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 江戸時代を中心に、女性の生き方が記述されている。女性が残した文献の有用性を認めている著者は、“女をして語らしめることが、「女のいない世の中」 を変える一番確実な方法だ(p.87)” という意味で、このタイトルにしたらしい。2003年3月初版。

 

 

【江戸時代の人生双六】
 現代の人生ゲームに、男子用、女子用の区別はない。
 しかし、江戸時代では、すでに子どもの頃から男子の双六と女子の双六とでは全く違うものがつくられていました。(p.23)
 へぇ~。
 で、それぞれの双六の中身が書かれているけれど、いかにも江戸時代の仕様で升目の職業を読むだけで笑えるけれど、男子が人生に失敗した場合は、女郎買、勘当、分散(破産のこと)あたりに行きつくようになっているらしい。
 女子の双六も、升目の職業を読めば、おおよその想像はつくけれど、何を意味しているのか分からないものもかなりある。
 ごぜ(三味線を弾き、唄を歌いなどして銭を乞う盲目の女性)
 はつち(托鉢する女性の乞食僧)   (p.48)

 

 

【「人生双六」にみる江戸時代の女性】
 こうして遊んでいると、江戸の町に住んでいる娘たちに 「女の人生」 というものが、知らず知らずのうちに入り込んでくるようになっています。それが、この双六の意味です。一番の目標とされるのは、花嫁から御新造さんになって隠居するということです。したがって手習い師匠にしろ、糊売り、針按摩にしろ、女性の仕事は、全てそのコースから外れた場合に想定されています。いいかえると花嫁になり、御新造さんになり、子どもを育てて楽隠居するということが目標ですから、働くことは望ましい選択肢として基本的に(大奥を除いて)入っていないのです。(p.36-37)
 江戸時代の女性にとって、専業主婦こそが成功物語を意味していたのに、現代の価値観は、逆転しているらしい。男女雇用機会均等だとか言って、女性は外で働きたいらしい。だから労働市場に占める相対領域が縮小している男たちは、若いうちからニートになったり引きこもったりしているのだろう。女性の就労化は、地球人類を支配する世界支配者たちの作為によって進められているのである。
   《参照》  『アエラ族の憂鬱』 桐山秀樹 (PHP研究所) 《前編》

            【アエラ族の憂鬱】
 専業主婦のいる家庭というのは、最大の価値創出装置・社会安定装置であって、最大の国家資産であると思っているから、働く女性が増えれば増えるほど日本の国力は落ちて行くと、チャンちゃんは思っている。
 男性ばかりだった職場に女性が進出すれば、女性の発想が有効になることもあるであろうけれど、そんなのは女性が進出しだした一時のことである。そのうち、女性の発想に慣れてしまえば、企業は、いずれ隘路に入ってしまう可能性が高いだろう。社会全体や世界といった広い領域において、女性に巨視的な見方ができるかどうか、やや疑問である。
 男性脳と女性脳では構造が違うのだから性差による特質も異なる。多くの科学技術の発展は男性脳の特性によって担われてきたのであり、女性たちが外で働き男性たちが専業主夫になるという完全な入れ替わりが完了してしまったら、日本を支えている高度な技術力という大きな柱は直ちに倒壊し、日本の生命線は完膚なきまでに破壊され切断されるのである。

 

 

【女大学】
 「女大学」 というのは、江戸時代の享保年間(1716~36)、将軍吉宗の時代に出版されて普及します。
  ・・・(中略)・・・ 。
 「女大学」 の元となったのは儒者貝原益軒(1630~1714)が著した 『和俗童子訓』 巻五「女子を教ゆる法」 とされていますが、その基本的なメッセージは、生まれた家は自分の家と思うな、仮の家だ、嫁いだところが真実の家だと説いている、というのが私の理解です。(p.53-54)

 江戸時代の女性にとっては、親にも娘にも「結婚」というのはすごいことでした。
 もとをただせば、このような結婚を前提とした妻の、夫、舅姑への従属を説く教えは、中国に源を発し、わが日本はその影響を受けてきました。「女大学」 が、「貝原先生述」 として高名な儒学者の名前を使っているのも、この教えに箔をつけようとしています。
  益軒は、才人な上になによりも長命で、たくさんのジャンルにわたり著作を著していますが、その姿勢は、中国が生み出した儒学の教えを日本の実情に合わせて 「日本化」 し、また一般の人々にわかるように 「大衆化」 しようとしたところに特徴があります。いわば明治の啓蒙家福沢諭吉に対し、江戸の啓蒙家といいうる人物です。(p.57)
 「女大学」 の元である益軒の 『和俗童子訓』 の元となった書物は、下記の4書だった。
 後漢の班昭の書いた 『女誡』、 唐代の宋若幸の 『女論語』、 明の永楽帝の皇后の 『仁孝文皇后内訓』、清代の 『女範捷録』 の、 「女四書」 と呼ばれるものもがあります (p.57)
   《参照》   『清く美しい流れ』 田口佳史  PHP研究所

