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 数学者として日本にやって来たハンガリー人のピーター・フランクルさんが、日本語を学んだ過程での様々なことが書かれている。数年前まではしばしばテレビに出ていたけれど、最近は日本語が上手になり過ぎちゃって、あまりテレビ局からお声がかからなくなっちゃったのかもしれない。2002年4月初版。

 

 

【やはり日本人は勉強家だ】
 「自分の知らないハンガリー語だったら、それは使わない。知っているハンガリー語だったら、別に改めて調べる必要はない」。ちょっと傲(おご)った考え方ではあるが、欧州各国の人たちは、たいがい自分の国の言葉に関しては、そういう言い方をする。
こうしてみると、やはり日本人は勉強家だ。自分の国の言葉であっても、もっと熟語を知らなければいけない、もっと言葉に磨きをかけなければいけないと言って勉強する。(p.44)
 日本人って、日本語に関してそれほど勉強家だろうか。チャンちゃんは、単語や熟語を専門に覚えようと思ったことなんてない。本を読んでいてわからない単語に出会った時に調べるだけである。学生時代はその回数が多かったけれど最近は稀である。それでも、「へぇ~、知らんかった!」とビックリするような単語に出会うことが年に何度かある。
 語彙力の多寡は、主に抽象的な概念を著す単語の差で決まるはずであり、故に語彙力はその人の抽象的思考力を定めているはずである。著者が書いているように、日本人が日本語に関して勉強家であるとするなら、日本人の平均的な 語彙力=読書量=抽象的思考力 は、世界的に見て高いということになるだろう。
   《参照》  『本を読まないとバカになる。なぜか。』  池ノ上直隆  日新報道

              【抽象的・概念的思考】

   《参照》  『本調子』  清水克衛・七田眞・斎藤一人・ハイブロー武蔵・他 総合法令

              【語彙力 <武蔵>】

 

 

【部首】
 「東」にも部首があるのだ。さて何だと思います?
 正解は「木偏」。 (p.49)
 へぇ~~。へんなの。
 ついでに、「署」や「罠」の上についている「四」みたいな部首は「罔頭(あみがしら)」と言う。意味は「網」。昔は犯人を網で捕まえたからだそうです。

 

 

【言葉は異性から学んだほうが・・・】
 男性から、 ・・・(中略)・・・ 少々キツく嫌味っぽく言われると、たまにカッとなる時がある。これが愛情あふれる女性の優しい指摘だったら、決してカッと熱くなったりはしないのだ。男とは単純なものである。
 ほとんどの人間は、自分の母国語は優しいお母さんから学ぶものだ。大人になっても同じように、言葉は優しい異性から学んだほうが効率よく覚えられるというものだ。(p.63)
 そう。だから、関西在住の外国人女性は、オッサンみたいな関西弁がえらく上手になっちゃうんだろう。
 さらについでに言えば、外国語は興味のあることで学んだ方が効率がいいということで、ベッドでの会話集なんてのも書店で見かけることがあるけれど、この本にも著者が学んだ「美人局」「筆下ろし」のような単語が書かれている。
 その中に、
 ところで最近覚えたのが「姫始め」。新年が明けて、初めての性交。(p.64)
 初耳。
 ネットで検索すればあるけれど、広辞苑には出ていない。

 

 

【赤い糸】
 「赤い糸で結ばれている」という言い方もあるが、これもきれいな言葉だ。イギリス、ドイツ、フランスなどでも、こんな美しい表現は聞いたことがない。(p.75)
 えぇ~~~、だって、このフレーズ、ギリシャ神話の「アリアドネ」の話が元なんじゃ・・・・。
 ギリシャ文化を基としている西洋で使われていない!?!?

 

 

【「駑馬十駕」 得意じゃなかった大道芸】
 駿馬は一日に千里を走るけれど、のろい馬(駑馬)でも十日頑張れば同じことを達成できる ―― つまり才能が劣っていても、努力を怠らなければ才能ある人と同じくらいまでなれる、という意味。まさに僕の大道芸と同じ! 数学に関しては多少は才能があったかもしれないが、大道芸には全然才能がなかった。大道芸をやりたいという気持ちだけが強くて、それで一所懸命に練習した結果、ある程度のことは出来るようになった。しかも大道芸は僕に自信を与えてくれた。人は何でも、本当にやろうと思って一所懸命がんばれば、必ず出来るようになるのだ。
この「駑馬十駕」が、僕の一番好きな四字熟語だ。(p.99-100)
 著者が東大に在籍していた時、お手玉サークルを始めたら、毎年100人ほどの部員が在籍していたという。
 彼らにとって、お手玉のサークルは学生時代の思い出にもなっただろうし、また社会人になってからも、宴会の余興などで役に立ったことだろう。それが僕の当初の狙いである “人生のお土産” ということだ。(p.125)

