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 著者の本って結構よく見かけるけれど、読んだのは初めて。 三浦展さんが書くのと同様なジャンルの著作である。2009年9月初版。

 

 

【アエラ族】
 広告出稿が落ち込み、発行部数も低落傾向にある週刊誌の中で、新聞社系週刊誌で比較的健闘しているのが 『AERA』 である。 ・・・(中略)・・・ 。
 そこにはいまだ「男尊女卑」と評される企業社会の中で、男女同権どころか性差なしの男女同一、あるいはさらに進んで「女尊男卑」とも言える、男そこのけの世界を求める女性たちの「好戦的記事」が並ぶ。私はこうした記事を書く女性、それを読む女性を「アエラ族」または、「アエラ女」と名づけた。(p.19)
 『AERA』って読んだことないけど、男顔負けのバリバリのキャリアをもつ「バリキャリ女」たちを記事にして書いてきたんだろう。女性の社会進出を推進するという、編集者がめざす方向に沿った都合のいい記事ばかりが書かれて掲載されてきたはずである。
 しかし世界経済の大変動が、アエラ族の将来的見通しをぶち壊したのである。
 ホテルや銀座、丸の内での高額消費で自分の経済的な優位性を満足させていた「アエラ族」は、リーマン・ショックで地獄に落とされ、今もまだかつての「遊び場」だった都心の超高級ホテルに足を踏み入れられないでいるのだ。(p.36)

 

 

【「アエラ族」の病】
 「アエラ族」「アエラ女」の感染した最大の病は、「結婚」という誰もが共通するキーワードを実現しようとしながら、そこに「自分らしさ」や「偏差値的エリート価値」を求めようとする「病」である。(p.36)
 社会全体が経済的に逼迫すると、そんなこと言っていられなくなる。
 『こんな時に独身では不安と思うけど、不安になるほど、結婚相手の経済条件は譲れなくなって、ますます縁遠くなっている気がします。そろそろ結婚条件の規制緩和をしないといけないのはわかっているのですが・・・』(p.72)
 男たちはとっとと諦めている人の方が多いと思うけれど、アエラ族は、傲慢にも規制緩和などと言っている。
 まあ、本心では規制緩和なんてしたくないんだろうから、以下の事実を知っておくべきである。
 結婚後、収入面で依存して生活できるような経済力を持つ男性は、全体の3.5%しかいない。(p.65)

 

 

【アエラ族の憂鬱】
 『AERA』誌の女性記事は、こうした女性が本来持つ役割に対して、徹底して男女同権論ふりかざし、男女の性差、伝統的な文化の差異を効率的な損得で測ろうとする。もしくは、そうした女性たちを再生産しようとしている。そう感じるのは、筆者だけだろうか。
 その結果、アエラ族と筆者が名づける女性たちが迎えるのは、孤独な「おひとりさま」の人生である。(p.86)
 『AERA』の女性記事を読むと、「家庭」の崩壊と並んで、もう一つ気づくことがある。「効率」「金銭」「自由」という二文字がやたらに踊っているのだ。(p.148)

 「アエラ族」は、社会が自らに求めた「妻」「主婦」「母親」の道をすべて、「自由を奪う」という理由で拒否してきた。
 そして、アイデンティティを唯一表現できると信じたビジネス上のキャリアのみを実現したが、「百年に一度」と呼ばれるリーマン・ショック後の大不況の中で、企業からもその存在を否定され、いまやリストラの恐怖におびえているのである。これが「アエラ族の憂鬱」だ。(p.163)
 アエラ族がいずれ憂鬱になることなど、最初から判っていたことである。『AERA』の経営母体である朝日新聞社は、設立当初からアメリカによる日本支配を忠実に実行してきた主要なマスコミの一つだからである。
   《参照》   『ステルス・ウォー』 ベンジャミン・フルフォード (講談社) 《中編》

