
 表紙の写真にあるような華やかな色彩の服を着た人々が普通であるらしい。

 

 

  《南米関連の読書記録》

 

 
<了>