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 雑誌ニュートンに発表されたものをすべて集めて作った別冊であると、まえがきに書かれている。かつて3回ほど日本人のルーツ関連の記事が書かれていたらしい。だから、この本を全部読めば、最低3回は同じことを読まされるはめになる。
 このルーツ論の根本的な欠陥は、最初からルーツは日本の外にあったという視点で語られていることである。何らかの理由によって日本から大陸へ行き、その後、再び日本に帰って来たという経緯だって当然考えられるだろう。事実、明治天皇はそう言っていたのである。

 

 

【日本人の起源】
 モンゴロイドの日本への四回にわたる移動(流入)が示された絵に添えられている説明文。
 ヴュルム氷期、東南アジアは陸続きであり、スンダランドとよばれる。最初に日本にやってきたのは、このスンダランドからやってきた南方系モンゴロイドであった。・・・(中略)・・・。2番目はシベリアからサハリン経由でやってきた北方系モンゴロイドである。 ・・・(中略)・・・。3番目は華南からやってきた南方系の人々、4番目は北方系の渡来系弥生人だと考えられる。(p.112)
 下記は、上記に対応する血液型の説明。
 約2万年前にO型の血液型が多い人々が南から、1万4000年前にはB型のインド・満州型の人たちが北から、そして5000年前からはA型が多い湖南型の到来がはじまる。(p.95)
まとめると、
        流入時期    流入方角  血液型   裏付け・傍証
第1回目 - 2万年前  - 南から -  O型   【耳あか】
第2回目 - 1.4万年前 - 北から -  B型   【Gm遺伝子】【血液型】【語順】
第3回目 - 5千年前  - 西から -  A型   【「魏志倭人伝」の記述】
第4回目 - 2千年前  - 西北から - A型   【語順】

 

 第1と2回目までに来た人々を縄文人、それ以降を弥生人と一般に言っている。
 縄文人は彫が深く目が大きく髭が濃い。弥生人はその反対。
 縄文人が住んでいた日本へ、後から弥生人が流入したことにより、縄文人は北海道と九州の南部に押しやられているという状況は、日本人の一般常識である。
 以下に、それぞれの裏付け・傍証を書き出しておいた。

 

 

【耳あか】
 耳あかには 「あめ耳(湿性)」 と 「こな耳(乾性)」 と呼ばれる二つの型がある。このうち湿性耳あかの人たちのパーセントに注目すると、それは日本の中央部では小さいけれども、日本の両端、すなわち北(東)端や南(西)端へ行けば行くほど大きくなり、北海道のアイヌや沖縄の人たちにはだんぜん多い。しかもこの耳あかのパーセントは、東南アジアでは高いけれども、北海道のさらに北のシベリアや朝鮮半島では低い。(p.40)
 第1回目を裏づける説。

 

 

【Gm遺伝子】
 松本秀雄著 『日本人はどこから来たか』(NHKブックス) であり、この本の中で著者は、アイヌや日本人を特徴づけるGmab3st遺伝子がバイカル湖畔にあらわれ、それが日本へ到達したのは今から1万数千年前であるとしている。(p.17)
 第2回目を裏づける説。

 

 

【血液型】
 今から約1万4000年前にB型血液の多いインド・満州型(北Ⅰ型)の人たちが、シベリアから樺太を経て日本へやってきたことを直接・間接に支持するデータは数多い。 ・・・(中略)・・・。
 北Ⅰ型の人たちのもともとの血液型はB型ならぬO型であったと思われる。 ・・・(中略)・・・ だとすれば、バイカル湖のあたりでのモンゴロイドの 「突然変異」 によって、O血液型の多い人たちがB血液型の多い人たちにかわったのではなかろうか。(p.40-41)
 これは、第2回目の日本人のルーツを説明しているのだけれど、「突然変異」 が生じたのではなく、日本で大規模な火山の噴火が生じたか、他民族の流入によって押し出されるかして、日本人がバイカル湖周辺に移り住むようになったと考える方が、常識的でもあり科学的でもあるだろう。
 何人かの霊能者さんたちは、日本人と満州やバイカル湖地方との関係を語っている。
   《参照》   『黄金の帝国』 三原資忍 (サン企画)
             【日本民族の経過】

 

 

【語順】
 日本語を含む 「環中国語」(チベット語、ビルマ語、モンゴル語、ツングース(満州)語、朝鮮語、日本語など) の語順が主語―目的語―動詞であるのに対して、中国語を含むオーストロアジア語族の語順は、原則として、主語―動詞―目的語、オーストロネシア語族の中のポリネシア人の語順は、原則として、動詞―主語―目的語である。(p.105)
 語順に関しては、第2回目と第4回目に関与しているといえる。
 なお、「オーストロ」 とは 「南方」 の意味である。

