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 前半は、タイトルに則した記述で、後半は六爻占術に関する具体的な記述がメインになっている。仏教教学を不磨の大典と思い込んでいる人が読んだら、「とんでもない」と言い出しかねない記述がある。時代が変わっていることを自覚するチャンスだから、そう言う人こそこの本を読んでみたほうがいい。2010年11月初版。

 

 

【ハンドルを手放す生き方】
 多くの人が「夢を持て」「目標を持て」と言います。 ・・・(中略)・・・ 。
 考えてみれば私は目標など一切持たずに生きてきました。進学、就職、起業、結婚・・・・。無理をしてがんばった記憶は一度もありません。
 客観的に見ても、私は幸せな人生を送っていると思います。愛する妻や娘に恵まれ、仕事も順調。六爻占術によって株で大儲けし、下北沢という都内有数の人気住宅地に家を建てることもせきました。
 ところが、どれも狙ってやったことではありません。 ・・・(中略)・・・ 。
 すべて、行き当たりばったりの結果オーライ。さまに「カット・アンド・トライ」の人生で、成功してきたのです。(p.29-31)
 「ハンドルを手放す生き方」は下記の著作に詳しく書かれている。
   《参照》   『運命におまかせ』 森田健 (講談社) 《前編》

 

 

【仙人修業:「還童功」】
 仙人修業では「子供に還る」ことがポイントとなります。成長して大人になろうとするのではなく、自分の原点だった子供時代を思い出すことが大切なのです。
 例えば「還童功」という修業があります。自分が5歳くらいだったときの写真を見ながら瞑想し、当時の気分や出来事をじっくりと思いだすのです。
 子供の心を完全に取り戻すと、心身ともに年を取らなくなる ―― と道教では教えています。それこそ、仙人や仙女です。
 もちろん「不老不死」なんてありえませんが、私自身の実感から、少なくともアンチエイジングの効果はあると思っています。(p.44)
 著者は1951年生まれとあるから、もう60歳くらいの方だけれど、同級会に参加したとき、誰かわからないほど老けこんでしまっていた人々が多い中で、すぐに分かってもらえたという。一番老けこんでしまっていたのは、学生運動に入れ込んでいた人々だったという。
 政治や経済って、確かに大人の世界だから、その世界にエネルギーを注いで生きることは、子供心との決別をよぎなくさせられることのようなものである。やばっ。もう年取りたくないから、これからは政治・経済の本なんか読むのはやめて、夢とロマンの世界だけに浮かれていようか。

 

 

【「父なる神」と「母なる神」】
 「父なる神」は、自分を頂点にしたピラミッド構造のヒエラルキーがお気に入りのようです。アベルを殺したカインを追放したように、子供たちにも優劣や順番をつけたがります。
 一方、「母なる神」は子供たちのえこひいきをしません。優秀でデキのいい子にも、あまりデキの良くない子にも、平等に愛情を注ぎます。(p.26)
 地球の風水作用である「ガイアの法則」によって、時代は、分離から融合へと基調を変えている。
 「父なる神」の分離支配から「母なる神」の融合統治へと、時代の趨勢が切り替わっているのである。
   《参照》   『ガイアの法則』 千賀一生 (徳間書店) 《前編》
            【経度0度と経度135度の文明的特徴】

 故に、人生を支配していると思われていた「因果応報」の法則は、機能しなくなる。
 西洋におけるキリスト教、東洋における仏教の主体的役割は、終わってゆくのである。

 

 

【因果応報はない】
 中国山西省の山間部にあるトラさんの故郷には、「前世の記憶」を持っている人がたくさんいます。(p.61)
 仏教に「因果応報」という言葉があります。
 ひと言で説明すれば、「自分のやったことは自分に返ってくる」という意味です。 (p.63)
 ところが、それは迷信に過ぎないようなのです。(p.64)
 前世の記憶を持つ人々の話を聞くと、「因果応報」はどうもないらしい。
 因果応報や死後の裁きがないということは、見つからなければ犯罪に走ってもかまわない、とも言えます。しかし、前世で死刑になるほどの罪を犯した人は、不思議と、「今度はうまくやってやろう」とは考えないようです。
 前世で銃殺された彼女は、穏やかな笑みを浮かべてこう言いました。
 「前世で罪を犯したことをずっと憶えているのもつらいものだよ。だから、もう悪いことはしたくないねえ・・・」(p.65)

 

 

【「裁きの論理」は「父なる神」の仕業。これからは「母なる神」の時代】
 因果応報の理があるからこそ、社会秩序が維持されていると考えてしまうのは、どうやら誤りらしい。
 貨幣があるからこそ、経済が成り立っていると考えてしまうのも、同類の誤りだろう。
 貨幣がなくとも、誰もが必要なものを必要なだけ手に入れることができるようになれば、略奪が起こることは無くなる。奪ったところで、誰もその人からもらう必要などないのだから。これと同じように、因果応報の理がなくとも、前世の記憶が残っていれば、地球上に実在する中国のこの村のように、社会秩序はきちんと維持されるのである。 

 「因果応報」の理は言うならば「裁きの論理」である。つまりそれは「父なる神」の論理ということになる。
 前世は前世、現世は現世 ――。世界を見守る「母なる神」は、前世の罪をしつこく追求することはありません。一度死んだらチャラにして、水に流してくれるのです。(p.65)
 「母なる神」は裁かない。
 前世の記憶を蓄えている個々の魂自体に信頼すべき愛が備わっているから、とも言えるだろう。
 それぞれに魂が自立していさえすれば、法律は完全に不要である。
 「母なる神」が統治する地球は融合波動に満ちている。それに共鳴する魂だけが集うようになれば、地球上でもっともコストのかかっている軍隊や警察といったダークサイドのマイナス因子から、順次消滅して行くのである。

 

<了>

 

  森田健・著の読書記録

     『不思議の科学』

     『あの世はどこにあるのか』

     『「母神」に包まれる方法』

     『運命におまかせ』

     『運命を変える未来からの情報』