《前編》 より

 

 

【箒に乗っている魔女】
ベン : 魔女は伝統的にアニミズムの一種で、麻薬を色々使っていた。魔女が箒に乗って飛んで来るという話がありますね。ある種の木の皮をむいて、それを股で擦るとハイになるそうです。股は皮膚が薄いから、擦って皮膚から麻薬成分を身体に入れる。そこから箒に乗って空を飛ぶという象徴が出てきたんですよ。(p.296)
   《参照》   『魔女入門』 鏡リュウジ (柏書房)
             【スカイクラッド】
ベン : 魔女を焼くときに、同性愛者も一緒に燃やしていた。木の束を英語でファゴットというんですが、今、ホモを指す差別用語として使われている。元々は魔女を燃やす丸太からきていていっしょに燃やしていたんですよ。そういうひどい歴史がありますね。(p.296)
 魔女のついでに、魔女狩りに関する面白い本があるからリンクしておこう。
   《参照》   『フェノロサと魔女の町』 久我なつみ  河出書房新社

 

 

【精神分析の効果】
適菜 : イギリスの臨床心理学者ハンス・アイゼングは、精神分析による神経症の改善率は、ほかの精神療法を受けた患者の改善率や精神分析を受けなかった患者の改善率と変化がなかったと指摘しています。
 また、日本を含めた多くの研究でも精神分析はプラシーボ効果以上の改善率を示すことがないことが明らかになっています。そして問題は、精神分析の悪影響について、きちんとした調査、研究がなされていないことです。(p.185)
 そもそもフロイトの理論は、エソテリックな部分を除外しているのだから、当然そんなものだろうと思うだけである。

 

 

【リンカーンの名演説の元ネタ】
適菜 : そもそも、この演説の元ネタはキリスト教原理主義の祖先であり、宗教改革の先駆者とされるジョン・ウィクリフの「This Bible is for the government of the people, by the people, and for the people」でした。つまり、聖書によって人民を統治するということ。キリスト教の二枚舌はこういうところにも見出すことができます。(p.231)
 宗教国家アメリカといわれる本質を、きちんと押さえておきましょう。
   《参照》   『なぜ、脳は神を創ったのか?』 苫米地英人 (フォレスト出版) 《前編》
             【ピューリタンが新大陸を目指した理由】

 

 

【世界を巻きこむキリスト教】
適菜 : ローマ教皇のヨハネス8世は、イスラム教徒を「悪魔の法に従う者」と決めつけました。ブッシュもこうした流れにいるわけです。(p.296)
適菜 : 今のアメリカは末期のローマ帝国に似ている。腐敗が進みすぎている、自壊に向けて突き進んでいるような気がします。それは勝手なんだけど、問題は世界を巻きぞえにしていることです。
ベン : おっしゃるとおりです。
 近代西欧文明には人類みんなを引きつける目的がないんです。それでアメリカ軍は余分なエネルギーを意味のない戦争に注いでいる。(p.350-351)
 アメリカではキリスト教原理主義による宗教国家であることが、悪用されてマイナスに機能しているのである。
 今日の日本人の感覚では、「政治による宗教利用」なんて理解しがたいかもしれないけれど、そう思う人は、下記のリンクから3つ辿っておいた方がいい。
   《参照》   『なぜ、脳は神を創ったのか?』 苫米地英人 (フォレスト出版) 《前編》
             【政治による宗教利用】

 

 

【全世界から学ぶ】
ベン : 将来の人間は、全人類の古典から知恵を学ばなければいけないと思う。
 僕も放浪の旅をしているときに聖書、コーラン、老子、荘子、孟子、バガバッドギーター、ヴェーダなどたくさん読みました。人類の各民族のいちばん基本となる本は、絶対に高校を出るまでに学ぶべきです。自国の聖典や古典を知っているだけでは、時代おくれだと思います。
適菜 : 小説もそうですね。若いときは少し癖のある作家を読んで悦に入りがちだけど、『世界名作全集』を読んだほうが明らかに面白い。音楽も各ジャンルのメジャーなものから聴いたほうがいい。(p.271)
 「高校を出るまでに・・・」という記述に固まってしまった。チャンちゃんなんて、高校を出る頃まで本なんて殆ど読んでいませんでしたからね。せめて大学を出るまででも大丈夫にしてほしい。
 脳機能学者の苫米地英人さんも、同様に各国・各民族の世界観(文化の基底)を知るために、古典を読むことを勧めている。
   《参照》   『バイリンガルは二重人格』 苫米地英人 (フォレスト出版)
             【世界に踏み出すためのパスポート】

 

 

【告白したら許されるというキリスト教文化】
ベン : 向こうの文化では告白したら許されるというのがすごく大きい。だから欧米では「内部告発」というものが出てくるわけです。企業内部の悪を暴くことで会社をよくして外部の関係も改善しようとする。日本では仲間から「村八分」にされるから、なかなか難しいでしょう。「ちくり」というのは、仲間内だけの利害を考えているもので「内部告発」と同じに考えてはいけません。(p.342-343)
 キリスト教文化圏では、神の権威を背景にした邪悪もはびこり易いけれど、それを全面的に糺す可能性のある内部告発も生じやすい。日本文化では、どっちも生じにくいだろう。闇と光は補完関係にあるものであり相対性の両極だから、この相関関係はいたしかたない。

 

 

【ニーチェはこう言っていた】
 ここで私は結論に達したので、判決を下します。被告・キリスト教は有罪です。 ・・・(中略)・・・。
 キリスト教会は、人々の弱みにつけこんで、生き長らえてきました。それどころか、自分たちの組織を永久化するために、不幸を作ってきたのです。たとえば、「罪悪感」。それを作ることによって、はじめて教会が人間を「豊かにする」ことができるわけです。
 「神の前における魂の平等」というカラクリ。いやらしい人間の恨みつらみをごまかすために言い訳。革命、近代的理念。社会秩序を壊す呪文。それが、キリスト教というダイナマイトだったのです。「人道主義的」祝福とはよく言ったものです。人間の中の矛盾を、汚れを、ウソを、あらゆる本能に対する軽蔑を作り上げることがキリスト教の世界では「祝福」となるのですから。
 出典: 『キリスト教は邪教です! 現代語訳「アンンチクリスト」』F・W・ニーチェ 適菜収訳 (p.353)
 「罪悪感」の大元は「原罪」という思想にある。
   《参照》   『神との対話 ③』 ニール・ドナルド・ウォルシュ (サンマーク出版) 《中編》
             【人類を誤らせている文化的な神話】

 

 

<了>
 
 

  適菜収・著の読書記録

     『B層の研究』

     『ユダヤ・キリスト教「世界支配」のカラクリ』