 

 

【「魏志倭人伝」の記述】
 そのころの九州を記述したと考えられる 「魏志倭人伝」 の撰者、陳寿の、倭国の風俗が 「儋耳朱崖(海南島)に同じ」 南方系であるとして驚いている。(p.151)
 これは、第3回目の傍証。

 

 

【ワニの化石】
 現在の日本には住んでいない爬虫類のワニの化石も、いくつかの場所で発見されている。(p.79)
 大阪府豊中市や静岡県引佐町の発見例が書かれているけれど、これらは、かつて日本列島が熱帯付近に位置していたことを意味している。学生時代に読んだ竹内先生の 『ポールシフト』 という著作に、シベリアで未消化のキンポウゲが胃袋に入ったまま冷凍保存されたマンモスが見つかったという事実が書かれていたのを覚えているけれど、その原因として考えられるのは、ポールシフト(極移動)が起こり、突然、熱帯が寒帯になってしまったということである。

 

 

【大規模な民族移動を起こさせる因子】
 温暖化や寒冷化で海水位は上がったり下がったりするから、徐々にではあるけれど、これによって民族の大移動は生じるだろう。
 またポールシフトによっても赤道付近は遠心力で海水が厚く集積するから、地球全体の水位の変動は付きまとう。破局的様相を免れた民族は、大規模な移動を開始するだろう。
 さらに、火山の大噴火が考えられる。九州の阿蘇山や、姶良カルデラ、中部地方の八ヶ岳、北海道の有珠山周辺などは、かつて大爆発して、日本人族を大陸へ大移動させる原因になっていたことだろう。噴火の時期がヴュルム氷河期(約7~1万年前)であったとすれば、その頃は現在よりも海水面は100mほど低かった (p.110) とされるのだから、日本は大陸と地続きだったのであり日本民族の大移動は容易だったのである。

 

 

【ムー大陸の実在を信じていない?!】
 20年ほど前に 『ムー大陸からきた日本人』(徳間書店、1980) と題する本を書いて、人々にそのこと(南方系の人々の日本への流入)を訴えている。ただし、ムー大陸はかつて太平洋にあったと想像されている島であり、その実在までを私は信じてはいない。(p.138)
 これを読んで、思わず 「なにぃ~~~!!!!」 と驚嘆してしまった。信じてないのによくムー大陸などという用語をタイトルに使ったものだと呆れてしまう。誰だって呆れるだろう。科学者って結構いいかげん!
 だから、地球物理学の権威である著者であっても、民間人はそんな権威など屁とも思わず、堂々と意見を述べるべきである。そもそも学術界の権威などというものは、決して絶対的な真実を語る者たちなどではないのである。横道に逸れるけれど、権威が幅を利かす学術界の腐敗ぶりをリンクさせておこう。
   《参照》   『大人の読書』 渡部昇一・谷沢永一 PHP
             【安藤次男の 『完本風狂始末』 】
             【小西甚一 『日本文藝史』 】
             【ゾンバルト】
   《参照》   『痛快! 知的生活のすすめ』 渡部昇一・和田秀樹 (ビジネス社)
             【企業の利権構造に与する医学部教授】
   《参照》   『日本の神々』 上田正昭・鎌田純一 (大和書房)
              まえがき

 だから書く。
 日本民族は、この本に書かれている著者の見解のように、流入するだけの吹きだまりなどではない。それは壮大な地球史から考えた場合、ありえないほど狭小な思考の結果である。
 人類は、地球規模の地殻変動を何度も繰り返しつつ、進歩や破滅を何度も繰り返しているのである。文明は直線的に進歩してきたのであり、現在の人類はかつてない最高度の文明を築いていると考えるのも、狭小すぎる思考の結果である。地球は高度に進化した宇宙存在たちの入植地であるというのが真実なのである。宇宙の一部であるこの地球を、閉鎖系の天体と考えること自体が非常識なのである。
 実は、そのような事実を欧米の科学者たちはとうの昔に掴んでいる。日本の学術界はそれらの研究をさせてはもらえない状態で、偽情報を与えられているだけなのである。
 欧米の闇権力によって支配されているマスコミの情報や、権威を楯に名誉や金を渇望しているだけの学者の意見を盲信していると、素晴らしい時代に生きていながら、真実を知ることなく愚かなまま一生を過ごすことになってしまうのである。

 「学術界権威」という支配された犬どもの見解にへつらうのは、それをなす当人に知性がなさすぎるという何よりの証拠である。

 

 
<了>