 

 

【日本に住む決意】
 僕は日本人女性と恋に落ちて、日本に住むようになった。そして日本の影響を受けて自分が変わった。日本に来て初めて、社会に貢献すべきだと考えるようになった。 ・・・(中略)・・・ 。
 今まで沢山の国々を訪れてきた。そのさまざまな国の中で、一番僕を受け入れてくれたのが日本だった。外国人として、一番親切にしてくれたのも日本人だった。そういうことの感謝の気持ちもあって、日本に住む決意をした。(p.122-123)
 ピーターさんは近年の日本において、大道芸の嚆矢的存在だった。それによるピーターさんの社会貢献は、今日の日本にすっかり根付いているといえるだろう。「一番僕を受け入れてくれたのが日本だったと」あるけれど、ピーターさんの人間性が元々日本人に受け入れられやすいタイプだったんだろう。

 

 

【カタカナ語(外来語)の氾濫を危惧する】
 著者は、日本人がカタカナ語を多用していることを非常に危惧している。
 実はフランスでも、米国の影響を多大に受けた時期があった。第二次大戦の際には、フランスは米国の援助がなければヒットラー率いるドイツ帝国に完全に負けていただろう。多分、ずっと占領され続けていたかもしれない。そんな時代背景があるので、フランスもかつては、日本と同じくらい米国に対する憧れがあった。フランスにも英語が流入し、現代の日本の「カタカナ語現象」と同じようなことが起こったのだ。
 その時にフランスはどうしたか? フランスの文部省は大きな危機感を抱き、フランス語の英語化に対して、さまざまな措置を取った。(p.164-165)
 現在のフランスで実施されている措置とは、
 フランスでは、テレビコマーシャルなどでは英語を使ってはいけないという法律まであるほどだ。テレビコマーシャルは放送回数も多い上に、商品の宣伝という特質上、人々の耳に残りやすく制作されている。つまりそれだけ英語による弊害が大きいということで規制されているわけだ。(p.173)
 チャンちゃんもカタカナ語を多用してしまっているから、著者の危惧を読みながら反省しきりである。
 遠からず、日本人は自主的に日本語(大和言葉)へと回帰してゆくはずである。
 高度な叡智の学である 『ガイアの法則』 を弁えない愚かしい趨勢が、小学校から英会話の導入を企てているけれど、そんなのはまったくの論外である。
   《参照》   『ガイアの法則』 千賀一生 (徳間書店) 《前編》

             【経度0度と経度135度の文明的特徴】

 そんなことをするのではなく、逆に国語の時間を増やして、齋藤孝さんが本に著し実施しているような、「声に出して読む日本語」の時間を増やすべきである。
 「知らざあ、いってきかせやしょう・・・」から始めて、七五調の歌舞伎の名セリフなんかを楽しく覚えることに時間を使えばいいのである。小学生の時に、大和言葉の語感・リズム感を体得しておけば、中学以降で英語を学んでも日本人としての根幹は汚染されない。小学校から英語教育などという戯けた話は、完全に無知蒙昧なおつむから発せられる暴言である。それは間違いなく亡国に通ずる。

 

 

【明治維新の頃の日本語】
 明治時代には最先端の技術や科学、医学などが輸入されると同時に、それに伴う日本語の考案にも尽力していたということが分かる。それらの言葉は、決して安易なカタカナ語のようなものではなかった。だからこそ、当時日本で作られた言葉の大多数が、今の中国でも使われるほどになったのだ。 ・・・(中略)・・・ 。
 これだけカタカナ語が氾濫している現代だからこそ、明治維新の頃の日本に戻り、日本語の大清掃をすれば面白いと思う。(p.181)
 欧米の文献を訳した翻訳語(音読み)も現在のカタカナ語も、本来の日本語である大和言葉(訓読み)を守るための作為である、という意味のことを下記のリンクに書いておいたけれど、
   《参照》  日本文化に関する疑問と回答

           【外来語の問題】

現在の地球が遭遇しているのは、明治維新に回帰する135年程度の周期率的再来ではない。純然たる大和言葉に回帰する万年単位の宇宙規模での周期率的再来である。それは大和のスピリットが再び世界を覆う周期律的再来である。日本語に秘められている言霊のエッセンスが、高度に進化した波動科学によって解析され、全世界で活用されるようになるのはそんなに遠い未来じゃない。
   《参照》   『日本人が知らない「人類支配者」の正体』 太田龍・船井幸雄  ビジネス社

             【数と言葉の関係】

 

 

<了>
 

  ピーター・フランクル

     『美しくて面白い日本語』

     『諸国漫遊記』