イメージ 1

 今から40年も前に出されていた五井先生の本を古書店で発見。趣味で密教を学んでいた学生時代に始めて手にした五井先生の著作から、仏教系に偏向せぬ広範な宗教的良知を学べたことが、忘れがたい記憶になっている。1972年3月初版。
   《参照》   『あなたは世界を変えられる』  アーヴィン・ラズロ&西園寺昌美  河出書房新社
             【神性革命】
 

 

【波動界(直霊~霊界~幽界~肉体)と意識界】
 人間は本心本体において、神のみ心と一つのものなのです。神道的にいえば、本心本体のことを直霊あるいは直毘(なおび)というのであります。ところが、この地球界の人間は直霊の働きが直接肉体的に働いているわけではなく、分霊魂魄として、肉体という物質界で働いているわけで、直霊の場と肉体の場とは、波動的にみて、大きな距(へだた)りがあるのです。
 直霊のような微妙極まりない光明波動と、肉体のような遅鈍な場とでは、なかなか直線的に一本になり得ないので、その間に霊界という波動界、幽界という波動界が自ずと生まれ出て、個人的には、霊体、幽体という体を纏った上に、肉体という体を纏って生活することになったのでありまして、肉体頭脳の表面に浮かび出ている意識を顕在意識と呼び、幽体と霊体の一部分に潜んでいる意識を潜在意識と呼び、霊体の上位と神体にある意識を神霊意識または神のみ心というのであります。(p.30-31)
 五井さんの本には、神霊界をやや科学的な側面から語っている記述があったので、学生時代から理解しやすく語ってくれる方だという印象をもっていた。
 上記書き出しに続いて書かれている以下の記述も、単なる道徳論では解決できない神霊界の実相として重要である。

 

 

【幽界を浄化する】
 そして、幽体という波動層は、過去世からの肉体意識を潜めているところでもあり、神霊意識を貯めているところでもあった。肉体人間そのままに玉石混交した場なのです。ところがこの幽体という波動層が、肉体人間の運命を決定している場でありまして、この幽体が光明波動で浄まっていれば、その人の人格も自ずと高潔であり、運命も明るい善いものになりますが、これが汚れて濁っておりますと、人格も低劣になり、運命も汚れた濁ったものになります。(p.31)
 その人にとって縁のある幽界が浄化されていないと、運命も人格も良くならない。
 道徳だけできっちりやれる人というのは、過去世からの積み重ね内容が、比較的良かった人ということなのだろう。道徳を守って頑張っても、なかなか良くならない人というのは、過去世からの積み重ね内容が、あんまり良くなかった人ということになる。因果の法は、善因は善果、悪因は悪果として、それぞれにきっちり巡るから、どうしようもないことらしい。悪しき運命が生じたら、悪果が一つ現われることで過去世に積み上げた悪因が一つ消滅したと考えるしかないのである。
 生きているうちに幽界を浄化するには、徳を積んで回向するしかないらしい。回向(えこう)とは、自ら善き行いをして積んだ徳分を、自分ではなく幽界に向けて回すということ。
 だから昔の人は徳分の有無を尊んだ。今の人々は、才能やおカネの有無で価値を計るから、人生が刹那的になり翻弄されてしまう。

 

 

【日本がとるべき大調和主義】
 共産主義も西欧主義も、すべて消えてゆく姿なのです。日本には日本自体の生き方があるのです。そのことを日本人は等しく悟らなければならないのです。その生き方が大調和主義なのです。
 その大調和主義の第一歩は神への還元なのです。自己の想念行為を、自己の生命の本源である神へおかえしすることにあるのです。(p.104)

 競争ではない、せり合いではない、力に対する力という関係ではない、大調和精神による発展過程に地球界は進化向上してきているのです。(p.106)
 時代が大きく変わりつつある今現在これを読むと、理想論でも希求論でもなく、近い将来実現可能な記述であると思えるけれど、これが書かれたのが冷戦の最中であった40年前であることを思うと、凄い記述である。
 下記の記述も、である。

 

 

【天津神と国津神】
 国家も民族も個人と全く同じでありまして、天津神、国津神と真直ぐにつながって、天津神、国津神のみ光そのままの働きができるようになるのであります。簡単に申しますと、国家が神のみ心をそのまま顕現でき得るところの大きな力を発揮でき得ることになるのです。
 天津神のみ使いとしては宇宙人の働きも加わるのであります。相対的な平和論や、力のない中立論、軍備強化による自衛論などはいかなる善意から発しようと、地球人類を滅亡に追いやるのみです。真の世界平和の実現の方法は唯一つ、世界平和の祈りによる、光明力の発揮の他にないのであります。
 光明力それは、地球科学を超越した宇宙子科学の地球界への援助であるのです。(p.126)
 この本のタイトルである『光明をつかむ』とは、この記述にある“光明力を得る”ことだろう。
   《参照》   『天と地と』  中丸薫  あ・うん
             【地底世界】
             【銀河連邦】

 

 

【他の救われは自分の救われと同じ】
 人間が自分だけのことを考えて生きている場合、それはその人1人だけの範囲の自由しか受け取ることができません。それを他の人や社会や人類への奉仕の精神として生きる場合、その人は多くの人々の心の中に、生活の中にその人の自由性をひろげてゆくことができ、多くの人の喜びを喜ぶことができるのです。
 自己の肉体的生命というものを捨てた時、その人は社会の宝として、人類の光明として、大きな喜び、大きな幸せの中に生きることができるのです。(p.135-136)
 肉体的生命をもって生きる地球上での生活を希求する限りにおいて、“完全なる愛”の体現はありえない。物質過程での生存は、完全性を欠いた状態としか成りえない世界なのである。
 この世(此岸)にありながら語る自由性には限界があり、そもそも虚飾の色を免れない。この世にありながら自己の肉体的生命というものを捨て切って、本心本体が彼岸にある者のみが、“完全なる愛”を体現する可能性をもっている。
 人間の肉体構造は常に自己防衛を主体にして作られているのですから、自己を捨てて人類のために働くということはなみたいていのことではないのです。(p.160)
   《参照》   『2012人類大転換』 坂本政道 (ハート出版)
             【地球生命系がもつ陥穽】

 

 

【想念がそのまま実現するあの世】
 虚勢、虚飾によって維持されている権力の座というものの空しさは、その人が肉体を去った時、実にはっきりと知らされます。本物か本物でないかは、この世の死に近づき、また死後の世界において、はっきり示されるのであります。
 なぜかと申しますと、この世では虚飾の着物を着せられるのですけれど、あの世ではその人々の想念の波そのままが、その人の生活環境となって、自他共にはっきり見えてくるのですから、虚飾は虚飾として、虚勢は虚勢として、そこに映し出されるわけであります。あの世は嫌でも悔い改め、反省せざるを得ない世界なのであります。(p.191)
 体主霊従の現在の地上世界では、心は見えないから邪悪であっても隠せるけれど、地上世界はボチボチ、半霊半物質化の過程へと入ってゆくらしい。ということは、霊主体従の霊界(死後の世界)の有り様に近くなるということである。
 近未来の世界や、死後の世界に関しては、下記から『ジュリアの音信』へとリンクを辿ってください。
   《参照》   『新説2012年 地球人類進化論』 中丸薫・白峰 (明窓出版) 《後編》
             【心を浄化していく限り】

 

 

<了>

 

  五井昌久・著の読書記録

     『光明をつかむ』

     『質問ありませんか 2』

     『心貧しき者は幸いなり』

     『大決意』