             【見えない報道統制の系譜】

 つまり、「アエラ族」の創出も「おひとりさま」の産出も、日本破壊と言う目的のために、「闇の支配者」から指示されてやってきたことなのである。洗脳されてきた「アエラ族」の皆さんが、この読書記録を読んでいるなら、以下のリンクをきちんと読んでおくことですね。
   《参照》   『聖書の暗号は知っていた』 伊達巌 (徳間書店) 《前編》

             【ウーマン・リブ運動の企み】

 「結局は、小泉政権は、競争と経済効率から『格差の容認と自己責任政策』を掲げ、セイフティ・ネットとして機能してきた『家族』を解体させたことにより、若い世代を中心に結婚したくてもできない、子供を『生む自由』よりも『生まない自由』を選択する、あるいは選択せざるをえないような状況を創り出したともいえる」(p.138)
 小泉純一郎は「闇の支配者」の意向を実現するための、完璧な走狗だったのである。

 

 

【「おひとりさま」の経済性】
 男女とも、日本では「おひとりさま」として働くことがいかに損な役割なのか、厚生年金給付制度一つをとっても、明らかである。 ・・・(中略)・・・ 「熟年離婚」。これもマスコミの格好の話題となり、女性の「強さ」を象徴するエピソードになっているが、いざ、それを実行するとなると、「女性」の側にきわめて大きな負担がのしかかることはあまり知られていない。(p.95)
 この本が書かれたのは今から3年も前だから、こう書かれているけれど、今では離婚による経済的メリットなんてほとんどないどころか、むしろ逆になることなど、多くの人はよく判っているだろう。
 まあ、どう生きようと、将来の年金どころか、現在の課税でさえも苛烈になっていて大変なのである。
 たとえば、平成2006年以前の住民税率は、
 年収が200万以下の人々は5%
 200~700万以下は10%
 700万以上の人々は13% だったけれど、2007年以降は年収に関わらず一律10%になっている。
 ならば、年収が200~700の人々は、前と同じかというと納税額は大幅に増えている。定率控除額は廃止され、しかも非課税の項目が削除された分だけ課税対象額が増えているからである。貧しい人々と中間層を狙い撃ちするような悪辣な課税算定方式になっているのである。こうして集められた税金を、公務員たちはまともに出勤もせず給料として貪り食っているのである。

 

 

【「薄明かり」か「ドン冷え」か】
 この大不況を、どんな形でもいいから家族生活の結束で乗り切ろうとした家庭には、リーマン・ショックの果てに「薄明かり」が、個で生きていこうとする「おひとりさま」には、ドン冷えの生活が待ち構えている ―― ということである。(p.201)
 住宅費や光熱費だけでも「おひとりさま」には重たいものである。「おひとりさま」は必然的に下記リンク中に記述しておいた貧困層が定位置となってしまい「ドン冷え」生活から抜け出ることはかなり難しいだろう。
   《参照》   『いつまで官僚の「日本破壊」を許すのか』 渡辺喜美 (徳間書店)

             【公務員と民間の給与格差】

 

 

【アラフォー世代とロスジェネ世代】
 「アラフォー世代にとって、専業主婦とは誰もがなれるものだったから逆に華々しいキャリアが欲しかった。しかし今や『専業主婦』としてのんびり子育てすることこそが女のステータスで、働くことはただの苦行。・・・(中略)・・・。先輩世代の働く女性たちが、結婚や出産との両立に苦労している姿を見て、母親が幸せな専業主婦だった20代女性たちはそちらに理想のモデルをみてしまうのだ」(p.108 p.160) 
 アラフォーとは言うまでもなく40歳前後の世代で、下記のロスジェネ世代とはバブルを経験していないアラフォーの下の世代。
 若いロスジェネ世代の女性たちは疑似家族である職場での活躍を諦め、自分でつくる本物の「家庭」に安らぎと生きがいを求めようとする。
 残ったアラフォー女史たちは、母性回帰した若い女性たちに対して焦りを感じつつ、さらに厳しくなった企業環境の中で、人知れず孤独を募らせていく。(p.114)
 アラフォーの憂鬱な気分なら、以下の著作に素直に記述されている。
   《参照》   『結婚しなくていいですか。』 益田ミリ (幻冬舎)