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 外国人留学生に日本語を指導してきた日本語学校の様子が記述されている。1990年6月初版の図書だから、記述されている対象は、現在のように留学生の大勢を占める中国・台湾・韓国の若者ではなく、シンガポールやタイ、それに欧米系の若者たちである。
 < 台湾・元智大学図書館 にあった本 > 

 

【悪魔の言葉】
 ドアを開けると、8人の学生が緊張して座っている。・・・(中略)・・・。無理もない。この中には、生まれてこの方 “日本人” なんてほとんど見たこともなかった者もいる。得体の知れない “日本人” の教師から “悪魔の言葉” と恐れられている日本語を習うなんて・・・・・・。(p.32-33)
 笑っちゃう記述であるけれど、ひらがな、カタカナ、そして漢字の入り混じる日本語は、漢字のない国の人々からみれば、まさに “悪魔の言葉” なのである。

 

 

【漢字ノイローゼ】
「漢字の虫が壁を這っている!」 ある日、青ざめた顔の男子学生が訴えてきた。・・・(中略)・・・。結局、漢字のノイローゼになって、勉学が続けられず、途中でダウンしてしまったのだが、今思っても、痛ましい出来事であった。(p.105)
 こういったことを起こさないためには、明確なゴール(目標)地点を示し、きちんと動機づけをしておくことが大切。
 さて、漢字をまったく知らない外国人に一年間でどうやって新聞が読めるだけの漢字を教えるのか、調査によると、新聞に使われる漢字500字がわかれば、新聞の漢字8割、1000字わかれば、約9割が読めるという。漢字をうまく選びさえすれば、さしあたり1000字程度学べばいいということになる。学習者に対して、学ぶべき漢字は無限ではないこと、計画を立てて進んでいけば、必ずゴールに到達できることを前もって説明し、動機づけをしておくことが必要である。(p.108)
 下記の書籍に示されている2000字でほぼ10割読みこなせるということなのであろう。完璧を目指して目標の到達量を2倍にするのは、留学生にとって厳しすぎる。
   《参照》  『ことば診療所』 金田一&柴田理恵 (明治書院)

           【新聞を読むのに必要な語彙数】

 日本の大学で学ぶためには、漢字が絶対不可欠だと承知しているので、みんな必死で勉強する。そして、ほとんどの学生が三ヶ月の間に500以上の漢字を覚えてしまうのである。(p.113)
 ということは、約半年で目標の1000字に到達して、漢字に関しては9割がた新聞が読めるようになる!!! 凄い。 この時点で、 “悪魔の言葉” は、 “仲間にしてやってもいい言葉” になるのだろう。 ありがとね。
 
 
【身に即した例】
 教師が一番苦労するのは、どうすれば教えることを学生の頭に強烈にインプットできるかということである。学生自身の身に即した例が効果的なのだが、それには、学生たちのことを良く知っておかなければならない。(p.45)
 これは日本文化を伝える上でも同じことであって、いきなり茶道とか禅とか精神的で無形のものがエッセンスとなる題材をメインにしても、初めて日本に接する若者にはとうてい理解などできないし、興味だってもてっこない。
 教師は学生たちの多くが知っているコンピュータゲームから、教え方と、そこに秘められた日本文化を学ぶべきである。
    《参照》  『ゲームニクスとは何か』 サイトウ・アキヒロ (幻冬舎)

 

 

【事前指導の大切さ】
 事前指導に十分力を入れれば、作文の訂正はかなり楽になる。・・・(中略)・・・。赤い鉛筆でびっしり訂正された作文を返されても、学生はどうせ見はしない。次の作文に役立てようなどという殊勝な心がけの者はまれで、たいてい、気落ちして、机の引き出しにでも放り込んでしまうのが関の山であろう。教師が訂正にエネルギーを費やしてもあまり効果がない。それならば、そのエネルギーを間違いの多い作文を書かないように使おうではないか、ということである。(p.136)
 この見解は正しい。留学生の書く変な日本語ばかり読み続けていると、日本人だって日本語の感覚が狂ってくる危険性すらあるのである。
 作文を書く心理的負担を軽くするため、口頭で表現させたり、予測できる誤りは前もって防いでおいたりすることが必要である。(p.139)

 

 

【影を優しく包み込む人間性への全幅の信頼】
 さて、どんな物事にも光と影の部分がある。この本は、留学生の光の部分を中心に書いてきた。きれいごと過ぎた面もあるかもしれない。思春期にある若者たちの集団生活だから、さまざまな問題が生じる危険性を常にはらんでいる。勉強のストレスから寮内で盗難事件や悪質ないたずらが起こったこともあった。また、スーパーで集団万引きをするといった事件もあった。この件は、幸い相手側の暖かい配慮により、本人たちの将来に傷のつかぬ形で落ち着いた。彼らは、今、それぞれ立派な社会人として第一線で活躍している。それを見るとき、あの処置は間違っていなかったと秘かに思うのである。
 異国でのストレス、情緒不安定から想像もつかぬような問題が起きる。その一つ一つに対して、学生の将来に響かぬよう穏便に対処するには、最新の注意と相当の忍耐力が必要とされる。(p.174)
 学生のストレスも、教える側の忍耐も、社会人としての学生の達成度も、通常の教育現場の数倍あるいは数十倍あることだろう。
 単なる読者だから言えるのかもしれないけれど、そのほうがメリハリがあって楽しいじゃないですか。
 留学生教育というのは、長い目で相手を見なければならない。人間性への全幅の信頼が教育の原点であるということを改めて知らされた思いであった。(p.148)
 留学生であろうと、ふつうの学生であろうと、子どもであろうと大人であろうと、人間性への信頼が失われたら、すべてぶち壊しのパワーとなって社会に還元されるのである。
 事実無根の風評をもって人の信頼性を損なうことに加担する、愚かで杜撰な教育者は、こんにち決して少なくない。留学生にかかわる指導者は、その特異性ゆえにまだましである。
 
<了>