             【江戸期の「生き方」教育】

 

 

【知的な女性にたいする最上級の誉めことば】
 真葛さんという女性が、江戸時代の文豪である滝沢馬琴に寄せた手紙に対し、馬琴は、
 「紫女清女にもたちまさりて、男たましひあるもの」 と評しています。 ・・・(中略)・・・ 。
 「紫女清女」 とはお気づきのように、紫式部と清少納言です。つまり 「今紫式部、今清少納言」 と真葛は馬琴に讃えられるということですが、これは男性が知性ある女性を誉める最上級の表現です。(p.85)
 今時の若い女性に、「紫女清女」 って言って伝わるのだろうか?
 このことはいいかえると、日本の歴史の中で紫式部や清少納言が活躍した時代が女性文化のピークであった、ということです。(p.85)
 滝沢馬琴は、真葛さんをこんなに誉めてあげたのに、結局最後は決裂しちゃった。
 滝沢馬琴は 「女大学」 という考え方は基本的に正しいと考えています。ところが真葛の方は、それを実践したために次々と人生の蹉跌を味わった体験を持っています。そうすると当然のことながら、当初、両者の間に芽生えた共感が、徐々にひび割れていきます。男は 「当然だ」 と思っていても、女は 「なぜそうなるのか?」 ときますから。(p.86)
 で、著者はこう書いているだけで、自分自身の考えは表明していない。だから、この本については、ノッペラボウのような印象を持ってしまうのである。

 

 

【江戸時代の女性の中等教育】
 寺子屋の調査研究がすすんで、江戸時代後半には、かなりの子どもが男性も女性も初等教育を受けていたことが全国的に明らかになっています。(p.107)
 なら、中等教育はというと、
 やはり大阪、女性用の私塾が用意されていたのです。
 大阪が商業都市であったことが、その一因でしょうが、もうひとつ江戸などと比べて武家人口が圧倒的に少なかったことが理由としてあります。武家人口が半分の大都市では、 ・・・(中略)・・・ 武家の奥向き奉公(奥女中)が中等教育の役割を果たしていました。(p.107)
 武家都市である江戸にあって、大奥は中等教育の場であり、花嫁学校でもあったらしい。名士の娘でなければ大奥奉公に入れなかったのは、生活費を送金しなければならなかったからという理由もあるらしい。つまり、授業料を払って大奥で花嫁修業をしていたようなものであると。
 中等教育の場は、江戸や大坂といった大都市だけにあったわけではないらしい。下記の伊藤常足の私塾は、筑前(福岡県)にあったそうである。

 

 

【旅日記からの発見】
 前田(淑)先生は、 ・・・(中略)・・・ (江戸時代の)旅日記に、彼女のそれまでの人生の何かが反映しているという観点から、日記の奥にあるものを読みとろうとされました。その結果、そこには彼女達の勉強の場があった。しかも男女共学の場が。伊藤常足の門人はのべ270人ぐらいいたのですが、そのうち40人、15%が女性です。これも大変大きな発見です。(p.131)
 男女席を同じにしないはずの儒教社会だった江戸時代に、男女共学の中等教育の場があった!
 ならば、江戸から明治に向けて、女性にとって時代は苛烈な方へ向かっていたということになるであろう。著者なりの見解に則すると、平安時代がピークで明治時代が谷底で、現代は裾野を登りつつあるということか。

 

 

【飯盛女】
 双六に出てきた 「飯盛女」 を思い出して下さい。
 彼女たちは宿屋でサービスするだけではありません。売春をする女性として捉えられていたことは双六からも伺えました。(p.139-140)
 *余談ですが、2001年4月から2002年7月まで、私のところにアメリカ・ハーバード大学の女子院生が留学してきましたが、彼女は 「飯盛女」 を研究テーマにしていました。吉原や大奥ならまだしも、飯盛女に目が向けられるところに、アメリカの日本(女性)史研究の水準の高さが示されています。(p.142)
 そんな末端の事まで研究していることを水準が高いと言っているのだろうけれど、その研究内容を読んでみたいものである。
 今日のように数多の産業があるわけではなく、何といって娯楽もなかった時代、なおかつ現代のような宗教的倫理観が生活に割り込んでいなかった時代は、飯盛女が売春を兼ねていたというようなことは世界共通のことではないだろうか。そこから日本の文化特性が見えてくるとは、とうてい思えないし、それが女性差別を意味していたとでも言い出すのであるならば、それこそ現代的価値観という偏向グラスを通して観た、ご都合主義的な裁きの論理というものである。

 

      《関連》    『ぶらり江戸学』 杉浦日向子 マドラ出版

               『日本名女ばなし』 陶智子 新典社

 

<了>